2007年12月
母から教えられた
一寸の虫にも五分の魂
物心ついた時分からこの言葉は私の中心にあった。
男にとって最高の美徳とは?
私は
損を平然と受け入れる勇気があるかどうかだと思う。
男にとっての、一義を常に確固と持ち合わし
損得を第一義に位置させない。
それが男の美徳だと思う。
小さな虫でも宿る魂は人のそれと変わらない
一寸ほどの虫でも半分ほどの大きな魂を持っている。小さく弱くとも根性や気持ちがある、ばかにしてはいけない ・・・
これが分からない輩には徹底抗戦を宣言する!
人間は肉体だけが動いているのではない。
魂が肉体を動かしてる。
人の魂を見ることのできる自分でいたいと思う。
人の魂を尊重したいと思う。
そしていつも意気地をもっていたい。
なにも大きな拠り所があるわけではないが
私は決して
粗にして野であっても
卑にはなりたくはない。
一票人気blogランキングへお願いいたします。
投稿者 junca 30日 01:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | スタート
それは、
過去経験したことがないくらい猛スピードの一年だったということと、明らかにこの一年がここ数年に経験したものとは異質であったということである。。
自分が前のめりで時間に引っ張られているような感覚、これは時間が足りないという感覚ではなく、恐ろしく知恵を要求される感覚だった。この感覚は、頭を使ったというよりも、過去の経験則でしか今まで日々を過ごしてこなかった証左であり、自分の力不足を痛切に感じた結果だった。
この一年を振り返ると
表裏という言葉が大きなテーマだったような気がする。
物事には必ず表裏が存在する。
陰影ではなく、表裏なのである。
表は確認することができても、裏は確認することができるものとできないもの、それは自信のインスピレーションを働かせ、イメージでしか認識できないものが存在する。しかし人間は必ずこの裏の存在を気にかける生き物であると同時に、探求したがる動物でもある。
そして確信的な結果を必ず導きださないといけない局面を突きつけられ、正解不正解に関わらず表裏の定義を完備しなくてはいけない。
これをこの一年はかなり迫られたような気がする。
ある種、これまでの経験からの部分に頼ろうとも、その割合が極端に低く、アレンジだけでは無理があり、オリジナルの創出を求められた。独創的な発想、これは、ぼぉーとした中で作られるものではないことを始めて感じた。常に頭をフル稼働し、情報を集め、何度も検証し、これを延々繰り返す。そして選択肢を構築し結論を導きだす。
誰かから得た知識だけで裏は構築できない。
相対的な情報選択ではなく、絶対的なオリジナリティーの構築が必要なのである。
私はこの一年それをつくづく感じた。
明らかな勉強不足と経験不足であった。もっと言うとそういった思考回路が脆弱すぎたのである。
しかし、この年末にあることに気づいた。だからかも知れない、この一年をやたらと振り返ろうとするのは・・・・
それを導きだしたキーワードというか
アイコンは
表裏一体という言葉である。
表裏の探求とは表の確認と、その表に写りこまない裏側の色彩であったり、内容の創造という二つの確認行為だと考えていたのであるが、実は一つの真理を導き出す手段に過ぎないことに気づいたのである。表と裏の定義とは、どちらが裏でどちらが表などという区分はもちろん自分で行うのであるが、これは固定的なものでは決してない。関わるものによってコロコロと簡単に変化する。しかし、軸は一つしかない。この軸を中心に回転していて、この軸こそが真理なのではないかと気づいたのである。この軸を理解するための手段として表裏をそのつど想定するのだが、結局、なぜ見えないものが存在する、またさせるのか!ということを考えれば、表に見えているものから十分にその裏の意味は読み解けてくる。まだ初歩的な感覚しかないが、この表裏一体というアイコンからはそれらの指向性を掴み取ることができたような気がした。。
投稿者 junca 29日 02:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | スタイル
今年も終わりだ。
歳末の雰囲気が、自分の体の中にまったくない。
一年が終わる?なんか怒涛のように過ぎていき、あとから感じるような。。
来年は平成20年・・
平成になって20年になるのかぁ?
私が生まれた昭和という時代は
成人を迎える若者から
昭和時代と呼ばれる。
これは明治・大正・昭和と同次元になる。
昔、おばあちゃんが生きていた時分、おじいちゃんの事を
“明治男”と呼んでいた。この言葉の大なる意味は“頑固者”だったような気がする。
そして大正時代は何かしらモダンな匂い。。。
昭和は?どんな匂いなのだろう?
特に私が生まれた40年代は区分すると後半になると思うのだが
今後の若者たちにはどんな匂いに映るのだろうか???
今日、新幹線で読もうと
週刊大衆を買った。。
あっ!と驚いた。
平成に入って丸19年
この間の首相の人数が書いてあった。
なんと
13人!!
19年で13人・・・
平均2年以上無いのだ。。。。
こんなに国のトップがコロコロ変わるのは
何が原因なのか?
今年の一字
清水寺の管主は
大書にて
偽と書いた。
これが今年だが
偽装って
ひょっとすると純粋に受けるとる側の
勘違いなのかもしれない。。
今の首相は
今年の一字
信ってなこと言っていたが・・・
首相が19年で13人も変わるのは、ある意味偽装を暴いた
つもりの我々の勘違いの連鎖なのかも・・
どんだけぇ~
くだらない流行語が無為に
響き渡る。。。
一票人気blogランキングへお願いいたします。
投稿者 junca 26日 04:27 | コメント(1) | トラックバック(0) | think
と、唐突なのだが
U君も来年は6年生。
しかし、“ほっぺ”は、まだ辛うじて赤ちゃん時代のあの
ぷにゅぷにゅ感が残っている。。
私は暇があれば触ろうとするから、彼は事前に察知して
「パパ!今、俺触ろうとしてたやろ!」
と、気づかれてしまう…
一票人気blogランキングへお願いいたします。
よく世間で子供とのコミュニケーションということが話題になるが、私はそんな面倒くさいこと一々深く考えるのもアホくさいので、私の場合は直接スキンシップを図ることにしている。
どのようにするかと言うと、寝ているU君に覆いかぶさり、抱きついて“コチョコチョ”を真剣に行うのだ!そう真剣にだ!
ワキ、脇腹だけではない、おしりも、ちんちんも全て触りまくるし、ケツの穴にも指の腹をあて、その指をU君の鼻先に持っていき匂いを嗅がす。。そして私も愛息のけつの穴の匂いを嗅ぐ!
そして私のも嗅がそうとするが、これはまだまだ拒否反応・抵抗が激しく、実践にはいたっていない。。。実にフラストレーションが堪るのである・・・
変態親子のようであるが、実は私は真剣であり、よく動物、犬などが他の犬の尻を嗅いだりするが、その行為と同様の動物的なコミュニケーションを図っているのである。。よく考えなくてはいけない、大体にして人間は自分のケツの穴の匂いを嗅ぐことはできないし、大半知らないまま死んで行く。だからどうした!となるが、案外人間の深みという点において、自分のケツの穴の匂いを知っている人間と知らない人間には大きな差があるように思うのである。
頭髪やワキ、足の裏、口臭など現代の人間は自らの体臭をかなり気にするが、けつの穴の匂いには無関心である。本来すべての排泄の大本であるはずの部位に一番無関心なのである・・・・
物事は何事にも興味を示さなくてはいけない!
あのサッカーの中田ヒデも“自分探しの旅”と言って、世界中ブラブラしているが、そんなわけのわからない旅に出ないと自分が分らんのか?と皆が感じている?それよりもそんな旅に出る事は一般には到底不可能であり、我々一般にはなんの共感も持てない、それよりもなによりも前にまず自分のけつの穴を自覚するという自らの足元を見つめ直す簡単な方法、そうケつの穴の匂いを知る、知らなくては、真の意味の自分など分ろうはずもない!!けつの穴の匂いを知る、教えるということは、人間探求、自分自身の把握の根本にも近似する行為だと、私は今日もU君と励んでいる・・・
投稿者 junca 22日 23:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | think
この年、私は初めて自分の意志で、これが見たいという思いをもって、天平の甍と影武者を劇場に見に行った。
どちらもプロモーション規模も大きく話題の大作であり、封切り前から見たいという欲求、ワクワク感が高まっており、実に待ち遠しい新作であった。
今のようにネット、dvdやレンタルビデオなどがない時代、そして日本映画が衰退しきっていた当時は、大掛かりな予算を使うこともままならない状況下で出てきたこれら映画はいやがうえにも注目の的だった。
商業的に今のような仕組みが出来上がる前、それこそ完全な興行という意味合いが強かった日本の映画は、観客動員のみが興行収入の全てであり、博打のような様相がプロモーション側にも漂っており、その中で大博打的に封切られる映画は今のプロモーションにはない凄みがあった!
所謂、劇場での次回作の宣伝に使われる
史上空前の規模
空前絶後のスペクタクル
過去最高の観客動員必至!
抱腹絶倒、感動の渦!!
というような壮大な宣伝文句を乱発し
そして最後に
撮影快調!!!
と観客の期待をこれでもかと、豚骨スープのような濃厚さと、そしてとてつもない暑苦しさで引き出していた!!!我々もそれに引きずられ、おぉ!と単純に驚き、封切りを待っていた…
しかも、その監督が黒澤明となれば、世間の注目は他のどの作家よりもボルテージは高く、当時まったく黒澤明や日本の映画界の事を知らなかった私ですらその盛り上がりの波の中に飲み込まれた!
私は黒澤明に関心や興味があった分けではない。影武者というテーマが気になっただけである。この時分より歴史小説にのめり込みはじめ、まぁ、多くの人間がそうだと思うのだが、分かりやすくて面白い戦国時代が私も例に漏れず起点となった。そのタイミングで封切られた影武者という内容に私はミートしただけであり、黒澤作品というモチベーションではない理由で劇場に行かなくては!と思ったのである・・
劇場で見るのはいい。
いや、映画はもともと劇場用に全てが作られているわけであるから、劇場以外、テレビなどで見るのは別物と考えていても相違ないと思う。
映画の内容そのもの以外の、劇場が持つ雰囲気も作品の要素には欠かせない無いものだと私は考えている。。
あの、すぅーっと暗くなり、ふんわりと暗闇の中に誘ってくれ、ついさっきまでの日常と綺麗に分断してくれるのは、色々な芸術が存在すが映画独特のものであり、特にその部分が私は大好きだ。
投稿者 junca 19日 23:57 | コメント(0) | トラックバック(1) | think
コツコツ
「いらっしゃいま・・・あれっ?」
「へへへへへへ、驚いた?今日も来ました・・・実は連泊!」
そうなのである。昨日のバーに今日も来た。
あまりにも良い雰囲気、もう一度行きたくなった。
今日はお得意先の忘年会に呼ばれた帰りである。お得意先の忘年会、少し飲み足りなさも手伝い・・・自然と昨日のバーに足が向かった。。
「そうでしたか、今日もお泊りで?」
「えぇ」
「どういたしましょう?昨日ので?」
「えぇお願いします!ワイルドターキー!」
「かしこまりました。。」
昨日の客は私一人だったが
今日は数組のカップルがいる。。
「おまたせしました、ワイルドターキーです。」
昨日とはまた違った味に感じた。。
傍のカップルに話かけているマスターの話に耳を傾ける
バー、酒を愛する、今はもういない、格好いい人たち
文士、芸術家の話・・・
そのとき
思い出した
サザンカンフォート!
ジャニスジョップリンが生涯手放さなかった”酒”
ステージにもスタジオにも持ち込んでいた。。。
あるかな?
聞いてみた
「マスター、サザンカンフォートあります?」
「はい」
「すいません、サザンカンフォートってなんですか?」
「リキュールです。女性好みの・・」
「キツイですか?」
「いや、それほどでも、、飲まれますか?」
「えぇ、お願いします」
出てきた。琥珀色
口に含むと
甘い!しかし軽い、ある種の爽やかさ
ジャニスはこれを愛飲していたのか?
少し感慨に耽った。。。
・・・・・
彼女
ドラッグと
この甘い
サザンカンフォートに
何を求め?
いや
何を埋めてもらっていたのだろう???
一票人気blogランキングへお願いいたします。
投稿者 junca 11日 23:05 | コメント(0) | トラックバック(0) | song
出張中である・・
食事を終えて宿に戻る途中
古いビルの前を通った
古い
まったく今風ではない
しかし
煉瓦の壁
小さな外灯
無愛想な扉
松田優作がいそうな
そんな店
少し怖いが中に入った
薄暗い店の通路を抜けると
立派なカウンターが迎えてくれ
カウンターの中にタキシードを着た男性が一人
「いらっしゃいませ」
カクテルを頼んだ
美味しかった・・・
何年ぶりだろう?
いろいろ話した
静かな会話
そしてJAZZ
紫の煙
「マスター?バーってなに?」
「これですよ!」
「うん?」
人差し指でカウンターを指した・・・
3メートル?いやそれ以上か?一枚板の立派な
それは立派なカウンター。。。
これって?
そうか
バー?BAR?
あっ!ハイジャンプなんかでも横木のことバーって言うな!
「マスター、ひょっとしてこの木、これがBar?」
「そうです。」
「へぇ!それにしても立派な!」
「そうです、BarはBarが一番大事ですから。。」
20数年変わらず営業しているらしい。。
マスターの後ろにバーボンが見えた。
「マスター?バーボンもらえる・・」
「はい、どれにいたしますか?」
見ると、ワイルドターキーがある。
「ワイルドターキー!」
「かしこまりました、ストレート?」
「お願いします。」
大学生のころバーボンが流行った
その当時イキガッてよく飲んだ。。
バーボンを飲むということだけで
格好よく感じた。。味?
それは覚えていない。。
しかし、懐かしい・・
今、バーボンなんて飲む
若者いるのかなぁ??
「おまたせいたしました、ワイルドターキー8年もの50.5度です」
「ぇ!50.5度?」
「はい」
そんなに度数があったのか?
あの当時これを飲んでいた?
・・・
グラスはヨーロッパのクリスタル
名前を聞いたがよくわからない・・
しかし、底にひとつだけ
粋な気泡が入った
おしゃれグラス
チェーサーの水は
バカラのグラスに入れてくれた
ワイルドターキーを口に含む
ふわぁ~となんとも言えない味が口の中に膨らむ!
そして胃の中で”かぁ~”と受け止める
あぁ!美味い!
こんなに美味しいのか?
いや、こんなにも美味しかったのか?
「いかがですか?」
「美味い!でも」
「でも?」
「あっ、いや?・・・
これを若い時に飲んでいたのか?
思い出せない?こんな味だったのかなぁ?違うような?
投稿者 junca 10日 10:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | スタイル
私はある方の薫陶を受けた。当時はそんなありがたいこととは感じず普通に接していたが、振り返ればその方と話、諭されたものが今になって色々な意味で大きな意味を持ち出したことを実感している。
その方は読売新聞の記者をされていたのだが、定年を契機にさる公的な機関の広報の仕事に就かれた。私が出会ったのはその頃のことである。クリスチャンだったその方、O氏は、必ず私達若者の考えを全て聞き、その後自分の考え方をゆったりと話して聞かせてくれた。生意気だった当時、感心することも多かったが大半反発していたような記憶がある。私とO氏の基本的な繋がりの経緯はアルバイトとその窓口担当者という関係だったのであるが、お互い酒が好きなこともあり、
しょっちゅう飲みに連れて行ってもらい、色々な話をしたのである。それは今このブログに様々なことを書いているが、まったく同じような感じであり、歴史、政治、経済、世相…このとき話した内容は今の私の大きな基礎になっている。それは知識という意味ではなく、物事の考え方と言う点において大きな重みとなっているのである。
O氏とある話において衝突した時があった。話のキッカケや内容は今思い出せないが、衝突したポイントだけは鮮明に覚えている。学者みたいなものは大半が無駄飯食いだ!という私の意見に対して言い争ったのである。いや、正確に言うと争うということではなく、懇切丁寧に私の稚拙な論理展開を揉み解すような感じだった。。。
当時、私の大学生活は崩壊していた。また後日そのあたりは書こうかと思うが、とにかく学校を初めとする教育機関や先生と呼ばれる人間に対するアレルギーは頂点に達していた。だからこの時分、私は約2年間近く大学には行っていたが、ほとんど講義には出席せず、気が向いた講義のみ講演会を聞きに行くがごとく出席していた。加えて、いわゆる一般の大学にはどこにでも存在する“ゼミ”というものにも参加していなかった。一回生で留年確定。当たり前である・・
では、なんのために大学に毎日行っていたかというと、簡単に言えば、リストラされたサラリーマンが家族にその事実を伝えられずに毎日公園に出かけているのと同じ状況だったということだ。そしてもう一つの理由は講義の終わった友達と遊ぶための待ち合わせ場所となっていたのである。
そしてその時分はまさしくバブル景気の真っ只中、適当に将来を考えても世の中に札束が舞っているような状況、どこにいても何とかやっていけるというような、今から思うとまさに狂乱の時代であり、その只中にいる我々若者は、これが時代や、これからの時代の価値観はこうや!というなんの根拠もない生活観を茫漠とイメージしていた。猫も杓子も金の時代であり、社会全体も金があふれ返り、“金あまり現象”なる言葉がマスコミを賑わしていた。国はもちろん企業も普通の設備投資や投機だけでは金が遣いきれず、とてつもない刹那的な感覚で金を湯水のように散財していた。こんな日常を毎日眺めていた社会に出る前の若者には、到底この状況が異常であるなどという相対感は持ち合わせておらず、またこの猛スピードで失踪するブレーキの壊れた車の状態を辛辣に指摘する大人も周りには皆無に近かったのである。
投稿者 junca 6日 23:57 | コメント(0) | トラックバック(5) | 人物
野球・オリンピック予選。
実にいい試合だった。結果は大量得点差での快勝ということなのだが、そのプロセス、途中逆転され、その回の裏反撃にでたところが実に良かった。
日本の野球らしい野球、スモールベースボールと銘打っていたが、まさしくコンパクトで無駄の無い、相手の隙を鋭く突く攻撃、ものすごくシビレタ!!
一票人気blogランキングへお願いいたします。
勝利インタビューで目を潤ませながら話していた星野監督を見ていて、思わずもらい泣きをしてしまった。
本当にいい内容だったと思う。あの乾坤一擲のスクイズ作戦、それを最大の突破口に皆がコンパクトに逆方向に打ち返し打線が途切れることなく畳み掛けたのを見ていて震えがきた。
そえぞれがそれぞれの役目を十分に果たし、次に繋ぐ、だれか大砲に頼ることなく全員がチームのために尽くす、本来どの選手を取り上げても超一流のプロなのだが、皆一選手として進塁だけを考え、全力で勝ちに向かう姿に感動した。WBCでもそうだったが、やはり世界を相手に日の丸を背負って戦う姿、これは本当に感動する。
監督・コーチも大変だったと思う。想像を絶するプレッシャー、それに立ち向かう姿、これはWBCの王監督もそうだったが、今回の星野監督も勝ったあとの安堵の涙は見ていて本当に感動した。日の丸の重みとよく簡単にマスコミは言うが、とてつもない重圧であることは間違いない。
それは視聴率を見てもそうだろう。その中で力を発揮し、実績を残すなど並大抵の精神力ではないし、今回もう一つ感動したのは、星野監督が“子供たちに夢を与えたい”という事を高らかに宣言していたのは、小さな野球少年を持つ父親からすると、かなり“ジーン”とくるものがあった。
今、色々楽しいことがある。ゲームやテレビ、インターネットその他のおもちゃ、我々の子供時代とは比べようも無いくらい遊興には事欠かない。
しかし、やっぱり、そんなものより、野球に限らないが、高い次元で戦う男達の姿、そして国を代表する男たちの戦い、これは自分の息子には是非にも感動してもらいたい。対戦相手はもちろんだが、プレッシャーという自分との戦い、そして仲間があって初めて活かせる自分のプレー、そして自分のプレーで仲間を救う。こういった事を一流のプロが金とか条件を後に回し、プライドを前面に押し出して戦う姿にこそ真の感動があり、子供には大きな夢を与えられるのだと改めて確信させられた。。
投稿者 junca 4日 23:57 | コメント(0) | トラックバック(0) | 子供
どうにもブログ更新が停滞した。。
とくに理由はないのであるが、なんとなく書くこともなく、
そのまま12月に突入していった。
一票人気blogランキングへお願いいたします。
例年とどうも感覚が違う今年、スケジュールも毎年とは少し違うのである。。
ここ数年、あー!コート買わなぁ!と思いつつ約3年…
うーん!今年は!と一念発起で昨日“世界のユニクロ”に直行したが・・気に入ったものがなく・・・
結局、ユニクロのオンラインストアで購入した…自分一人でコソコソ買うのもなんかなぁ?って言う感じなので嫁に相乗りしない?と気を使うと、なんと!
パンツのオーダーを一緒にさせられてしまった。。こんなことなら…
俺の名前で婦人もんのパンツかぁ?絶対オペレーターに変に思われとる…・趣味かなぁ?見たいに!と…ブラックマヨネーズの漫才のような妄想が頭を駆け巡った…
なんかがチグハグしている。。
まぁドンくさいだけかもしれないが・・
わずかなことが、ちょっとずつズレたような感じで芯がクニャクニャしたような毎日である。
誕生日かぁ?と考えながら適当に更新したのがいけなかったのかもしれないのだが、今日改めて誕生日、そう生れた時のことを考えなおしたが、やはり先のブログに書いた通り、私には終わりの始まりというのが一番しっくりとくる。。いろいろネットで調べてもやはり最終的に行き着くのは、人間は唯一、死ぬことを知って生きている生物であり、それを生涯考えつづける生き物であると帰結している…
うーん。。
ちなみに
yahooの検索キーワードに“生命”と掘り込むと2ページ目まで生命保険会社のホームページが上がってくる。。
そして“死”と入れると、こちらのキーワードは上位に哲学的な内容のものが多く含まれる。。
さぁ!これをどう解くか?なんてくだらないことを考えながら、パラパラ…・・
まぁ、実際、死ぬことを知っていても、実際に生きている生物としての疑問、難しい言葉で言うと形而上学的観点に立ち、何故我は存在するのか?などという疑問を持ちつづけているような人間は少ないやろなぁ?と思うのと同時に、死んだときに得る金の方が遥かに興味と疑問が高まるのは現代の人間としては当たり前かとも思う。。
現代は命よりも健康が大事な時代なのである…
所詮、究極は他人事でしかないのである。まさか自分が死ぬなどとは誰も考えていないだろう。それは明日とか明後日という少し想像できる時間の範囲内では・・
投稿者 junca 3日 23:57 | コメント(0) | トラックバック(1) | think
一寸の虫にも五分の魂
表裏一体
メタファー
Bar 2
死に方
はてなに追加
MyYahoo!に追加
livedoorClipに追加
Googleに追加

ブログ王へ
週刊ブログランキング













.jpg)





