2007年02月
会社を休んだ。。
起きると、子供はもちろん学校、嫁は仕事。。
一人である。
うーん・・平日に一人、ちょっとした独身の気分。。
しかしながら体がだるい。。。。ヤッホー!!好きな事するゾォー!ってな気持ちにはなれない。。。
腹が減った、が、当然のごとくなにも無い。。
テーブルの上のパンなどを入れた篭をあさるが…菓子パンだらけで病人が食べるようなものが全く無い。。。はぁ~。。我慢するか?それともだるい体をおしてコンビニにいくか??と思案していると、昔懐かしい藁半紙の束が目に入った。。
うん???学級新聞???
見るとKyoちゃんのクラスの学級新聞らしきものだった。。
初めて見たわけではない。嫁も、自分の子に関することが載ると“まめ”に見せてはくれるが、全てではない。。あくまでも我が子のトピックスだけであるから、普段の紙面はあまり見たことが無い、だから改めてマジマジみると…
へぇ~。。関心した。
Kyoちゃんの先生は結構マメな方のようだ。かなりの頻度で作っているようで、しかもこの時代のこと、スナップ写真、もちろん藁半紙のため白黒で画像も悪いのだが、それでも、我々の時代に比べると上出来であり実に面白い。。
中学校に行ってから、父親の私が参観日に行くことも無くなったから、教室でどのような感じなのかはまったく知らない。そう考えるとこの学級通信はほんの少し娘の日常を覗いているような感じがし、腹が減っているのも忘れぺらぺらとめくっていた。。すると明らかに他の学級通信と紙面構成の違う一枚が出てきた。。
あれっ?なにこれ??
一面に“習字の一字”みたいなものが約30点近く掲載されていた。
うん??
タイトルを見ると、今年一年の自分を表す一字!となっている。。
へぇ~!あれやないか!年末の清水寺の管長さんが書く一字みたいなもんや!!
確か去年は“命”だったかなぁ!
ふぅーん!なかなか良いアイデアじゃないか!
どれどれ?と見ると、なかなか面白い!
勝、前、跳、等々いろいろある。皆がちょっとづつ文字に対する思いをコメントしている。
ところでKyoちゃんは??
と探すと
あった!
『 聴 』
??
一際難しい字ではないか??しかも大抵の字は級友と重なっていたりするのだが、Kyoちゃんの字は他にはいない。。なんで『 聴 』なのだろう??・
コメントを読むと
『ことしは人の話を良く聴く』
とある。。うん??
去年までこの子は人の話を良く聴いていなかったのか???
投稿者 junca 22日 23:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | think
いや、正確には“マイコ”さんぽかった…
うーん・・それも正確ではないなぁ
今もマイコさんぽい。。。。
うーん。。
。。。。
ある日家に帰るとU君が咳き込んでいた。。
「おい!大丈夫??明日も明後日も野球やろ??」
「うん!大丈夫!」
が、見ると“ほっぺ”が赤い!
実は私、このU君のホッぺを見ると触らずにはいられない。。
今だ“あかちゃん肌”の“もちもち”で夫婦で暇があると触っている。
当の本人は大いに嫌がるのであるが、「やめられないとまらない!」で無視して触る!!!
まぁ近い感覚でいうと、あの“プチプチ”のようなものである。。
兎に角、触らずにはいられない!!
それがなんと赤くなっているではないか!
そうなると、一体どんな感触か??妙な興味が高揚し“ぷにぷに”と触るが
いつものように嫌がらない??
「あれっ?」
大丈夫かなぁ??少し気になった。。。
しかし、その後の2・3日とくに体調の変化も見られないし、元気に野球も行っていた。。
ただ、ミョーな咳、しかもたまに激しく咳き込む姿が見かけられ、あー…いずれにしても風邪のひき初めだろうな・・とは感じてはいた。。
その後のある晩帰ると、U君がコタツでぐったり寝ていた。。
あー・・やっぱり。。
嫁に
「U君やっぱり風邪やったか??熱は??医者行った??」
「うん。。」
「どうなんや??」
「マイコプラズマ!」
「なっ、なんですとぉーーー!マ、マイコ●△□???」
一体なんなのか??そのマイコなんとかとは??はたして??聞いたことがない。。。
可愛い息子が…なにか得体のしれない病におかされたのかぁ??
それとも…なんともオドロオドロしい。。キャシャーンのような人造人間の故障のような。。。
聞くと
“肺炎”のことらしい。。。
なぜ?今、すべてわけのわからん言葉を使うのか?理解に苦しむ。。
ホワイトカラーエグゼプション、ってな関係あるのか無いのか判然としない言葉を総理大臣が国会で平然と語っている。。
なにをいうとんねん??あほか??
ニートとかそれ以前だとフリーターとか、
良く考えると、そんなもんは、昔はすべて与太者か世捨て人とか呼ばれて蔑まれていた筈ではないか??
それがいまや
「君?この会社くるまではどんな仕事してたの?」
「はい!フリーターでした!」
などと定職の無い、無頼のような過ごし方を堂々と言ったりする。。。
挙句の果てに、世論の尻馬にのっかり“世間が悪い、大人が、政治が”などと平然と理由まで用意されている。。
投稿者 junca 20日 23:57 | コメント(1) | トラックバック(0) | スタイル
いや、かなり前から漫画を読んでいない。。
小中高、アレほど読んだのに…
中毒の様に、時間があれば漫画を手にしていた。。
一度読んだものでも、気に入った内容のものだと何度も何度も繰り返し読み、漫画の側面が手垢で真っ黒になるくらいであった。
ドラマティックなシーンやカットを何分も凝視し、悦に入ったりしていたものだ。。。
一種の至福の時間である。。
そんなお気に入りの漫画達が、今も実家には300冊近くあると思う。。。
それほど好きだったのだが、何時の頃からか漫画から遠ざかっていった。
たまに昼食で入った店で暇つぶしに漫画を手にする事があるが、数秒ペラペラめくると何故か苦痛になりパタンと閉じてしまう。。面白いとか面白くないとかという事を偉そうに言うほど耽溺できないのである。
だから当世の漫画事情などまったく知らないし、興味も起こらない。
今の漫画が面白くないなどと喝破する資格はないのである。おそらく知らないだけで、現在面白いものも沢山存在し人気を博しているものもあるのだろう。しかしだからといって“ドレドレ”などと興味をもって購入するなどという事は今はあり得ない。知らなくてもイイヤ!
という程度である。。
明かに漫画世界から遅れているというより、隔絶しているような感じである。。
今はそんな状態である私だが、本質は漫画を否定するどころか、漫画文化の信奉者を自認しており、日本の漫画文化は世界に冠たる表現であり誇りにも感じている。。
確かに多少の書物を今まで読み学んだ事も大きいが、漫画から得た知識や考え方なども比較にならないくらい大きなものがある。ともすれば人格形成上大きな役割を果たしたのではないかと思うくらいのウェートを持つものすらあるようにも感じる。。
そう考え、今まで読んだ中で一番はなんだろう??と考えるが、うーん??甲乙はつけられない!!でも、大きな影響と言う意味での印象としては、やはり私にとっては“あしたのジョー”だったのではないかなぁと思う。。
ラスト20巻のなんとも言えない寂寥感はそれまでに見たドラマで感じたことのない感覚であり、印象的な最終ページのカットは今でも頭の中に焼きついている。。
死んだのか?生きているのか?
生死を超越し、説明的でなく、読む人間のイマジネーションを何時までも持続し続けてしまう強烈さがあり日本漫画史上伝説的なワンカットであった。。
ボクシング、ボクサーに青春?人生をかけた青年が世界チャンピオンに挑戦し敗れるのであるが、勝敗を超えた大事なものを伝えたくれた。あたかも実在人物の伝記のように。。
投稿者 junca 15日 02:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | 人物,think
朝、目覚め
テレビをつける
唖然とする絵が眼に
飛び込んできた。
抱擁する六千年前の男女遺骨が見つかる…
六千年??
抱擁
何があったのかなんて
野暮。
六千年間。
人は何か変わったのだろうか?
抱擁する男女の遺骨に
21世紀の太陽の光が注ぐ。。。
六千年前のその日も
同じ光がそこには注いでいただろう。。
三千世界の鴉を殺し 主と添寝がしてみたい。。。
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投稿者 junca 12日 00:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旅
何がという事ではないのだが、なぜかイラツク!
ブログも更新しなくてはと思うのだが、気持ちがどうにも向かない。。
家に帰りアクセスをチェックするとかなりのPVがあったりする。。。。
更新もしてないのに…申し訳無いナァ…
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書こうと思い立ち、頭の中で先ず序文を考え構成するのだが、その日あった事が途中で頭を過り、気持ちが陰鬱になり、ツマン無いナァ。。はぁ…止めよう。。。となる。。
書籍ではないからアクセスしていただいてから更新していない事が確認される。
だからアクセスの更新頻度が高いときと、更新をしない直後とそう変わらないPV現象が起こる。。
だから横着にほったらかしにするのだ。。
しかし、いずれにしてもなんの為にもならないものに時間を割いていただいているという奇特な気持ちを考えると、やはり真摯に恥じ入るべき部分もある。。
こんな事の解消は簡単な事である、嫌だったら辞めれば良いのである。。。。
しかし、横目で見ながら放置している。。。
そんな最近である。
このイライラ虫がツマラナイ悪戯を。。。
少しの間、閉じ込めていた怒りの感情が昨日“爆発”した。
怒鳴り散らした。。。
あーあ・・やった。。。
気付いた時には“焦土”??と化していた…・
自らを律しないとと決意し、極力穏やかに対応し、部下の頭を抑えつけないようと心がけていたのだが、気付くと爆発していた。。
以前から私の気性を知っているものは、“あー!始まった”となったのだが、最近入社したての女性社員は呆気にとられ用事があるにも関わらず、私が怒鳴り散らしている事務所には入れないような感じであった。。
人間、喜怒哀楽という言葉で感情の種類を表したりする。
しかし、常に平板に静かな水面のように顔を並べているわけではない。
どれかが突如盛り上がり噴出する。。
もちろん喜怒哀楽というものが単独に存在する訳ではない、ウェーブするための事柄があるのだ。。“できた” 人間はゆっくりとそのコントロールが出きるのだろう。。ましてや喜楽は回りにとっても不快ではない。それどころか周りにいて共感することもあるだろう。。
喜怒哀楽はスピードもある。。瞬間湯沸し器のごとく怒ることもあれば、よくよく考えると寝れないくらいに腹が立つ!などというスピードのギャップがあったりもする。
なんであんな事怒ったのだろう??良く分からない。。とか、なんであの時怒らなかったのか
投稿者 junca 9日 00:49 | コメント(0) | トラックバック(1) | 人物
一般には豊臣秀吉がその権勢を誇示するために作ったものとの認識があり、侘びや寂びという利休が確立した茶の世界の対極に位置している。
当時そして現代においてもその印象は、成り上がりの露悪趣味として捉えられており、利休から流れを汲む茶室に比べ醜悪至極であると断罪されている。その歴史的位置づけは、天皇に献茶を行なうという権勢誇示の一大イベントのために造作されたパビリオンのようなものであり、また別の解釈としては利休の推進する侘茶の世界に対するアンチテーゼとも捉えられている傾向がある。
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自分が現世のあらゆるヒエラルキーの頂点であり、全ての行いは権力者である自分の懐の中で起きるはずなのに、利休が作り上げた芸術の世界においては、時の権力者すら歯牙にかけない状態に大きな憤り?嫉妬を感じ、その対極を具現化、侘び寂びに対する煌びやかな空間を現出し、侘び寂びという芸術性を飛び越え、表面的な印象からくる“貧乏臭い世界観に対する罵倒、嘲笑を投げかけたような感情を黄金の茶室は性格として持たされた。
現在、この茶室を文献から考察し復元されたものが各所に存在する。
純然たる歴史的検証とその来歴を帯びた茶室という興味ではなく、秀吉が掴んだ天下というものに対する想像をかき立てる代物として、展覧場では鑑賞する人間の興味を引き付けている。
私は、茶はしない。そして現代の茶道界にも興味はない。しかし戦国期に花開いたこの文化自体には興味がある。この文化を飛躍的に発展させる素地を築き上たのは間違いなく利休であろう。しかしそれは、創作、芸術家としてである。全体的な文化のプロデューサーとしてはやはり織田信長だったのではないかと私は思う。
信長なくしては利休を初めとする茶人と呼ばれる芸術家は大成しなかったと思う。信長以降、いや彼以前の大名も含め、幕末までそうなのだが、大名は彼らに茶頭というポジションを与え、芸術家として庇護しつづける。しかし、信長のプロデュースは、後の大名が行なった庇護とは明らかに一線を画する。
信長が後年の大名と違う最大のポイントは、“価値”を発見したのである。
信長は重商主義である。基本的な国家形成概念は、商業を軸としてとらえていたように思う。
それは貨幣を初めとする流通などを国家の中心に置き、兵隊軍人すらも専業という職業性を打ち出したのも信長が最初である。そして情緒的な上下の関係ではなく、信賞必罰、成果主義も彼の組織運営の柱であった。
投稿者 junca 3日 23:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | 人物
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