2005年10月18日(火)
oyaji 1 
amazon.co.jpで oyaji 1 を探す
多分30歳を過ぎたくらいだったと思う。
8時9時前だと早いほうだ、大抵10時くらいになる。
理由は良くわからないが、とにかく遅くなった。
必然的に子供との接触は朝の約20分くらいで、
出張などに行くと1週間で1時間くらいしか接触していない。
昨日も帰るとMDウォークマンが充電してあった。
嫁に聞くとkyoちゃんのお誕生日プレゼントだったらしい。
とにかく家のことも子供のことも良くわからない。
たまに早く帰るときにコンビニに寄りプリンを買うくらいしか
子供と接触していない今日この頃だ。。。。
そう考えると私の父親はもっとひどかった。
とにかく家にいなかった。しかし浮気やそういったことではなく、とにかく仕事で家にはいなかった。
先日親父の年齢を考えると、何と68歳になっていた。
たしか数年前に定年退職と還暦祝いを家族でしたような記憶が微かにあるが、まさかあの親父が68歳とは!孫とニコヤカニ遊ぶ好々爺たる親父にいまだに違和感があり、なぜか年齢を考えると不思議でならなかった。
いや。。不思議というより認めたくないのかも。。。。
私の親父は昭和12年生れ、身長173cm。この時代の男性にしては大きいほうだと思う。
若い時分は野球で鳴らし、結構体格も良い!本人からは一切聞いたことはないが、祖母や母親曰く、結構、野球で上を目指していたらしいが、小さい時分に怪我をした指が災いし、結局高校までで挫折したらしい。
とにかく家にいなかった。モーレツ社員が当たり前の時代で、私の親父も例に漏れずその権化たるものがあった。旅行などは記憶をたどると、親父の会社の釣りクラブ?に子供ひとりでついていったのと、小学校5年に2泊3日でいった海水浴くらいで、あとは数回初詣に平安神宮と八坂神社につれて行って貰ったくらいである。
元旦も朝の11時には家をでて、お客なのか会社のメンバーなのか良くわからないが新年会に出かけていた。
海水浴は親戚の叔父さん一家についていっていた。だから私は小学校時代親父と映っている写真がない。父親参観は1回来たくらいだ、たしか小学校3年だったと思う。
ほとんどいないから、たまに来てくれたり、つれて行ってもらったことが異常にコアな記憶として残っている。。。。
でもそれが当たり前だと思っていたし、不思議ではなかった。
親父は運送会社の営業だった。
日曜日しか休みの無い時代に日曜日も休んでいなかった。あまりの忙しさに嘘のような話しだが、パジャマのズボンを脱ぐのをわすれ、パジャマのズボンの上からスーツのズボンを履いて数回出勤していた。
あるとき家に帰ってくると、顔を腫らしていた。理由はトンでもない客にぶん殴られたらしい。休みに家にいても夕刻家族は憂鬱だった。必ず電話が入るのである。トラックが事故を起こしたといった陰鬱な内容の電話を怒りながらするのである、一家団欒になれるはずもなく、いまだに“サザエさん”が始まると胸騒ぎが起こるのはその時のトラウマである。
家族に怒鳴ったり、手をあげる親父ではなく、どちらかと言うと愉快なキャラクターだったが、仕事の時の顔は“怖い”顔だった。。。。
つづく

リンク元(referer)
コメント
はてなに追加
MyYahoo!に追加
livedoorClipに追加
Googleに追加
みなづき
上海
夏草の賦
泣く女 
人気blogランキングへ
ブログ王へ
週刊ブログランキング













.jpg)





