2005年09月
私は“今日は何の日?”というのが結構好きで暇があると調べる。
しかし、調べるが結局忘れて行くのだが。
今日も何気なくネットで調べると、明日10月1日は“日本酒の日”らしいのだ。
その理由は、新米で酒造りをスタートするのが10月、酒つぼを表す「酉」の字は十二支で数えて10番目、昔は酒造年度が10月1日から1年間とされていたなど、なにかと馴染み深いこの日を選び、全国酒造組合中央会が清酒のPRデーと1978年からしたらしい。
思い返せばお酒とは長い付き合いになる。初めての出会いは忘れたが、意識して初めて飲んだのは確か16歳くらいだったと記憶している。
私の父は日本酒党で年中熱燗を飲んでいる。中元歳暮で貰ったウィスキーやブランデーなどは年に数回しか口にしない。だから昔の家にはどこにでもあったサイドボードには、常に飲まない洋酒が飾ってあったのだ。その酒を私は興味本位で拝借していた。
最初は、ばれない様に色の濃いビンの酒を選び飲んだ。理由は簡単、減りが外側からわかりにくいからである。
最初は、「どんな味がするんだろう?」という事だけだった。
ドラマなどで水割りというのを大人はよく飲んでいたので、見よう見真似で作り飲んだが、
まったく不味いジュースのようなもので、酔うなどという事はまったくなかった。
「うーん、なにが美味しくて、なんで酔っ払うような事になるんだろう?」
と次はロックというのをやってみた。喉が焼ける様に熱くなり、味も濃厚で不思議と体にあった。そして飲んで暫くすると、体がぽかぽかと内側から熱くなり、良い気持ちになった。
「うーん、これが酔っ払うということかぁ?」
という調子で酒との付き合いが幕を開けたのでした。
大学に入り本格的な酒との交際がスタートする。
所謂“コンパ”というものだ。私も一応サークルに参加しており、新入生歓迎など様々な飲み会に参加したが、我が大学はどちらかと言うと硬派で、コンパも1回生にとっては阿鼻叫喚の世界になり、コンパと聞くだけで“ムンクの叫び”状態であった。
ひどいものであった。とにかく潰れるまで飲まされ、そんなことが1回生が終わるまでの1年間続いた。一気なんか可愛いもので、一気はすべて日本酒、飲み干すと建て物の1階から4階までダッシュ。当然別けがわからなくなる。一番から抜けさせてもらえるが、遅いと再度一気そしてダッシュの繰り返しである。とにかく絶対服従なのだ。あるとき大学のイベントで京都の街中をパレードして終点が鴨川というイベントがあったが、イベント終了後例によって飲み会が河原で車座で始まる。初めて参加した我々はそのイベントがどんな物かそしてその後の飲み会がどんな物かまったくしらなかったが、宴たけなわのタイミングで2回生が立ちあがり我々1回生の後ろに立つ。そして一人一人鴨川へ放り込まれていくのでした。
投稿者 junca 30日 22:42 | コメント(0) | トラックバック(1) | スタイル
この調子だと来月は、中頃まで出たり入ったりといった感じが予想される。そしてこの時期大抵プロ野球もシーズンの結果が出るのだが、なんと我が“阪神タイガース”が昨日セリーグの優勝を決めた。
どうも今年は強かったみたいだ。と他人事の様に語ってしまう。
2003年の優勝から中1年でまたもや優勝と、実に常勝軍団に生まれ変わっている。
確かにうれしいのだが、なぜか私は寂しいというか“うーん違う?”という感じが強くある。
私が小学校に上がった時分、町内で少年野球のチームができた。勢い私も参加したのだ。毎日が野球のことで回っているようなくらい熱中した。そんな関西の野球少年の憧れは勿論阪神タイガースでした。私たちの時分は村山実が現役を引退し、スター選手は田淵、江夏、藤田平、遠井吾郎、中村といったメンバーの時代で、しばらくして掛布が登場する。そしてKBS京都という地方局では“ガッツタイガース”とかいう番組が毎週土曜日の晩放送され、噛り付くようにみていたのだった。
この時代タイガースは1度も優勝していない。私が生れたのが1966年、タイガースが優勝したのが1964年、生れる2年まえを境に1985年まで優勝はなかったのだ。
子供時分毎年毎年一生懸命応援したが、毎年毎年優勝しなかった。実際子供ながら「生きてるうちに優勝をみれるだろうか?」という恐怖に苛まれるくらい勝てないチームだった。また落語家の八方がよく“PL学園よりよわいんちゃうかぁ!”といっていたが、関西では冗談じゃなく、真剣に“そうかもぉ!”と考えてた人が少なくなかった時代だ。
昨日タイガースの公式ホームページを見ると、私のこの時代を“苦闘の時代”と書いてあった。しかし私たちチビッ子には憧れて憧れて止まないチームだった。クラスの9割はタイガースファンで被る野球帽は黒に黄色のタイガース、着ているTシャツやランニング(タンクトップ)はタイガースのユニフォームを模したもので、背中には“28”“22”“6”“31”という数字が燦然と輝いており、バッティングフォームを皆して真似ていた。
「田淵が打つときはなぁ、こうなんや!」とか
「掛布が打つときは、こうやってチンポとこ触りよんねん」とか間違いなく皆のヒーローでした。年に1度タイガースは京都の西京極球場にやってくる。小学校3年だったと思うが、町内の子供会で見に行った。阪神対大洋という対戦で阪神は負けたが、それよりも試合終了前皆で金網によじ登り試合終了と同時にグランドに入り一目散にタイガースのベンチに爆走した、しかし負けチームのタイガースはさっさとベンチを後にしており、辿りついたときには誰もいなかった。しかたなく皆で警備員に追いかけられながら大洋のベンチに直行した。大洋のベンチにはこの試合の勝ち投手で“カミソリシュート”の異名をもっていた平松が記者のインタビューを受けていた。恐る恐る近づいてみると、岩のように大きな体で、スパイクをはいた足はフライパンくらい大きな物に感じた。私達は“憎っき平松”の背中を“バシバシ”たたき一目散にスタンドに戻った。折角みにいった試合でも阪神は勝たなかった。
投稿者 junca 30日 06:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | スタイル
同じ会社なのにそれぞれの権益が存在する。
本来は分掌化されておりシンクロする事が無いはず
である。
当たり前であるそのために分掌化を計るのだから。
しかし実際は曖昧なグレーゾーンが存在し、権力のポイント
によってそのゾーンが常にぶれている。
そう言った狭間に挟まれ翻弄されると実に厄介である。
これは社内間のことではなく、取引先との間の事を少し
抽象的に語っている。
グレーゾーンを覗き見る各部門の担当、覗く瞬間、人間の
本性を垣間見る。
卑怯な男が存在する。そして結構な権力を振りかざし
一番弱い立場の存在を悪者に仕立て上げる。事実であろうが
無かろうが関係無い。保身こそが最優先事項なのだ。
卑怯なことより、上司から叱責を受けることを恥じと感じ
局面局面が全てで筋など関係無い。
筋を通す事ほど愚鈍で無能な事はないのであろう。
逆に考えると、だからこそ権力を持つに至ったのであろう。
少し抽象的すぎたが、今日は見事な“卑怯男”を見た。
あそこまで卑怯だと“あっぱれ”であり、一つの哲学である。
中学校より始めた心の中の、“絶対こいつ「しばいたる」リスト”に
めでたく今日一人新たなエントリーが増えた。。。
投稿者 junca 27日 23:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | think
最近は毎日と言うわけにはいかないが、休日には
必ず1時間は歩いている。
6月から始め現在もうすぐ10月。その間季節の変わり目
を草花で感じてきた。それまでは休日というと昼間から酒を飲み就寝時には必ず酔っ払っていた。だから自分が住んでる住宅街の周辺など全然しらなかった。
しかし歩いていると気づいた、結構美しい田園に囲まれた住宅街
だった。
黄金色の田園をいろいろ夢想し歩く、実にいいものである。
今日も歩いたが、ふと足をとめ田んぼに目をやると
稲穂がたわわに実っていた。
実るほど頭を垂れる稲穂かな。。。。
実に美しい日本のちいさい秋の訪れを見つけた。。。
投稿者 junca 25日 19:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | スタイル
それは自分の母親が傍でいろいろ面倒をみたり
なにかと動けない体の手伝いを気兼ね無くしてもらう
ためだと理解しているのだが、うちの嫁の場合、その時期実家に帰ったが、母親は交通事故で入院してしまったところだった。
だから実家にもどったが、父親が馴れない事を遠慮しがちに手伝って
いたのが現状だった。たしかにこんな状況は世の中一杯あるだろうが
もともと帰って母親に助けて貰おうと思っている者からすると、
突如母親がいない状況は多少の不安があっても仕方が無い。
そして私は延ばし延ばしにしていた名古屋への出張が、これ以上延ばせない状況になり、不安ではあったが、行かざるおえなくなった。
当時は携帯電話がなく、日中すぐに状況の確認ができなかった。そのため
出張中1日5~6回、公衆電話を探しては嫁に電話をしていた。
もし出産という状況になれば、すぐに帰るからと嫁にも義理の父にも告げて
出張にでかけていた。
出張最初の2・3日はなんの変化もなく過ぎて行ったが、9月29日午前3時!
に泊まっていた旅館に電話が入った。旅館の敬愛する“おかあちゃん”が部屋に来て
「家から電話やで早くでて!お義父さんから!」
「はっ、はい!」
“いよいよかぁ”と心のなかで呟いた。そのとき時間が何時かは気にかけなかった。
「〇〇君か、大変や!どうも“破水”しよったんや!!ものすごい量の水みたいなもんだしよった!!今から急ぎ病院につれていくわ!」
「えぇー大丈夫ですか、お願いします、すぐに帰りますから!」
と向こうも男で良くわからないし、私も状況がまったくわからなかった。
それよりも、めちゃくちゃあわてた“もう、すぐにうまれるんだぁ”と完全に思いこんだ。
そして旅館の“おかあちゃん”に事情を説明すると
「心配無い!すぐには生まれんから、朝一番の新幹線に乗っても十分おつりが来るくらいよゆうがある」というが、
私は「いっいや、すぐに車とばして帰ります!」
「こんな時間に寝不足であぶない!私は4人も子供生んでる、孫の出産も10人みている、大丈夫!」
「でも!嫁ともお義父さんとも約束しましたから、とにかく今から帰ります」
と心配する“おかあちゃん”を振りきり、急ぎ服をきて車のエンジンをかけた、たしか午前4時前だったと思う。
名神高速を走っているとき、もう生れたんじゃないだろうかとか、何かあったんではないだろうかとか様々なことが走馬灯のように頭の中を駆け巡った。気づくと140キロくらいのスピードで爆走していた。
投稿者 junca 25日 15:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 子供
今日はそのための買出しに近くのスーパーに行った。
早いもので今月の29日には12歳になる。今でも12年前の事は
昨日のことのように覚えている。
そして私を指導、教授してくださった諸先輩方も、折りにふれ
“子供大きくなったか”と気にして下さる。それは子供の成長もさる事ながら
私自身の成長をも心配してくださっている。
思い返せば何も具体的な事を考えずに結婚し、なにも考えずに知らないうち、意識しないところで子供ができた。そんな感覚が正直な感想であった。
結婚し半年経った頃、仕事も責任重い担当に配置換えになり、いっぱしの社会人としての自分が,主体的でなくても回りからどんどん求められるようになり、そして色々なことが自分として求める求めないとに拘わらず変化していき、独身時代とは違う自分を作り出して行かなければまともな仕事が出来ないような環境になっていった。
そのとき具体的に家庭という事に自分の意識が向かったのを覚えている。平たく言うと“逃げられない”という事が目の前に現われた。
今までは、気に入らなければそれだけでも理由として通してきたのだが、ある種の責任、それは自分のためだけでは無くなっているのに“やっと”気づいた。
それまでの私はまったくの“アホ”でした。金銭・時間その他もろもろ、大学から延々野放図な生活を送っていただけなのでした。
それまでの家庭は、結婚後も恋愛の延長でしかなかった。
しかし子供ができたということを聞いたとき、私はうれしいよりも先に、今の自分を冷静に見ると“なんと頼りない”こんな父親では生れてくる子供に申し訳ないと強く感じたのと、同時に強い恐怖感も感じた。
ドラマとかでは“やったぁー”とかといって父親になる夫が喜び、嫁を抱きかかえるというシーンがよくあるが、正直私にはそんなものはなかった。
「俺が父親かぁ。。。。どうしよぉ。。。」という思いがあっただけだ。
12年前、ちょうど今ごろの時期、予定よりかなり遅れて子供が生れてくるカウントダウンだったが、この時期いろいろ大変な事が多かった。
私は出張に2週間出なくてはいけなかったし(出産予定に併せて日程を組んだが出産予定がことのほか遅れた)、嫁の母親は交通事故で入院したところだった。
今のように携帯電話がなかったあの頃、カウントダウンが進むなか、皆が不安にかられていたのでした。。。。。
投稿者 junca 24日 22:27 | コメント(0) | トラックバック(0) | 子供
家に帰ってから一人で祝杯をあげていた。帰るのが
遅くなり、疲れていたせいか結構早くに酔いがまわり
知らないうちに居間で寝てしまっていた。
この私の状態を通常家族は気絶と呼ぶのだが、まさしく
昨日は気絶だった。
何時間くらい寝たのかわからなかったが、目がまぶしくなり
瞼を薄っすらあけると、見覚えのある顔が除きこんでいた
嫁である!
「いつまで寝てるの、今日何の日かわかってる?」
こう言う問いかけにはわからなくても解ったように返事をしないと
ハリケーン・カトリーナ級の大惨事を招くので、
「あぁ!もちろん!」
「だったらさっさと起きてグランドいって寝てきたら!」
「???」
「あっうんそうするわ!」と答えたがまったくわかっていない。
たいした容量もない自分の脳みそというハードディスクと
スローモーなCPUをフル可動し煙が出るくらい考えたすえ
“あっ今日子供の運動会や!”とやっとわかった。が!
その瞬間、嫁が察知し「やっぱりわかてなかたんとちゃうん!」
「そっそんなことあるかい!KYOちゃん小学校最後の勇姿を父親の俺が
忘れるわけないやろ!あほやなぁ」ととにかく繕って出かける事にした。
しかしである、運動会は9時からなのだが、私が出かけたのは7時半である。
嫁に「ちょっと早いんとちゃう?大体、門しまってないかぁ?」と聞くと
「わかってないな!毎年言うやろ!カメラポジション!」ととにかく良い場所を
とってこいという指令なのでした。
レジャーシートを脇に抱えトボトボと小学校まで歩いていくと、すでに数名の
男性、そう、まさしく同胞が来ているではないか。
私は嫁の指令通りゴール前の場所にレジャーシートをひき、体を横にしウトウトと寝る事にしました。
いよいよ始まりの時刻となり、定例どおり校長の挨拶が始まる。
私は現在の教育者に対してはネガティブな考えを持っているので、この校長の
挨拶にも大した興味を最初もっていなかったし、ただのセレモニーとして、ぼぉーと眺めていたが、この校長の一言で体に電流が走った!
「運動会は“勝ち負け”の世界です!」
えっ?今の教育者って、平等とか、ゆとり、参加することの意義とかいう眠たい事言うのではと思っていたが、この校長、開口一番“勝負”です、だからそのために努力してきたことを如何なく発揮しなさいと“のたまった”!
私は思わず、「そうだ!」と言ってしまい、回りの父兄の注目を浴び、嫁におこられたのでした。
投稿者 junca 23日 21:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 子供
(K氏とは:http://spaces.msn.com/members/artis/アーティスダイアリー:芸術家と共に歩む日々を綴る)
先日の“東京”という私のブログエントリーを読んで、「どうしたの?」と心配していただいた。適当な事を軽率に書いて反省した。
ブログというのは不思議だ、最初は誰か一人でも見てくれればという謙虚な気持ちと、別に誰も見てくれなくてもいいや!という横柄な態度が内混ぜで書き始めたが、だんだん見てくれている人が増えるにつれ、もっともっととか、ほっといても誰か見るやろ!とか段段不遜に変わっていく。少しでもカウンター数が減ると“なんでやろ?”とか戦術や対策をとかいろいろ考えるようになる、そして“なんで見いひんねん!”と憤ったりしてしまう。
私の場合、最終目標に向かってとか、ニッチな情報とかという固定的に見ていただく方をどうも作っていないような事がデーターからだんだん解ってきた。少なくとも、もう少しダイアリー風の方がいいのかなとも思うのだが、もともとなんの為に書いているのかの根拠がないのが最大の問題である。なんどもダイアリー風を試みるのだが、とてつもなく面白くない。最終的には今日これこれを食べてというような医者の問診表みたいなものになってしまう。そう考えると実にツマラナイ日常をすごしている。ちなみに昨日今日をダイアリー風に書くと以下のようになる。
今日は四国の取引先の営業員30人を前に当社の企画をプレゼンテーションした。実に前向きに捉えていただき、成果を期待できると実感できた。この仕事のため前日に四国入りし打ち合わせを行った。打ち合わせ終了後、取引先の方々と何時もの小料理屋へ行く。
私は四国に行くたびに2軒贔屓にしている料理屋がある。一軒は漁業関係の会社が経営している海鮮料理屋、そしてもう一軒は土佐料理の店である。今回は土佐料理の店を利用した。
関西にいると気づかないが、間違いなく西日本は“魚”の種類と新鮮さに関して関西とは各段の差がある。というよりも異次元に近い。今回絶品だったのは“さんまのおさしみ”だ肉厚鮮度ともに申し分なく、こんなに美味しいものは初めてだった。ほとんどマグロのトロのような感覚で、固定観念のさんまとは別物だ。
って書いていても、つまらないんですよーーーーーーー。。。。
なんか四国へ“さんま”食べにいったような。。。。。
実際、仕事の印象より“さんま”の印象のほうが各段に強いのである。
一つの目標を持ったダイアリー風ブログ“あこがれるなぁ!”
投稿者 junca 22日 00:59 | コメント(1) | トラックバック(0) | スタイル
KyoちゃんとU君に促され、おじいちゃんとおばあちゃんへのプレゼントを買いに行った。
Kyoちゃんの提案で二人のお小遣いから買おうという事になったのだが、予算が一軒(じじばばペア)500円とかなりタイトな予算な為、最初から選品には難航した。なにげなく「じゃぁ百均いこかぁ!」と提案すると、怒涛の猛抗議を受けた。金額が合っていてもプレゼントの場合駄目らしいのである。
探すこと2時間、ふっと見るとU君は早々に“ムシキング”に興じその後“おもちゃ”売場へ散策に出かけたみたいで、選品はKYOちゃんまかせである。
「あれ?U君は?」
「おもちゃ売場ちゃう?」
ここでKYOちゃんの名言!
「おもちゃみたいな人生やん!あいつ」
小6にしては、さすが!と思わず関心した
おもちゃみたいな人生!わたしは凄く関心し、瞬間にマイブームになった。凄く素敵な言葉に聞こえた。
よく考えると、男の人生なんて“おもちゃの人生”みたいじゃないだろうか!
たえずおもちゃを探しているみたいなもんだと思う。そして、おもちゃは決して捨てないのだ、いつまでも。。。
私が小学校5・6年生のころ、日本全国スーパーカーブームで沸き返っていた。当時の日本には存在しなかった、グラマラスでシャープ、本当にスーパーな車たちが当時のチビッこに衝撃を与えた!!
特にチビッこ最高の憧れは、ランボルギーニカウンタックで、ドア-がガルウイングという真上に開くタイプの近未来型戦闘機のような車で、見るだけでとてつもないアドレナリンが吹き出た。
その次に人気はフェラーリで、あの深紅の流麗なスタイリングに立ち尽くした。
そしてこの人気のバックボーンに存在したのが、サーキットの狼という少年ジャンプに連載していた漫画だった。主人公はロータスヨーロッパスペシャルに乗っており、この車もチビッこには垂涎の車であった。
近くでスーパーカーイベントがあると、我々チビッこはチャリンコにまたがり全速力で会場を目指し、警備のおっちゃんに怒られるまで眺めていた。またあるとき近所の車庫に“マツダ・コスモスポーツ”(スーパーカーではないがウルトラマンのmatの車)がとまっているという情報を得ると、またまたチャリンコで駆け付け、オーナーが嫌がる中を舐めまわすように眺めていた。とにかく夢に出てくる位好きだった。そんなチビッこが唯一オーナーになれるのが、プラモだった。ありとあらゆるタイプを皆が作って夢を馳せたのであった!
投稿者 junca 19日 23:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | 子供
から4ヶ月になる。
いまだに違和感が残るが、医者曰く、残りつづける
らしい。発症時から先月までの3ヶ月間は不思議と
時間の余裕もあり、ウォーキングやストレッチそして
食事の摂生とかなり健康的な生活を送ってきたが、
今月に入ってからは、かなり忙しくなりまたもとの生活に
戻りつつある。いけないのは承知なのだがこればっかりは変えようがない。ある意味仕事を変わらなければ無理だ。
よくよく考えるとこの11月で39歳になる。倍にすると
78歳だ。一体いつまで生きられるか解らないが、78歳というと
おおよそ男子の平均寿命に相当するのではないだろうか、そうなると
間違いなく半分になったのか、もしくは半分を過ぎたことになる。
少し哲学的に考えると“死ぬためにいきている”ような感覚もなくはない。
ある人が語っていたが、人間は生れたときから死が与えられている。
生命の誕生を起点に終点も存在するのである。もっと深く考えると死が起点
で生命の維持が終点なのかもしれない。
究極の哲学観から考察すると、生きていく事は“暇つぶし”かもしれない。
幸か不幸か人間には智慧と欲望が存在した。
たしかにいつまでも人間が死ななければ、一体社会はどのようになっているのだろう?
すこしノイローゼ気味だが、私にとってはこのヘルニアという症状はショックであった。もうすこし詳しく言うと、ヘルニアそのものがショックというより、そのことによって体が動かず寝たきりになったのがショックであった。過去軽少なる傷病はあったが、生活そのものがストップするような事は初めてであった。それゆえに寝ているときに考える事が一杯あり、そしてその考える行為を許す時間が無限に存在するかのようであった。
もっと単純に考えると時間が止まったのである。
他人から言わすと“休め”という暗示であり、休むべきときだったという。
そうかもと考えることもあるが、私には休めたどころか、かえって恐怖で
神経衰弱ぎみになった。
正直二度と御免であるし、休むという意味がよくわかった。
やはり私にとっての休みの感覚は“忙中に閑あり”で結構だ。
自分を見つめると“マグロやカツオ”のごとく生涯泳ぎ続ける魚かなと思う。。。。
でも何時か自分の意思の及ばないところで、ストップせざるおえない事もあるのだろうなぁ。
投稿者 junca 18日 16:44 | コメント(0) | トラックバック(0) | スタート
投稿者 junca 16日 01:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旅
会社のメンバーと取引先の人達で
オオクワガタの幼虫を買った。
以前にもこのブログで書いたが、私は基本的にクワガタが大好きだ。
オオクワガタを買った話を皆にしていると、
「そう言えば懐かしいなぁ」と言う事になり、いい大人が皆で買うことに
なった。
確か2,000円だったと思うが、皆で買うので少しまけてもらった。
なんか生き物を値切って買うのもへんな感じがしたが、生き物に値段がついてるのも
よくよく考えると変だ。一体原価計算はどうやってだしているんだろうか?
買ったメンバーは50代が二人40代が二人そして私30代である。
買うのはいいのだが飼い方が良くわからない、以前私が買ったのは
成虫だったので餌さえやればよかったのだが、今回は幼虫なのでまったく
勝手が違うのである。
売っていた怪しげなおっちゃんに聞いてみた、
「これどうやってかえすの?」
「あぁ!それな、そのままでええんや!なんにもせんでええで!」
「ほんまかいな?」
「ほんまや!絶対触ったらあかんで!」
「ふーん」と皆で疑問に思いつつも、まぁいいっかと持って帰った。
それから2ヶ月して
「ところで買ったオオクワの幼虫どうしてる?」
「たまに少しだけ体が見えますよ」
「おぉ一緒やな、なんか土の中にもぐっとるだけやからなぁ」
「そうですねぇ、でももうすぐかえるんちゃいます!ひょっとして80mmくらいの大きいのが!」
「なんやそれ?」
「あれ、知りません?大きさで価値が全然ちゃうんですよ!80mm越えたらめちゃくちゃ
高かなるんですよ!」
「知らんかった。。。どうやっておおきすんねん?」
「本来はなんか菌糸ビンに入れてとか、なんか難しいらしいんですよ!でもあのおっちゃん
触るなゆうてましたよねぇ!」
「そうやな、そういうとったなぁ」
「素人やからあんまり触らんほうがええと思いますよ」
「そやな」
「でもね、あれ確実にオスいうわけちゃいますから、ひょっとしたらメスいうこともありますしね!」
「????ちょちょっとまてぇー!なにかー!メスかもしれんのか!」
「えぇ、だって水槽に50%って書いてましたよ」
「そんなアホな、俺完全にオスやと思いこんどるがな!名前までつけてんねんどぉ!」
「えっぇークワガタの幼虫に名前つけてるんですかぁ!どんな名前ですのん?」
「クワ太郎!」
「。。。。。。。。。。。。。。」
それから1ヶ月後
「おい!幼虫が土に潜らんようになって、あお向けで寝とるんや!これどうなんや?」
投稿者 junca 14日 23:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | スタイル
投稿者 junca 12日 23:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | 旅
確か6・7年前だったと思うが、NHKで制作されたドキュメンタリー番組だ。直訳だと矢沢知っていますか?ということになるが、意味が最初わからなかった。矢沢、言わずと知れた“えーちゃん”だ。どちらかというと知らない人のほうが少ないロック界のスーパースター、不良のカリスマである。それを誰かに尋ね、矢沢のいままで知られなかった面をドキュメントするのか?とにかく見ることにしました。
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一票よろしくお願いします。
番組の概略は、エルビスプレスリーのメモリアルコンサートに世界のロックスターが多数参加し、その中の日本代表として矢沢も参加するという構成だった。そこで、矢沢知っている?というタイトルがどのような意味をもつかであるが、結論的には日本でのスーパースターが海外の大物の中に入るとまったくの無名であるということ、そしてその状況のなかで奮闘する矢沢の追跡だった。
たいへん面白かった。
現地エージェントは矢沢にももちろん存在したが、基本はすべて自分が英語で主催者と交渉して行くのである。ロッドスチュアート、ボンジョビ、ロバートパーマー等々並み居るスターが優先されるなか、じっと耐える矢沢の姿があった。ともすれば“いじめ”ににた冷遇を矢沢は受ける。アレンジもいいかげん音響もいいかげん、スタッフからすると矢沢なんかまったく相手にしていないのである。しかし矢沢は怯むことなく堂々と英語を駆使し抗議していく。マネージャーに任せず全て自分で。コンサート前集まった観衆にNHKは、Do You Know YAZAWAと次々に聞いていくが、100%みんな知らなかった。「誰?」
番組の中盤でこのドキュメントの一番の山がある。それはリハーサルの順番を矢沢は案内されたスタジオの中庭で待つ、しかしいつまでたっても呼びにこない、時計をみると3時間くらいまたされているが、一切主催者が侘びを言いに来るでもなくほったらかし状態である。
そのとき矢沢は笑いながら、
「はっはっ。日本でトップでもこんなもんよぉ!」と軽く言いきった。もちろんテレビ取材的な見解と構成と解釈してもいいのだが、ドキュメント前部の流れから、作った姿とは思いにくかったし、真実をまともに晒していたような気がする。
そして実際のコンサート当日、矢沢の控え室にバラがロバートパーマー(だったと思うが)から届く、その花の中にメッセージカードが入っていて、そこには、「ぶちかましてやれ!!」
投稿者 junca 11日 23:50 | コメント(3) | トラックバック(0) | think
(格言)
信じるものは(足元)掬(救)われる。。
当たるも八卦!という例えがあるが、私はお気に入りの占を毎日チェックしている。誰になんと言われようが、もう昔から癖なので変えようがないし、変えるつもりもない。日課なのだ。そういう意味ではブログなんか足元にも及ばない。
たまに強烈な問題が発生した時など、「おっ来たか!これが今日の占にでていた不幸事か?」と身構える事もある。
また「なにをしても強運の日」と出ていると、とにかく気分がイケイケドンドンとなり、気が大きくなって理由もなく奢ってしまったりしてしまう。
そのなかで永年愛読し、結構「うーん、当たっている」と思うのが、京都新聞夕刊の“モダン占”である。基本は明日の占が載っていて、帰宅すると先ず目を通す。社会の状況より明日の我が身の方が絶対大事なのだ!そして一応家族全員のも目を通す。とにかく、日々是好日がなによりなのだ。
小さいとか女々しいとか気が弱いと言われようが、病床で明日死ぬかもしれない大病を患っていても私は“占い”を見つづけ明日の安泰を祈るのだ。
当たっていようがいまいがそんなのは関係ない、究極結果なんかどうでもよいのだ。とにかく明日愉快で楽しい日かどうかが大問題なのだ。出きれば毎日バカンスのような楽しい日で在ってもらいたい。
京都新聞夕刊:モダン占 9月11日(日)12日(月)の占
9月11日(日)
一白 思ったより難しい。一人で解決は無理。
二黒 トラブル早めに処理。周囲にもれる。
三碧 話し上手が得をする。不意の出費も。
四緑 平穏を喜べる日。よい智恵も出せる。
五黄 外見だけで心許すな。疑問は問うこと。
六白 危険な落とし穴。回り道でも安全第一。
七赤 もっと密着。もっと強気。期待は大。
八白 慎重過ぎに失敗なし。悪友の誘い断れ。
九紫 理屈と現実に隔たり。苦労しても不満。
12日(月)
一白 スキを狙われる。順調でも用心深く。
二黒 雑用が重荷になる。好意が裏目にも。
三碧 背伸びしても苦しい。気力から回り。
四緑 短気は不利。小さな事で腹立てるな。
五黄 成り行き任せでよい。ツキに恵まれる。
六白 大きな期待は空振り。第3者の声聞け。
七赤 言葉で正面衝突も。対人関係注意。
八白 欲張って情報集め。役立つ日は近い。
九紫 SOS発信急げ。一人で解決無理。
比較的ネガティブな内容が何時も多いです、この占!
投稿者 junca 11日 03:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | スタイル
吼える酒
阪神タイガース
卑怯男 


運動会に瑠璃色の閃光
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おもちゃみたいな人生が奏でるスーパーカー協奏曲
現身
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出張中です。
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