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人物

気になってきた、これから気になる人たち。
  Basquiat  ゴールデンウィークが終わった。。

ゴールデンウィークといっても子供たちは
それぞれ自分の活動、kyoちゃんはバレー部、U君は野球に毎日出かけ
嫁もそれらの活動を見に出かけていた。。。

朝起きると、大概誰も居ない。
私一人である。。。

こんな時こそ普段欠乏している“栄養”を補給しなくては!!

栄養?

そう、この場合、私の栄養とは、即ち

映画である。。

今年のゴールデンウィークは映画を毎日見ることに決めた!

早速、嫁が作っておいてくれた“おにぎり”を食べ終わるとレンタルビデオに直行。
何を借りるかなどあらかじめ決めない、行って考える。その時の気分だ。
普段、私は大半“やくざ”映画を借りて見るのだが、こんな時こそ普段敬遠するようなものを!とコンセプトにして行く。

棚を右から左、上から下へ舐めるように探す。
悲しいかな、田舎のレンタルビデオショップ、50%はエロビデオ、10%韓流10%は人気のテレビドラマ15%アニメ、残り15%が今回のターゲットだ…・実に選択の幅が狭いのである。
ましてや往年の名作やレアな洋画などかなり少ない。。

そんな15%棚の下のほうに、

うん?と閃くスペル!

B・A・S・Q・U・I・A・T

バ・ス・ケェア・ト???

あー!

バスキア!
そうそうバスキアだ!!!

懐かしい名前だ。。

思い出した数年前に作られたのは知っていた。
見なくてはなぁーと思っていたがそのままだった。。

監督、ジュリアン・シュナーベル!
この名前も実に懐かしい。。

バスキア!シュナーベル!

私が高校を出て大学在学中にかけての“アイドル”
であり絵画界のスーパースターだった。。



ヘリング・バスキア・ウォホール・メアリーブーン・シュナーベル…・
これらのアイコンが頭の中に一気に蘇ってきて、慌ててクリックしまくった!!



早速借りて帰り見たのだが、面白かった。まぁ映画として優れているというよりは、この時代の
実像みたいな、あの時なにがあった?というような部分のリアルな感覚が私としては面白かったのだ。当時、僅かな紹介記事しかなく、彗星のように現れ、瞬く間にアートシーンを席捲し、あっという間に死んで消えてなくなった。。。。当時の私には、この程度の情報しかなかった。

作品を大きく取り上げた雑誌も我々田舎に住んでいるものには全く触れる機会がなかった。僅かなスリット記事を凝視し想像を掻き立てていたのが実際で、なぜか?ウォホールと近い距離におり、なんの関係なのか?それもよく分からなかったが、アートシーンの大御所と新進気鋭のペインターという絵図らは、我々にとって“こいつが今のトップランナーか?”という強烈なイメージを植え付けた。。この映画は、その当時の想像でしかなかったものを垣間見た、覗くような面白さが私にはあった。。

 THE 2008 TIME 100 The People Who Shape Our World













Here's our list of the 100 men and women whose power,
talent or moral example is transforming the world.
Artists & Entertainers
Scientists & Thinkers
Leaders & Revolutionaries
Builders & Titans
Heroes & Pioneers


IPS(人工多能性幹細胞)の生成技術を開発した山中伸弥氏(54位)、アーティストの村上隆氏(78位)

http://www.time.com/time/specials/2007/time100/article/0,28804,1733748_1733754_1736238,00.html

http://www.time.com/time/specials/2007/article/0,28804,1733748_1733752_1735733,00.html

所謂、芸術家という分類、絵描きという立ち位置をベースにしている者では、間違いなく
村上が初めてであろう。そして今後は誰?となると、このままでは我が国からはもう現れそうにないのもまた事実のような気がする。

2008年・4月5日~7月13日、ブルックリンミュージアムで大回顧展が開催され、ルイ・ヴィトンのクリエイティブ・ディレクター、マー ク・ジェイコブスとのコラボレーションにてルイ・ヴィトンのニューラインナップを展示というグッドタイミング!

そしてTIME100の村上の紹介文をなんとこのマー ク・ジェイコブスが寄稿している。

なにより、この号の裏表紙はゴルバチョフ元大統領が登場するルイ・ヴィトンの広告であるというのは・・・
なんと偶然なのだろうか?(笑。。)

村上はツイている!のだろう・・・(大笑い。。)


いずれにしても、どういった事があろうが、ここまでになると凄い!

村上はスゴイ!

過去世界に認められたという日本の芸術家は多少存在する・・

しかし、“こうなる”、“こうやる”、“これが勝てる方法だ”!と確信的に行動し開示しながら実現した芸術家はこの国には過去存在しない。なんとなく遠慮勝ちに・・後ろめたさを抱えながらというのは多い。それが海外では評価が高いが国内では無名という姿や、まったく話にならないが、国内では超有名だが海外では虫けら以下という存在がやたらと多い。

そしてそのほとんどが、どちらの認知のバランスにおいてもメディアでその考えをコメントしないから、なんとなく偶然かぁ?運が良かっただけ?処世上手?と疑いたくなるような脆弱な根拠しか感じられず、どちらのタイプも同じ日本人としてなんとなく誇りにも感じられない。。し、、まぁ関係ないなぁ的な取扱いか、本人が国内で“私は外国で認められた”という “タスキ”を大仰にかけ闊歩している姿か、“あんなものは芸術じゃない”というタスキをかけた姿しか見かけない。。

 もじゃモギさん 














こいつぁスゲェ!!!

天才だ!!!

もじゃモギさんを見たかい!!




このページに急ぎ飛ぶんだ!

そして真ん中を思いっきりクリック!

↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓

魅惑のサイバーアート“もじゃモギさん”




すんげぇアーティストがいたもんだ。。

↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓

 刑部 素人は戦術(tactics)を語り、

玄人は戦略(strategy)を語り、

プロは兵站(logistics)を語る。









これは非常に重要な言葉である。この逆の順に戦いの規模とその勝敗のポイントがはっきりと分かれてくる。また、最終的な結論から考えれば、逆の順に思考を働かさなければ、とてもではないが結論は得られない。しかしながら戦術と戦略はある意味現実的な感覚、リアリスティックな感性が求められるが、最後の兵站とはそれだけではどうも無理な気がするのである。

ある種の観念的、理想的な志向性を持ち合わせていないと最終的な結論を導き出すために、そして規模の大きさを維持するためにそいうった感性がどうしても必要なのではないか?と思うのである。

それは大将が思い描くもののガイドラインをある程度夢の次元まで膨らませることで維持しないといけないという事と、戦略や戦術といった現実的なもの、特に時間や状況で刻々と変化するものに即時対応できるだけの柔軟性と発想の豊かさが求められ、夢のような発想から如何に現実に落とすかという頭の回転を常に持ち合せていないといけないような気がするのである。しかしながら、必ず軸が存在する。それは戦略や戦術と言った、リアルな現場の中で、ともすれば忘れがちな“大義”であったり“目的”を常にしっかりと持ち合せていないといけない。

この重要性に最初に気づいたのが織田信長だったような気がするのであるが、それを具体的に実戦部隊として動かしたか?ということを考えれば、完璧にこの思考性の順路を辿ったとは言い難い。やはりこの事にいち早く気づいたのは、間違いなく秀吉だったような気がするのである。秀吉は確かに気づいたのであるが、それは歴史的な流れで言えばある種の当然の結論だったと思うのである。戦国トーナメントが佳境に入れば、自然と秀吉側に与する大名も増え、そうなると一つの攻撃ポイントへの軍団の移動という今までになかった大規模軍事戦略を行う必要性が生まれる。これは信長の時代の最終的な局面でも多少はあったが、まだ
各方面軍司令という散逸した軍事行動が主体で、信長の大軍団が軍事戦略に動くまでのことは無かった。しかし後を継いだ秀吉時代には現実的な行動としての必要性が生まれてきた。

もともと、私はこの兵站について秀吉は並々ならぬ感受性を持ち合わせていたと思うのである。その最初の具体的結果と功績が“墨俣の一夜城”ではないかと考えるのである。この成果とは小規模ではあるが、軍団をより攻撃ポイントに近づけ、より有利にその戦略を実行するかというための具体的行動であり、この時分、他の将が様々な攻城策を献じ実行に移しても失敗していた時に、ある種の夢絵空事のような突飛な発想であった敵陣深くに築く基地という彼の思考は、後の様々な軍事行動につながるものを感じる。戦術よりも戦略よりもまず

 ランブルフィッシュ ネットを見ていて

私にとってなのだが、アッという記事にぶつかった。

ミッキーローク復活!
ミッキーローク飲酒運転で逮捕!












実際には復活は2005年で2年前、逮捕は去年の11月でありニュースとしては2年間の距離があるのだが、ネットのニュース性などリアルタイム以外のウェブの残骸はこんなものでしかない、しかしある意味、ヘッドラインだけが先に目に飛び込んできたので内容はよく分らなかったが、このミッキーロークという俳優にとって、、この奇妙な記事が重なっていることにある種の納得がいく面を私は感覚的に許容できた・・

そして、なんとも言えない懐かしい匂いがあった。。

そう言えば、ミッキーローク・・忘れていた。。良い俳優?
と言うよりも、二十歳前後の頃の憧れの俳優だった。

ネットの記事にてミッキーロークを思い出したこともさることながら、ニュースを読み、さらに唖然とさせられるモノが視界に飛び込んできた!

あの端整だった容貌のあまりにもの変化に絶句した・・・

誰?これ???これが・・あのミッキーローク??

80年代のセックスシンボルとまで言われ、セクシー俳優の代名詞にまで昇りつめた・・

あの、ミッキーロークかぁ??

そう!それはまさしく、あしたのジョー、矢吹丈が死闘を繰り広げた好敵手であり、ベネズエラの太陽、伊達男と称えられたカーロスリベラが廃人(パンチドランカー)として街中でうろついている姿を発見した時のような衝撃だった!!

なぜ?こんな醜い姿に??あまりにも変化に彼のこの20年間を調べずにはおれなかった。

日本人が彼の姿を最後鮮明に記憶に残したのは“猫パンチ”だろう?
人気絶頂の1991年ににプロ・ボクサーとしてデビュー、6-0-2の記録を残すが、1995年で引退。はっきり言ってこのボクシング・プロ・デビューで俳優としてのキャリアをつぶしたも同然の結果となる。80年代後半から90年代最初、ハリウッドのど真ん中にいたにも関わらず、映画界からのオファーを断り、なぜか?ボクシングに傾倒していく。一体何がそうさせたのか?若かりし時分に夢見たボクシングの世界への憧憬だったのか?未だによく分らない・・・が、いつしか俳優業に対して情熱を失っていた彼は自分をいじめ抜くようにボクシングに没頭する。リングでの数々の激戦により かつての彼の美貌は失わていき、 鼻骨、肋骨、足指骨、頬骨の骨折から、脳損傷に至るまでダメージはおよぶ。その過程での整形の失敗?なのか・・とにかく端整な容貌はなくなる。そんな破滅的な生き方について行けなかったのか、1998年にはモデルの Carré Otis と離婚。彼は迷走し続け、10年間、映画界から抹殺・・

 黒猫 事務所の引越しも完了し



毎日、京都の街の真中まで通勤している。


大学時分も京都市内に通学していたのであるが、20年ぶりに同じ経路を使うことになった。

当時、時間がかかった記憶があったのだが、今は電車のダイヤも格段に過密化し、冷静に移動時間を考えると家から市内主要箇所へはどこでもそんなに大きな差がないことに気づいた。

京都の交通網は少し不便なところがある。関西以外の他府県から来た場合、先ず京都駅に到着するのであるが、京都駅そのものが南北の線で言えば烏丸という通りに位置し、このポイントから北上するには地下鉄網がここ数年で延伸が完了している。そして東西の主要幹線の延伸も進み御池通りという東西の通りの中心にて京都市内の東西方面への移動が可能となった。これが無かった時分は徒歩、タクシー、路線経路がわかりにくいバスという手段でしか無理があった。

しかしであるこの御池から東に出ても、実は京都の東側の中心地からはかなり北側に位置しており、実際には徒歩もしくはバスにて移動しないと到達できない。ましてや神社仏閣を初めとする観光地はそれ以上に離れているため、至極不便であり以前と基本的にはあまり変わりがないのである。東側の主要交通網は京阪と呼ばれる私鉄が大阪から京都へ入って来るのであるが、この路線は京都駅とは交差していない。そのため京都駅から東側へ行く場合はタクシーかバスもしくは徒歩からしか選択肢がないのである。本質は京都の街のインフラは南北の線にて構築されており、東西の線が非情に脆弱なのだ。その東西の脆弱さをカバーするためにバスの路線が網羅し分かりにくい系統をウェブ状態にて絡ませている。しかし、これが実はひじょうに面倒であると同時に、ある種の利益を生み出してもいるのだが、日本一の観光都市としては如何なものか?と以前から痛感していた。

実は私が今通勤に使用しているのがこの京阪電車であり京都の東側なのである。本来なら私も京都駅に直行していくルートが一番最適なのであるが、これを利用し京都の街中で降りた場合、かなりの距離を徒歩でカバーしなくてはいけないのと、京阪併用よりも一割も運賃が割高になってしまうのである。。

今はこの京阪電車、地下に潜ってしまったが、昔、大学時分は鴨川の横を走っていたため僅かな時間ではあるが車窓から京都の四季を眺められた。今はその感覚をこの電車に乗っても得られないが、それでも20年ぶりにこの電車を使い移動していること、そして京都の街中で仕事をしていることに少しだがワクワクしている。

 山中伸弥教授 20年前

私はある方の薫陶を受けた。当時はそんなありがたいこととは感じず普通に接していたが、振り返ればその方と話、諭されたものが今になって色々な意味で大きな意味を持ち出したことを実感している。

その方は読売新聞の記者をされていたのだが、定年を契機にさる公的な機関の広報の仕事に就かれた。私が出会ったのはその頃のことである。クリスチャンだったその方、O氏は、必ず私達若者の考えを全て聞き、その後自分の考え方をゆったりと話して聞かせてくれた。生意気だった当時、感心することも多かったが大半反発していたような記憶がある。私とO氏の基本的な繋がりの経緯はアルバイトとその窓口担当者という関係だったのであるが、お互い酒が好きなこともあり、
しょっちゅう飲みに連れて行ってもらい、色々な話をしたのである。それは今このブログに様々なことを書いているが、まったく同じような感じであり、歴史、政治、経済、世相…このとき話した内容は今の私の大きな基礎になっている。それは知識という意味ではなく、物事の考え方と言う点において大きな重みとなっているのである。

O氏とある話において衝突した時があった。話のキッカケや内容は今思い出せないが、衝突したポイントだけは鮮明に覚えている。学者みたいなものは大半が無駄飯食いだ!という私の意見に対して言い争ったのである。いや、正確に言うと争うということではなく、懇切丁寧に私の稚拙な論理展開を揉み解すような感じだった。。。

当時、私の大学生活は崩壊していた。また後日そのあたりは書こうかと思うが、とにかく学校を初めとする教育機関や先生と呼ばれる人間に対するアレルギーは頂点に達していた。だからこの時分、私は約2年間近く大学には行っていたが、ほとんど講義には出席せず、気が向いた講義のみ講演会を聞きに行くがごとく出席していた。加えて、いわゆる一般の大学にはどこにでも存在する“ゼミ”というものにも参加していなかった。一回生で留年確定。当たり前である・・
では、なんのために大学に毎日行っていたかというと、簡単に言えば、リストラされたサラリーマンが家族にその事実を伝えられずに毎日公園に出かけているのと同じ状況だったということだ。そしてもう一つの理由は講義の終わった友達と遊ぶための待ち合わせ場所となっていたのである。

そしてその時分はまさしくバブル景気の真っ只中、適当に将来を考えても世の中に札束が舞っているような状況、どこにいても何とかやっていけるというような、今から思うとまさに狂乱の時代であり、その只中にいる我々若者は、これが時代や、これからの時代の価値観はこうや!というなんの根拠もない生活観を茫漠とイメージしていた。猫も杓子も金の時代であり、社会全体も金があふれ返り、“金あまり現象”なる言葉がマスコミを賑わしていた。国はもちろん企業も普通の設備投資や投機だけでは金が遣いきれず、とてつもない刹那的な感覚で金を湯水のように散財していた。こんな日常を毎日眺めていた社会に出る前の若者には、到底この状況が異常であるなどという相対感は持ち合わせておらず、またこの猛スピードで失踪するブレーキの壊れた車の状態を辛辣に指摘する大人も周りには皆無に近かったのである。

 ティム・バーナーズ=リーという男 たまにブログのデザインをいじろうかなぁ?

などという欲求がムクムクと湧いてくるのだが
簡単なパーツの貼り付け程度だと問題ないが、ソースまでいじって変更しようなどと
なると、とてもではないが私の手に余る。。。

以前何度か試しにやってみたが、

見事にページが崩落していった。あまりの惨状に恐怖し

それ以来、ややこしいことは止めておこうとなった。

しかし、最近の動画やそれ以外のもので埋め込みさえすれば、面白いページが出来るということをしってから、また少しずつではあるが、やってみたいなぁ~と言う欲求が勃興し始めている。

先日何気にこのソースというのを調べていて、以前から気にはなってはいたのだが、改めて
ハッと気づき急ぎ調べた!

誰が作ったんや?

いや、それより、誰がどこでこれを決めているにゃ?

英文字で大抵かかれているこのソースという文字。実に不思議だ、このように書き込めばこうなると、物の本やWEB上から切れ切れの知識を得ることはできるのだが、実際にそのとおり行うと赤い背景になったり、文字が大きくなったりなどある種の指示文字の定型があり、それを行うことにより指示どおりの形を示してくれる。

私などのような原理を知らずして物事を行う人間が、この手の仕組みを見てしまうと、クラクラと卒倒しそうになる。なぜ?どうして?

思わず“原始人化”して文明という君主から谷底に叩き落されてしまう…

シッシッ!あっちいけ!

みたいな。。。

もともと、車はなぜ走るのか?などという興味はあっても、キーを挿してエンジンを始動すると
こいつらは動くんだ!と
いう程度で思考をとめている人間である…あとは自動車メーカーとディラーが保証してくれている。つまるところ、自動車メーカーをはじめとする、自動車産業が車を動かしている?という飛躍した解釈で強引の納得している・・

FAXなどもなぜ紙を差込流すと相手に同じものが届くのか???この線を伝っているのだろうか?と少しは興味をもつが、文明がすべてを良くしてくれた・・ありがとう!感謝!合掌!ということで片付けてしまう。

テレビ?なぜ映る?

そんなもん分かるかい!多分テレビの箱の中に小さい“おっさん”やらが入ってるんとちゃうか?
液晶の場合は薄ぺらいおっさんや!

と・・まではひどくないが…いまのITになるとこれに近いものがある。。

メール?よく使うが、原理を考えるなどもってのほかである・・

おそらく

打った文字が空気中を我々が見えない形で飛んでいるんだろう??

 下剋上 この老翁は世の人の成し難き事を三つ成したる者なり。将軍を弑し奉り、また己が主君の三好を殺し、南都の大仏殿を焚きたる者なり・・・・・




下剋上という言葉がある。




最大の下剋上は有史上やはり豊臣秀吉であるのは間違いないであろう。
しかし、秀吉には出世する途上において、下剋上という言葉が持つ陰惨なそして卑怯な雰囲気は感じられない。

主家をひっくり返すのであるから本来はそれ相応の事柄があってなのであろうが、直接的に主家の滅亡を企てたわけではないからそういったイメージとは少し距離がある。

しかし、実は本能寺の変は様々な原因や事情が幾層にも重なりあって起きた出来事あり、秀吉が直接的に絵を描き起こったものではないことは後世の史実の表層からも認識できるが、信長が殺される地に赴く遠因を作り出したのが秀吉であることもまた間違いない史実である。

なぜ?あの信長があそこまで無防備だったのか?

私はこの部分がかなり前から気になっていた。ひょっとすると秀吉はかなりの確率で分って信長を危険な地域におびき出したのでは?もしくは本能寺の変の予見をかなりの精度で持ち得ていたのでは?これは、その後の劇的な中国大帰しなどというマンガ並の出来事を敢行できた最大の要因だったのではないか?という点を線に結ぶ作業を考えた場合、意外とスムーズにいくポイントとなる。よく世間に本能寺の変の情報を得た秀吉軍の中で、黒田如水が秀吉に天下取りの大チャンスと耳打ちし、その後かなり警戒されたなどと言う事がでてくるが、

これはそうではなく、

二人は最初から期待していたことが起こり、それに粛々と乗じていたったというほうが実際にはちかいのではないか?と私は考えている。後日この事実を知っている黒田如水に対する警戒こそが真の秀吉の恐怖する部分だったのではないか?と考える方が実は面白い。

黒田如水も日ノ本一の知恵者として、この事実に対して、あえて口をつぐんでいた方が、常に秀吉との距離を測るため有効であると判断したいたのは容易に想像がつく事柄である。秀吉との距離とは秀吉の天下人としての性格もあるが、天下を伺うということの距離とも考えられる。

秀吉が側近に次の天下を望み得る人物は?と問われ、黒田如水と公言したのは、人の才能人望の大きさではなく、何かしら腑に落ちないものがそこには大きな要素として読み取れないであろうか?周りの者からしても、えっ?となる回答であったと思う。家康、利家その他キャラクター的には如水以上のものがひしめく中で、なんで?となるのではないだろうか。

 夏の邂逅 いつごろからかなぁ?

野球が好きになったの?

多分、小学校1年位だったような記憶がある。小学校2年の時にはユニフォームを着ていた。
小学校に入学し、朝、集団登校の待ち合わせの公園で毎日上級生と出発までゴムボールで野球をしていた。そのころルールもよく分からなかったが、皆でやるこの遊びが大好きだった。









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当然、皆の憧れは“阪神タイガース”
私が小学校に上がったのは昭和48年、このころタイガースは既に優勝から10年近く離れていたが、それでも往年の強さの印象がまだまだあり、我々ちびっこは有無を言わさずタイガースファンに“ならされた”。タイガース以外を好きになることは認められなかった。

無理からにでもタイガースだった。

この時分、小学1年だったと思うが、野球をしていて、今から思うとなんてことのない事柄なのだが、いまだに脳裏にくっきりと焼き付いている出来事があった。

夏休み、友人三人と野球をしようと言うことで、近くの神社の裏にあった、グラウンドのような空き地のような所に出かけた。夏の真っ盛り、強い日差しの中、三人は汗だくになってボールを追いかけていたのだが、流石の暑さに参って、神社の大きな木の下で、少しやっては休み、休んではまたやると言うような事を繰り返していた。

このころ少しルールも分かり、野球に対する興味が大きく膨らみだした頃であった。しかしキャッチボールも満足にできない者同士、まともな野球の練習とは程遠い。ほとんど、いや大半が悪球や取り損ねのボールを追いかけているような状態であった。だから汗だくな理由とは球拾いの労力に他ならなかった。。。

三人、木の下に腰をおろすと、日陰の中で僅かな風が少し冷たく、気持ちよかった。。

すると、木陰の後ろから、女性の声がした。

見るとテニスラケットを持った二人の女性。あの当時、中学生であっても高校生であっても我々の中では全て大人の女性だった。そしてハッキリと顔までは今となっては覚えていないが、綺麗だったような気がした。特に私は親戚にもこのくらいの年頃の女性がいなかった事もあり、なんともいえない眩しさがあった。。。

その女性二人が我々の座っている木の横を通り過ぎようとした瞬間、視線がこちらに向かってきた。

一瞬目が合う。

すると、一人の女性が声を掛けて来た!!

「あれ?ボク達、ここで野球してたん??」

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