2005年10月21日(金)
oyaji 3
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母親が喜んだ課長昇進のとき、実は真剣に退職し独立を考えていたらしい。一生懸命やっても報われないと感じた事と、友人たちが華々しく独立し裕福になる姿に嫉妬があったらしい。
母親曰く、
一生懸命やりすぎたのか、出来たからなのか良く解らないが、仲間との不協和音を度々おこし精神的に参っていて、正直あきらめと開き直りが交差していたみたいだ。
そして何よりも“高卒の叩き上げ”というハンディが学歴学閥という壁を乗り越えられない
現実が存在した。そんな時分に私は青年期に突入していたのだ。。。しかし実際にはまったくしらなかった。その当時そんな内容を聞いたところで大して気にも止めなかったと思う。
そんな親父に突如大きな転機が訪れる。それは私が大学を留年して卒業する時分だ。
コツコツと結局サラリーマンを続けていたのだが、ある時大手通販会社のロジスティック戦略営業に参加することとなり、同業大手数社との競争となったらしい。はっきりいって親父の会社が日本一の規模を有しているのだが、国営に近い存在がゆえに機敏さに欠け柔軟性に欠けるきらいがあったのは否めなかったと思う。しかし最終的には親父率いる営業部隊が勝利を収め、支店年商の10%以上(数億)の商いとなったらしい。そして単発の営業売上ではなく恒常的営業成果として本社よりかなりの評価をもらったみたいである。たしかにその時分頻繁に遠方へ日帰り出張を繰り返していたのを覚えているが、物心ついたときからあまり変わらない感覚だったので気にならなかったし、家族も数年後にこの時の事を知る。
今だから解ることがある、この様な大きな案件はもちろん会社のプロジェクトとして動くのだろうが、局面局面はリーダー個人の判断が大きく求められるし、最終段階の闘いでは、後方部隊は勝利の夢想をかなり肥大化させており、失敗が許されない精神的窮地にリーダーは追い込まれる。しかし親父は見事に勝利をおさめる。
この成果が大きかった、自分が望まなくても他に比肩しようのない成果だったため、一足飛びの出世を果たす。そして報奨に近い形で傍系会社の社長に納まる。やはり最後までラインではなかったのだが、それはそれで凄みのある出世だと私は思う。
傍系会社社長とはハッキリいって名誉職で、実際2~3年で頭がすげ変わり、業務も本体からの安定的発注があるため、特段シビア-な経営を迫られる物ではないらしい。極端にいうと2回目の退職金を貰う為のセレモニーのようなものだと考えられている。
しかし親父は変わり者で、毎朝7時過ぎには出勤し、現場の社員を鼓舞していたらしい。どうも自分の考えと、職場というか会社の体質に距離を感じていたらしい。やはり叩き上げの人間からすると“こんなヌルイ環境”は仕事の現場ではないという考えがあったんじゃないだろうか。。。しかしどのように受けとめられていたのかは解らないが、迷惑と感じる人間も多かったと思う。(笑。。)
しかし現場に近い人間の愛情ある言葉は、机上の論理を振りかざす者の比ではない。やはり自分たちを理解してくれる人間には共感を覚えるし、協力も惜しまない。だからやらなくてもいいのに、業績が自然と上がってしまう。こうなると出世スパイラルが巻き起る。結果どうなったかは母親も父親も私には言わないが、年中“恵比寿顔”だった。。。
この時分に私は30歳を向え、子供が生れ、会社で管理職の末席にポジションが移る。
つづく

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