2005年08月26日(金)
塙義一という生きかた 
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よろしくお願いいたします。。
人間には働く使命がある。それは自分で選べるものを語っている程度では品格がない。
そして自分のためだけに人間は働けない、自分以外の存在があるから働ける。
カルロスゴーンの名は、日本のビジネス界に身を置く者で知らない者はいないだろう。
日本的経営の革命者、日産V字回復の立役者など賛辞は無数に存在する。
しかし現日産会長のカルロスゴーンは知っていても、前日産会長の塙義一を知っている人はかなり少ないと思う。
私が就職をした時分はバブル景気の最後期であった。なにもかもが飛ぶように売れ、前途悠々たる雰囲気が日本中に広がっており、自動車産業もヒット商品を連発していた。中でも日産は“シーマ現象”と呼ばれるような大ヒット車種シーマをリリースし磐石な環境を確保したかのように見えた。
当時は都心部及び日本全国の土地が高騰し、いくら所得が増えても新築はおろか中古家屋ですら手が出ない状況であり、庶民はそれまで貯蓄していた住宅購入資金があまりにも購入のためには過小であることに気づき、住宅購入を諦め浮いた資金で車それも高級車を買い出す。
そこに登場したのが日産のシーマであった。トヨタとは違うアーバンな雰囲気が当時の浮揚した可処分所得をもてあます庶民にひじょうにウケ、シーマ現象という、社会現象を代表する言葉が生まれた。
しかしバブル崩壊と共に日産の栄華も終焉を迎え、それまで不動の販売台数2位という地位からも転落し、巨額の負債を抱える事となる。今の日産の姿から当時の衝撃は想像出来ないが、その当時かなりショックだったのは覚えている。それは私だけではなかったはずだ。
塙義一が社長として在任したのはこの時分である。
その後ルノーとの提携、カルロスゴーンの招聘そして村山工場閉鎖、その後新車戦略、V字回復と日産の復活が始まる。
この時分私の記憶として日産の株主総会後の株主へのインタビューが記憶に残っている。
マスコミは過去例が無い日産の業績悪化に対して、株主の怒りをテーマに取材を行っていた。
そして世間もこのままでは日産が崩壊するのではという想像をうっすらと感じていた時期でもある。しかしこの日今後の日産の進路を発表したと思われるが、ほとんどの株主はマスコミのテーマに促した回答だったが、唯一初老の紳士が「大丈夫!今日の決意があれば大丈夫」と何を根拠として言っているのか分からなかったが答えていた。おそらくマスコミは批判的な意見だけではインタビューの構成上偏りがあるので反対意見も入れたのであろうが、私はすごくひっかかると同時に気になり、今日までこのときの画像を記憶に残している。
塙義一は、このルノーとの提携を期に退任という有終の形はいくらでも取れたと思う。日本の経営者は自身の在任中に実績をいかに残すかを大事に考え、実績が出きると有終よろしく禅譲を行う。あえて今後正否はっきりしない火中の栗を拾うものはいない。
塙義一は社長としてこの間、責任問題を幾度と無く付きつけられたが退任はしなかった。
彼の判断でクライスラーとの提携を破棄しルノーとの契約を遂行(弱者連合と揶揄される)、そしてカルロスゴーンも招聘する。日産が周落する原因を作ったのはもちろん塙義一一人ではない、どちらかというとそれまでの経営者に問題があると思えるが、塙義一は一身に会社復活の重責を背負うのである。それが彼の責任の取り方であるが、そのことを一切口にしないのである。
それまでの業界の日産に対する印象は“官僚的”だったらしい。もちろん塙義一もその性格を踏襲する一人であったに違いない。
彼もインタビューで語っているが、最初カルロスゴーンには自分の1部分を手伝ってもらう積もりだったらしい。それはカルロスゴーンというツールを使ってあくまで日産流・日本流の改革を敢行しようと考えていたのだった。しかしカルロスゴーンにはこのとき明確な改革の体系化が存在した。
それは、冷静な客観視をもって考えると、塙義一そのものそして日産的官僚社会の解体で、日本的な経営システムや慣習を断ちきると言う事に集約できた。
このカルロスゴーンの話を理解した時、塙義一は一切の過去を棄てたと述懐している。
自分のするべき仕事が明確に見えたのである。
カルロスゴーンに全てを任せる。ここまでの権限移譲は良く聞くし、言葉だけの人間も多い。
しかし塙義一はこの後、間違い無くカルロスゴーンの黒子に徹し、全力でサポートする。
ここからが現代日本人が忘れた生き方、塙義一の真骨頂なのである。
カルロスゴーンの改革の出血は日本企業としては過去例が無いくらいのボルテージでマスコミに取り上げられる。そして非人間的改革に疑問視も噴出するが、カルロスゴーンは無視しまっしぐらに改革を進める。
おそらくその間、工場閉鎖や系列解体への抵抗、従業員や取引先、OBからの苦情は相当なものがあったと簡単に想像がつく。しかし労働争議も警察沙汰も社会的問題に発展することは一切なかった。一体なぜだろうか、誰かが抑えていたのではないだろうか、ゴーンの仕事の妨げにならないように。
それが塙義一の使命、仕事だった。
事実一切、旧態化した日産のしがらみとカルロスゴーンとは塙義一が距離を作っていたし、カルロスゴーンの耳にさえ入れなかったと後述している。
改革の防波堤として身を挺したのである。
カルロスゴーンが改革を華々しく成し遂げ、V字回復の立役者としてマスコミの寵児となっても
塙義一に取材する者は一切なかったし、その存在はお飾りのような認識だったのではないだろうか。改革をまる投げし会長職で安穏としている。
そして彼は、華やかな業績で喝采を浴びているゴーンの後ろを、一切の自身の功労を自慢することなく静かに退任していく。それは改革によって流れた血の重みを誰よりもわかっているからだ。
彼の功績は書くまでも無いが2点ある。一つは提携という大事な選択と判断を間違わなかった事とカルロスゴーンを見抜いた点。そしてもう一つは、真の改革者たるべく自身の使命を見極め仕事に徹した点である。
現代経営者列伝と言う物が仮にあったなら、塙義一も是非とも取り上げてもらいたい、カルロスゴーンと同列で!
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もある。。。。

投稿者 junca 23:53 | コメント(1) | トラックバック(1) | 人物
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以前、テレビ番組でカルロス・ゴーン氏へのインタビューを放送していた。そのなかで、特に興味深く思ったことがある。それは、奇跡の復興をなしたその経営哲学や手法の話ではなく、家庭について、プライベートな部分について語られたところだ。
カルロス・ゴーン氏 家庭人としての成功 [転職・就職・天職に生きる仕事のコツ]
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私も、どちらかというとそうゆう生き方に共感する。もちろん、良い時代であれば塙義一社長として輝かしい勇退ができたであろうが、そうはならなかった時の経営者の姿・美学かもしれない。
良い文章を読みました。一言書かせていただきました(^^)/