2005年10月10日(月)
憧憬 
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4ヶ月前から承っていた顧客様の注文が
出来あがったのでお届けに伺った。
しかし私もこの10日間バタバタとしていたため
うっかりとサポート人員の手配を忘れ急遽対応したが
先輩社員しかスケジュールが合わなかったので
申し訳無かったが休日出勤の依頼をし、無事お届けが
出きる段取りがついた。
先輩社員は私より15歳も年上の大ベテランで、入社当時
はよく一緒に仕事をしたが久々の同行となった。
2時間半の車での行程中、久しぶりに昔話や、いろいろな現状の話しに花が咲いた。
徳島に入ろうかという時だった、ETCで高速で入ったので、当然ETCゲートから出ようとしたのだが、ゲートが開かず激突寸前で停車した。ゲートのスピーカーから「即時職員が伺いますので、しばらくおまちください」との事だった。私と先輩は後続車が突っ込んでこないか“ヒヤヒヤ”しながら職員の到着をまった。
どうも理由は、ETCの入場ゲートで機械が感知しなかったらしい。しかし不思議なのだが、入るとき感知しなくてもゲートが開き入場は出来たのである。高速職員の説明では、入るときは感知しなくてもゲートが開くらしい。実によくわからない事情説明だが、時間も無かったので先を急いだ。
少し気にはなった、理由がはっきりしない問題で、ひょっとして大きな事故になる可能性がある現象ではなかったか?それにしてはあまりにも簡便にすましたのではないか、われわれも相手の職員も本質的ではなく、事務的に事をいかに早く済ますかということが目的となっていたのではないか、代金支払いと虚偽がないかだけが重要な問題点として。便利さの享受ということとその便利さを維持させる側の論点が、利己的すぎるんじゃないだろうか?
無事お客様にも喜んでいただき帰路についたのだ。
帰路の車中の話題は、行きのETC事件の話しから世代間の価値変遷が中心になった。
たしかに便利な世の中になりETCも普通の機械として享受しているが、公共性はあまり意識としてない。世の中が知らないうちに当然便利になっていくものだという妄想が常識になっている。個々の努力の結晶が公共の利便性を高め、その努力の源泉が他人のためで、その努力が社会的共感を生むことによって報酬を得るなどという考えはまったくない。勝手に世の中がやった事で、個々人の公共に対するモラルなど露ほどにも感じない時代だ。
そう考えると先輩が高校をでた時分の世の中と比べると、現代は雲泥の差がある。
先輩が高校をでた時分の初任給は、18,000円くらいで、その当時スーツが20,000円くらいしたらしい。そう考えると給料と等価になる。私の時分で考えると200,000円くらいのスーツを着ていたことになる。そして車に至っては、大衆車と呼ばれるものでも500,000円はしたらしい。この場合の価値倍率は約30倍にあたり、600万円くらいの車になり、現代の感覚でいうとかなりの高級車になる。それくらい手の届かないものが数多に存在した時代だ。
逆もある。先輩曰く、お茶やおにぎりを、金をだして買うということが最初信じられなかったらしいが、今では当たり前のこととして受け入れている。
しかしこの世の中の変遷に、先輩たちは個々が寄与した努力を僅かでも語れるのである。
たしかにいろいろな価値観の変遷が時代によって生れている。特にこの10年は“勝ち組”という言葉がハバをきかせ、経済界を蹂躙し尽くしてきが一体なにに勝ったのか?。
先輩の当時に比べるとローンや割賦払いITは当たり前の世界になり、手の届かないという事も割合としては少なくなった。
よく言われる、なんでも揃う時代であるし、生れたときから全てが揃っている。
しかし、手の届かないものが無い時代は本当に“幸福”で“優れた人物が共存する世”なのだろうか?
先輩日本人たちが労苦を惜しまず築き上げた世の中だが。。。。
倉廩 ( そうりん ) 実ちて 則 ( すなわ ) ち礼節を知り、衣食足りて則ち 栄辱 ( えいじょく ) を知る。
(米蔵がいっぱいになると人ははじめて礼儀道徳に関心を持って、わきまえるようになるし、衣食が十分に足りて生活が安定すれば、名誉とか恥辱というものをわきまえ重んずるようになる。)
と古人は言ったが、嘘ではないか?
今の時代の本当に手の届かないものはなんだろうか?
憧れってなんだろうか?
今はあまり語られなくなったが、JRの脱線事故は何故起きたのであろうか?
司馬遼太郎が最後まで気にした「この国のかたち」とは。。。。。

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