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think

私の独善的思考
 スパム・ポエム 











subject


ちょっと教えてほしいな~

日本初です。

あと4時間で終了です!

恐妻家の方へ。

特別メール便

連休忙しいの?

あなたのアドを知ってる以上、私の正体が誰なのか限定されると思うけど。

覚えていませんか?

週末限定なんですけど、人妻で良ければ。

地元のオバサンを抱きたいですか?レベルは低いですが確実に抱けますよ!!

【NBonline No.497】「老人いじめ」で自民自爆、民主圧勝

私の事を普通の女の子として見て

具体的に言うと【お金】持ってます

お金持っててもおばさんだからダメ?

私に欠点があってもHだけなら出来る?

エッチはスポーツです。あとくされなく一度だけ会ってエッチだけしませんか?

フェチですか?

何で?

性生活に満足出来ない女性がたくさん参加されています。

おっぱい!おっぱい!

中村 キミエ[65歳]おはようございます。クソババとセックス100では足りませんか?ウンコ

折り返し1通で会う約束しませんか?

ココじゃないよ。

おさせ紹介所



好きな尻を選んでGO





なんとアバンギャルドな詩なのだろうか?って・・

これ実はすべてspamメールのsubjectを無作為にコピー&ペーストで取り出し
順序を並び替えて作りました。。

私が考案したspam poemです。。
手は一切加えていません。。


同じモノをを見た人は沢山いるはずで、“おっ”と気付いた人も多いはずだ!

この今やインターネット社会では何気ない日常の取るに足りない言葉を繋ぐことで、あらたな文学が容易に構築でき、キャッチーであり、かつ不可避的に背負った性欲という十字架に対し、えぐるように突き刺さる言葉の連鎖は、歪んだ現代社会をストレートに表現していると思えないだろうか?。。

これほど言葉が軽薄にも関わらず、このキャッチの奥行には計り知れない“男性天国”が見えないだろうか?そう絵が見える・・いや、情景を想起させる力強さがみなぎっていないだろうか?

同時にこれらの言葉はインターネット社会の常識的知識として、純朴な男性が騙されるための扉であることの恐怖感も漂わせている。これらを総合しても実に現代社会のある一部分の実相を見事に表した文学的要素、そう、絵画でいうところのコンテポラリ‐アートと同様のコンテポラリ‐ポエムとして見えないだろうか?

これらの言葉ひとつひとつを翻訳しても、外国人が反応するものはない!あくまで日本の社会環境の中で培われたエロスであり言葉ばかりだ。そういった意味においても日本独特の文化的背景を兼ね備えた言葉の連続性であり、日本が世界に誇れないにしても独自の文化を濃密に凝縮しているのは間違いない!!

 Mega Death 














現代美術
現代アート
コンテンポラリーアート

まずもって現代とは?何時からの事を指すのであろか。
商売人に惑わされていけない。

現代と
コンテンポラリーという語の間には
途方もないくらいの開きがあることを知らなければならない。

コンテンポラリーとは“同時代”という意味が正確であり
正確な時系列の配置から考察すると、現代という語と同義ではない。

もっと切なくも追い込まれた瞬発力であり
十字架に磔にされた直後の苦悶だ・・・・

あくまで同時代。これが大事なのだ。

時間、
時間に見つめられる
時間

個人と集団の見た時間
時間が見た個人と集団
時間とは?


By:Mega Death 1999 tatsuomiyajima.com

私の、カウンター・ガジェット(LED)は人間の生命の輝きを象徴している。

そのカウンター・ガジェットは9~1をカントダウンして、"0"は表示せず、暗闇になり、また、 9へ戻ってそれを繰り返す。数字が変化し輝いている様は人間の「生」を象徴し、"0"の暗闇は 「死」を象徴している。
仏教哲学において、人間の生命は「生」と「死」を繰り返すと説かれている。

つまり、「死」は終 わりではなく、「次の生」を準備する睡眠のようなものであると言うのである。しかも、その「生」 から「死」、「死」から「次の生」へのリズム(Life Time)は個々人の生命にもともと備わって いて、個別性があり、一人として同じリズムはないとも言われている。
あらゆる人間は、このような「生と死」の荘厳なドラマを何億年ものあいだ営み続けてきた。

地球 上のいたるところで、このような「生と死」が生まれては消え、消えては生まれてきた。それは満天に輝く星の煌きを見るように美しい。一人一人の「生」が違うように、「死」もまた ひとつと して同じではない。それゆえ、一人一人の「生」も「死」も輝き、お互いの「生」と「死」に響き 合いながら、まるで壮大な宇宙の交響曲を奏でるかのようである。 私は、これが「通常の生死」(Natural Life Time)の美しさであると考える。
しかし、その荘厳な「通常の生死」の営みは時として破壊され分断させられた。

魔性に犯された人為による仕業である。

元カーター大統領の特別補佐官であるブレジンスキー試算によれば、20世紀で戦争や革命、紛争などにより、人為的に奪われた人命の数は一億六千七百万人に上ると言う。この数は1997年時のイタリアとフランス、イギリスの人口を合計した数に匹敵する恐るべき数字である。このように、ある意味で、今世紀は、「人為的大量死」(Artificial Mega Death)がもたらされた時代だったといえよう。

 泣く女 













私が初めてピカソを見たのは
友人の家に遊びに行った

14歳の時だった。
今から30年近く前。。

壁に泣く女が貼られていた。。

その時まで正直ピカソを知らなかった。知らないことを友人から嘲笑された。

しかし、この時、私の中で何かが弾けた。それは今でも鮮明な感覚として残っている。

絵の具という物質。
もともと物質として有する性格を平面上で融合し、網膜上の記憶との整合をいかに精緻に再現するか、その際、作業過程で感覚的に許される主観的要素、所謂、感情を合致させる平均的な認識、赤は情熱的、青は冷静で静謐な感じというものや、客観的事象から記号化された印象、緑の木々に人は癒される、光の陰影により現れる外形の構造や時間、その光が持つ人間生活や過去から持ちあわす歴史的認識との合致などを作業過程上の僅かな隙間に混入するということに対し絵画の感動部分の肝が存在し、そこに絵画鑑賞の大きな価値?絶対的判断の序列?いや、ある種の呪縛に私は縛り付けられていた。


しかし、数学の回答を導きだすための公式を理解することと同じ仕組みで、それまでの絵画鑑賞上至高の部分・表現と呼んでいたものは、実は、数学においてはあくまで回答を求める設問でしかなく、本質的な問題の解答とは、いかに導くのかという回路を探す、作る、見つけるということではないか?と気づいたのである。

それまでの、絵画鑑賞法とは、問題をただ眺めていたにすぎない。そしてマニュアルに基づいたアンサーであって、なにを求めているか?なにが真理かなど無関係であった。答えがすべてであり、それ以上のものはなかった。

しかし、本来、前にした問題を眺めることで本質的な解決はない。問題の仕組みを考察しそれを読み解く公式を探し出すのが実は答えを導きだすのと同義であるということに大いなる発見を見出したのである。

例えば数学はノートに記載しその回答を求めていく。しかしそのノートに書き遺されたものに価値はない。あくまで発見された公式があり、その公式を駆使し、そこから導き出された回答にこそ価値あるものとなる。だからそこにどのように導き出しかただったかという過程を記録したノートという物質そのものには何も価値はない。価値があるのは回答に導く見えない公式なのだ。

そこに大きな価値が存在する。

そしてこの公式は、実は今例えた数学のような公式ではなく、実にあいまいであり、対象とした問題すらもあいまいであり、答えと今、書いたが、それは答えという終着ではなく、そこから連鎖的に次の疑問が発生し新たな公式の発見を余儀なくされるという限りない広大無辺な解放感が得られる人間の可能性と人間・社会・歴史に対する想像の究極を示すものとして私は受け入れられた。

 イマダモッケイタリエズ 日曜日の夕方

何気なくテレビチャンネルを変えていると、大相撲中継にぶつかった。
相撲は嫌いではないが、特別チャンネルを選んで見るというほどのファンでもない。

しかし、普段は何気なく次のチャンネルへ変えるのだが、その日はカチャカチャが止まった。
千秋楽、朝青龍と白鵬の横綱対決だった。

これは見ておくかな・・と普段スポーツニュースのダイジェストでしか見ないメニューなのだが、昨今の騒動から世間ではこの一番に対して大いに盛り上がっていることは知っていたし、正直、何が?ということもないのだが私も世間並みの興味が湧いたので暫く相撲中継を眺めることにした。。

千秋楽の大一番、優勝決定戦、結果はもうひろく知れ渡っているのであえてここで細細書く必要はないが、久しぶりに両横綱が土俵にあがり勝敗がつくまでをじっくり見たその感想は、???
であった。

横綱がガッツポーズ???
花道で両手を上げて声援に応える???

品格。

確かに品格がない。

これはどこがどう、なにがどう、という事ではない。私の率直な感覚的な反応だ。

横綱とは勝つことが当たり前の存在であり、負けるとその存在が消えうせる、そして勝ちつづけることと常に向き合わなければならない孤独な存在であり、その勝敗は決して個人の欲望をモチベーションとして歩まなければならない道ではないはずだと私は思っていた。そして一つの勝利、例えそれがその横綱個人にとってどれほど大きなものかなど相撲という世界の大局においては如何ほどのこともないと私は考えるのである。
横綱の勝利とは、ある種“勝つ”ではなく“負けない”という感性なのでは?と思うのである。

それを感情露に勝利の喜びを土俵上で表現するとは…・

これで横綱か?と正直思った。

とてもではないが私の感覚としては横綱足るべきという許容範囲を遥か彼方に超えている。
外人云々ということではない。自分の中にある横綱という存在とあまりにも整合しないのである。
それはどちらかというと過去の具体的な横綱の存在と比較してではなく、理念、理想とするものとの間の距離を恐ろしく感じたのである。

この千秋楽の一番そしてその後のインタビューと一連を見たのだが、これらは世間でどう評価されるのだろう?と大いなる興味を抱いた。

その日の晩から翌日のニュース、勝った、優勝した、不祥事以降の苦闘、そんな内容が大半であった。しかし、横綱審議委員の内館女史から品格の問題が指摘された。

優勝に内館氏が冷や水-。日本相撲協会の諮問機関である横綱審議委員会(海老沢勝二委員長=元NHK会長)が24日、東京・両国国技館で行われた。春場所で復活優勝を果たした横綱朝青龍(27)に対し、気迫を容認する声が出た中で、内館牧子委員(59)=脚本家=が立ち合いや所作の乱れを指摘。「品格の問題はクリアになっていない」と切り捨てた。

 交信 仕事中、たまに嫁からメールが入ることがある。。

他愛も無い内容(…と言うと怒るだろうが。。)なのであるが
その大半は、こちらの事情を確認する、例えば帰宅時間とか、週末の予定であるとか、家に届く郵便物などと普通考えがちだが、それが案外違う。





ではどのような内容か?というと





大半、自分の事、そう身の回りで起きたことの感想だったりするのである。

メールとは案外そういうものなのかも?と考えさせられた。。

うーん??簡単に言えば、よく友達の家で見せられる、その家の子供の運動会のムービーみたいな・・見せられた方は至極“ツマンナイ”のであるが、友人の子供が映っているという事を考えれば足下に“ツマラン!”とも言えず、かといってその画面から顔を逸らすこともできない、実にストレスの溜まる瞬間に近いのかも?と考えた。。

それを聞いて、また見て、知って・・俺にどうせいちゅうねん?という感覚??
さて、、受け止めた俺は???
どうも・・なんとも不必要?なコミュニケーションに思えて仕方が無い。。。

あーーー!断っておくが、そんな事思っても、嫁には決して口が裂けても・・言ったことはないし、その他メールくれる方々に対しても感じたことはない。。ただ何となくその本質を突き詰めて考えると、、、、

そうじゃないかなぁ~???と思うのである。。


私のメールの根本的な考えは


「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」


メールの内容などこれで十分だ!
そして、了解したという相互間のキャッチボールが確認できれば

それでいいのである。。。。

これに勝るものはない…

こういうものが高速の情報で来る!ということに、ITのダイナミズムを感じるのであり、そこに複雑な人間、特に文章から、行間から相手の感情を探らざる負えないようなものは、実は大いに手に余るのだ…


先日も嫁からメールが着た。
しかも会議中、、、、

内容を見ると、

どうも予約した携帯電話が着たので貰いに行ったのだが、不具合が見つかりキャンセルせざる負えなかった!という事態と、、、その不具合がどうも予約した時点でメーカー側からのアナウンスがあったのに知らせることもせず、なぜユーザーである私に薦めたのか?という怒りがそのメールの文意であった。。

しかしである!

“これから我々は!”などと今会社で起きている問題を討議している最中にこのような内容のメールが入った場合、、、、

俺はどうしたら良いのか????

無視すればいい!のであるが…

 一台のテレビ 我が家にテレビは一台しかない。

まぁ、これは貧乏によるところも大きな割合としてあるが

基本的には嫁のポリシーによるところが大きい。









子供が各部屋でテレビを見るという事を完璧に“良し”としない哲学があるのである。


私もこの考え方にとくに異議を挟むことはない。しかしながらかといって嫁のような頑なな哲学があるか?というとそれほどまでのものは正直ない。あればあったで良いという程度であり、一台しかない状況であるならば、それはそれで良いという程度である。つまるところ、簡単に言えば何も考えていないということに尽きるのである。しかし、子供が大きくなるにつれ、これはやはり嫁の考えていることは正しいのではないか?と思うようになってきた。


やはりテレビは誰もが見たい。出来れば独占したい時もある。いや、だんだんそうなってくる。これはそれぞれに趣味嗜好が違うから当然である。その中で、皆でシェア‐するということを家族の関係の中にむりやり掘り込むと嫌が追うにも、譲ったり、譲られたりという関係が生じ、そのプロセスを踏まなければ整合しなくなる。僅かなことであるがコミュニケーションの必要があるのである。


また、相手が好むものに付き合うということは、ともすれば苦痛をともなう事もあるが、他人が好きなものから、自らが進んでは入ろうとしない世界に自然に誘ってくれるという、無意識の可能性がそこには生れたりする。

そういう意味で、我が家の子供達も思春期を迎えるにあたり、以上の結論から改めて考えれば、どんどん家族と喋らなくなる傾向が顕著になり、なかなかコミュニケーションもダイレクトでは取りにくくなるのは目に見えている。それから考えれば、テレビは一台が良いという事になるのだが、この論理は子供からすると貧乏が故のこじ付けにしか感じてもらえてないのが現状である。


まぁ100歩譲って一台で良いとしても、ブラウン管のテレビはは無いんじゃないのぉ?


液晶、プラズマ?どちらにしても一台の哲学は保てるじゃない?ということにどうにも論理の整合が取れなく、実に脆弱な状況に落ち込む。


しかも、気付くと、嫁までも、その部分は子供達に賛成と寝返ったりしているではないか…・

どうにも、いつのまにか、家に一台しかもブラウン管のテレビという哲学は、私の頑なな考え方になってしまっているのである…

なんとも恐ろしい嫁の調略である。。。うーーーー…

しかし、テレビ一台に限らず、基本的に分け合うというのは良いことではないのかなぁ?と考える。そう言えば私の実家も一台のテレビであった。今から考えれば、よくテレビのニュースを家族で見て、その内容を討議したことがあった。そう考えると、今このようなブログなるものを偉そうに書いているのだが、その物事の判断基準であったり考え方の方向性は、この時分の家族との会話やある時には討議することで培われたベースじゃないかなぁ?と改めて感じるところがある。

 世論 やっと連休明けから


びっくり★さんも機嫌を治してくれ、天岩戸?の奥に隠れていってくれたような?感じで



どうにかこうにか火曜日から出社の運びとなりました。



一時はどうなることか?と落ち込んだが、昔の人は上手いこと言ったもので、まさしく“日にち薬”という良薬の賜物にて、快方に向かわせていただいた。。




歩くのも困難だったのであるが、なんとか立って歩け、どうにか出勤ができるようになったのであるが、それでも最初の日はさすがに体中に痛みが走り、会社までたどり着くのだろうか?と危ぶむ程度の回復だったせいもあり、途中の喫茶店で休憩しもっての出社となった。。



やはり10日近く寝たままだと恐ろしく筋力というのは衰える。。そして改めて若くないのだ!と感じたのであった。。


この10日間近く家で一日中寝ていたわけで、何かするといっても特に無く、勢い、朝から晩まで終日テレビを見ていた。

以前寝込んだ時もそうだったが、その時からするとおおよそ3年ぶりくらいに終日テレビを見つづけた。いろいろなニュースがあるようだが、よくよく考えると朝から晩まで同じニュースがルーティンで流れているだけであり、以前にも書いたが違いと言えばコメンテーターの違いくらいしかない。


この10日間で印象というよりも摺り込まれたニュースと言えば


“ギョーザ”…・・


うーん。。。



ギョーザしかない。



その他もあったのだろうが、とにかく朝から晩までギョーザだった・・



よくまぁ、同じ事を朝から晩まで、実にしつこいなぁ?と辟易するのであるが、冷静に考えれば一日中テレビを見ている人間からすればそうなのだが、普通は朝少しと晩少しという割合で見るわけで、中には見てない人も居ることを考えれば、大ニュースというのはやはり朝から晩まで放映し続け、事件そのものをより広く伝えるというのも報道の義務なのか?と改めて感じた。

そうだよな!自分を考えても朝のニュースみて晩のニュース、おおよそ2~3回くらいなのだが、それでもしつこいなぁ!新たな進展がなければ特に報道するな!という感情に襲われる。それを一日中見ているわけだから辟易するのも当たり前である・・

まぁこれだけ何度も同じことを放送するのは、ある意味色んな人に対応しているのか?と当たり前ではあるが一日寝ていたことによって感じたのである。

が!!あまりにも?という気になったのも間違いない・・

少し異常ではある。右から左、上から下まで同じような論評しか生れない状況を朝から晩まで垂れ流しつづけているとしか思えないのである。。こんなに必要なのか?しかも皆同じ?

 世界平和の扉 週末の生活パターンは

夕方4時くらいから飲みだし

7時位から始まる夕飯を家族と一緒に食事をする

その後10時位から一度寝て、深夜一時か二時に目を覚まし

撮っていたビデオを見たり、インターネットを見たりと朝の5時過ぎ位まで

ゴソゴソしている。飽きた時点でまた寝る。

これが週末のパターンである。





先週の土曜日も夕飯を済ませ10時くらいまで横になってテレビを見、いつものパターン通りウトウトし出したのである。

しかし、夢うつつの気持ちいいゾーンに差し掛かった瞬間

頭の後ろの方からケタタマシイ音が鳴りヒビいた!

ガチャガチャガチャガチャ!!!!

一瞬にして目がさめたのであるが、一体何が起こったのか理解できなかった。。

しばらくボォ-とあたりを見回すと、風呂場の方からその音は響いていた。

起き上がり風呂場を覗くと

嫁が一心不乱に風呂場のドアノブを回しつづけているではないか?

「おっ、おい?何してんねん??」

「あっ、うーん。。。」

見れば普段建て付けが悪く半開きになっているドアがピチッと閉まっているではないか?

「あああああああああ!ひょっとしてお前?」

「うっ、うん、閉まってん。。。」

「えぇ?開かんの???」

「うん。。でも気にせんといて!」

ああ、そうか…

って言いそうになったが

“そんなわけにいくかぁ!”

風呂どうすんねん??それよりホンマに開かんかったら窓割ったり、ドア替えたり、それより業者よんでべら棒な値段請求されたり…

一気にストレスが噴出した。。

それから午前零時過ぎまで約2時間以上

あーでもないこーでもないと夫婦でドアノブを前に思案していたのだ。。

その姿を見た子供達も“触らぬ神に祟りなし”何時の間にか自分達の部屋へ散っていった。


やがて疲れてきたので
寝るかぁ?明日考えようという事になり、寝た。。

なんとなぁー

ドアが開かない、いや、日常何気なく当たり前の機能が、突如機能不全に陥ると
こうもストレスが溜まるのか??週末のくつろいだ雰囲気が一気に吹っ飛び、しかも多少の因果関係があったとしても・・突如理由もなく陥るこの不幸。。誰にこの憤懣やるかたない気持ちをぶつければ良いのか??

嫁??

「おーお前なんてことするんや!分かるやろぉ!古いんやから、ちょっと考えれば、あかんちゅうこと察知できんかぁ!このドアホ!」

と、言えればいいのだけど…

とてもではないが言えない。。。

もし言えば

「大体、甲斐性がないから何時までもこんな中古の古家に住まなあかんのちゃうん?ちゃんとドアがスムーズに開く家買うて!!」

 マウス 年末、週刊文春を久振りに買った。



たいして面白くなかったのであるが、あるコラムに目がとまった。



何しろ歴史すきなもので!というタイトルで、各界の著名人が、自らが過去啓発された歴史書籍から現代を読み解く重要な要素をそれぞれがコメントをしていた。

これは慧眼であり、実におもしろかった。

何人かいたのであるが、私がおもしろかったのは、二人である。


佐藤優が語る「新自由主義下のマルクス」。今こそ『資本論』を読むべきだ。という文章と、関川夏央が語る「司馬遼太郎文学の深淵」。『坂の上の雲』に見る司馬遼太郎の勇気。


佐藤優は言わずと知れた鈴木宗男議員の懐刀として活躍?した外務官僚であり、現在、起訴休職外務事務官である。このひと、例の事件以降結構な著述活動をしており、その内容が斯界の間で高い評価を得ている。ひところ外務省のラスプーチンなどという恐ろしげな異名をとっていたが、最近著作以外のこういった週刊誌のコラムなどに自らの考えを示しているのだが、これが実に的確で面白い。いや、かなりの常識人でもあり、くだらない解説者など足元にも及ばないぐらいの識見がある。実は私、彼の書いた本までは買ったことはないが、かれの週刊誌のコラムは結構マメに読んでいる。案外この人の実相とは?と過去の捜査から我々が受けた印象、マスコミが作り上げた人物象と実際の人物象とのギャップが一番分り易い存在なのではという、一種のアビルノ的な見方をしている。マスコミという恐ろしい怪物に翻弄されたのであるが、実はそのマスコミを使い、遅ればせながら内部から真実を炙りだしているような気がするのと同時に、いかにマスコミが単純な表層的な印象からしか物事を伝えていないか、また大衆を無暗に扇動し、終わりのない、結論のない無責任な百姓一揆を誘発しているのかが、この人物の見解をみるにつけ感じるのである。

彼が書いたこの今こそ資本論を読むべきだという記述は、短文なのであるが実に優れている。

彼はマルクスの資本論こそが人間が築く社会・歴史という物語の構造を深く解明したものであると定義する。
そして彼はマルクスの資本論が示す歴史的な構造を4つの論拠をもって分り易く解説し、その限界を指し示すと同時に現代社会の壁を提示し、そして資本論を再読することが、その壁を突破出来得るヒントが隠れていると提唱しているのである。

4つの論拠とは

1、交換形態から生まれる貨幣が人間を支配していく過程。

2、貨幣が資本を生み出し、巨大な資本の運動性が人間を束縛し、思想・生  活などの様式を規定する。

 13人 気づくと

今年も終わりだ。










歳末の雰囲気が、自分の体の中にまったくない。

一年が終わる?なんか怒涛のように過ぎていき、あとから感じるような。。

来年は平成20年・・

平成になって20年になるのかぁ?

私が生まれた昭和という時代は

成人を迎える若者から

昭和時代と呼ばれる。

これは明治・大正・昭和と同次元になる。

昔、おばあちゃんが生きていた時分、おじいちゃんの事を

“明治男”と呼んでいた。この言葉の大なる意味は“頑固者”だったような気がする。
そして大正時代は何かしらモダンな匂い。。。

昭和は?どんな匂いなのだろう?

特に私が生まれた40年代は区分すると後半になると思うのだが
今後の若者たちにはどんな匂いに映るのだろうか???


今日、新幹線で読もうと

週刊大衆を買った。。

あっ!と驚いた。

平成に入って丸19年

この間の首相の人数が書いてあった。

なんと

13人!!

19年で13人・・・

平均2年以上無いのだ。。。。


こんなに国のトップがコロコロ変わるのは

何が原因なのか?

今年の一字

清水寺の管主は

大書にて

偽と書いた。

これが今年だが

偽装って

ひょっとすると純粋に受けるとる側の

勘違いなのかもしれない。。

今の首相は

今年の一字

信ってなこと言っていたが・・・



首相が19年で13人も変わるのは、ある意味偽装を暴いた
つもりの我々の勘違いの連鎖なのかも・・



どんだけぇ~



くだらない流行語が無為に



響き渡る。。。






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