2005年10月20日(木)
oyaji 2
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本人から自分のことを聞いたことがほとんどない。
母親や妹からあとになって聞いた事の方がはるかに多い。
私が思春期から青年へと移行するなかで、親父もまた
仕事の忙しさが増していったのを記憶している。今でも覚えているのは親父が40歳前後の時分に、課長へと昇進したことを母親が喜んでいたのを何故か鮮明な記憶として今ももっている。
私がその時分に感じたことは、率直に言って、この人は何が面白くて年がら年中家にもロクにいないで仕事しているんだろう?という疑問のみであった。数年後社会に出る自分を考えたとき“こんな風にはなりたくない”という気持ちが肥大していったのは間違いない。
そして実際に話す機会も少なく、正直疎ましい存在であった。ひょっとすると馬鹿にしていた部分もあったと思う。
大学に進学する手前の春休みに、突如無理やり親父の会社のバイトに行かされた。母親からの厳命だった。春先だったのでこの時期の運送屋のバイトといったら“引越し”だ。いろいろやらされた、庁舎移転、個人宅、官舎等様々な人の引越しをてつだった。昇進し勇躍移動をする家族、降格なのか左遷なのか人生の岐路的家族の移動、大量の税金を投入した新庁舎へ公務員様の下僕のような移動手伝い、本当に様々だった。とにかく初日から体が板のようになった、母親に愚痴をいってバイトを止めたいと申し出たが、絶対に許されなかった。
バイトの最中は親父と接触することはほとんどなかったが、たまに遠目に見かける事があっったが、作業員と同様に引越しを手伝っていた。不思議だった、親父はその当時確か次長職
でスーツ着て事務所にいるものだと思っていたが、違ったのである。約3週間くらい大学の入学式手前までバイトに行かされた。
そのとき本当に迷惑に感じたし、なんでこんな事をやらんといかんのか正直むかついた。でもかなりキツイ仕事で危険も一杯あるし、現場のおっさんの気性は荒いし大変な職場だと言う事は十分理解したが、だからといって親父は凄いとか、感謝とかいう気持ちはまったくなかった。あったのは“やっと終わって清々した”という感情だけだった。。。。
大学をどうにか卒業し(留年したのだが)、今の会社に入社した。最初に待っていた仕事は納品をはじめ肉体労働の雑務だった。スーツなんかまったく必要ないし、友人や後輩に見られたら恥ずかしいような姿で毎日肉体労働に従事した。家に帰るとぐったりで、すぐに居間で寝る毎日であった。
そのご結婚し今に至るのだが、先日思い返してみると、客観的な家庭人としての自分の姿を想像すると、親父そっくりではないか。。否定していた筈だったではないか。。机になんか座って仕事していないし、親父は少なくとも毎日家には帰ってきたが、今の自分は出張に行って幾日も家にいない日がある。。そして子供も家庭も嫁任せでほったらかしだ。。。言訳ではなく、本当に仕方がないとしか抗弁しようがない。。
数年前に親父が定年退職し、ポツポツと母親や妹から親父の現役時代の話しを聞くようになった。どうも女性陣には私には言った事がないような事を話していたみたいだ。
おどろく事が一杯あった。
つづく。。

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