2005年09月18日(日)
現身 
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から4ヶ月になる。
いまだに違和感が残るが、医者曰く、残りつづける
らしい。発症時から先月までの3ヶ月間は不思議と
時間の余裕もあり、ウォーキングやストレッチそして
食事の摂生とかなり健康的な生活を送ってきたが、
今月に入ってからは、かなり忙しくなりまたもとの生活に
戻りつつある。いけないのは承知なのだがこればっかりは変えようがない。ある意味仕事を変わらなければ無理だ。
よくよく考えるとこの11月で39歳になる。倍にすると
78歳だ。一体いつまで生きられるか解らないが、78歳というと
おおよそ男子の平均寿命に相当するのではないだろうか、そうなると
間違いなく半分になったのか、もしくは半分を過ぎたことになる。
少し哲学的に考えると“死ぬためにいきている”ような感覚もなくはない。
ある人が語っていたが、人間は生れたときから死が与えられている。
生命の誕生を起点に終点も存在するのである。もっと深く考えると死が起点
で生命の維持が終点なのかもしれない。
究極の哲学観から考察すると、生きていく事は“暇つぶし”かもしれない。
幸か不幸か人間には智慧と欲望が存在した。
たしかにいつまでも人間が死ななければ、一体社会はどのようになっているのだろう?
すこしノイローゼ気味だが、私にとってはこのヘルニアという症状はショックであった。もうすこし詳しく言うと、ヘルニアそのものがショックというより、そのことによって体が動かず寝たきりになったのがショックであった。過去軽少なる傷病はあったが、生活そのものがストップするような事は初めてであった。それゆえに寝ているときに考える事が一杯あり、そしてその考える行為を許す時間が無限に存在するかのようであった。
もっと単純に考えると時間が止まったのである。
他人から言わすと“休め”という暗示であり、休むべきときだったという。
そうかもと考えることもあるが、私には休めたどころか、かえって恐怖で
神経衰弱ぎみになった。
正直二度と御免であるし、休むという意味がよくわかった。
やはり私にとっての休みの感覚は“忙中に閑あり”で結構だ。
自分を見つめると“マグロやカツオ”のごとく生涯泳ぎ続ける魚かなと思う。。。。
でも何時か自分の意思の及ばないところで、ストップせざるおえない事もあるのだろうなぁ。

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