2008年09月25日(木)
天下分け目 
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駅前で国会議員が街頭演説を行っていた。
良く見る風景であり、大概共産党か公明党の縄張り
のような場所なので気にも止めずに前を通りすぎるのだが
この日は足を思わず止めた。
民主党の議員でテレビなどでよく見かける顔、Y議員だった。
さすが天下分け目の決戦前かぁ!と、ぼぉー眺めていると
協力している党員が近いてきてチラシを渡した。するとその後
マイク片手のY議員が名刺を差し出してきたので受け取った。
時間がなかったので最後まで演説は聞けなかったのだが、駅の改札を通り
渡された名刺、といっても三つ折りの小型チラシのようなものなのだが
目を通すと、彼の経歴でこれまでに卒業した学校で薫陶を受けた恩師の
言葉が強調された文字として刷り込まれていた。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
‐R高校M校長の言葉‐
社会のぞうきんになって、社会をきれいにする生き方をせよ!
‐(財)松下政経塾 松下幸之助塾長(当時92歳)の言葉‐
政治を正さないと、日本は良くならない。経営感覚がある政治家、現地現場主義で専門分野を持った政治家になれ!
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
うーん。これまでだと言葉だけのひ弱な感じを拭い去れなかったのだが
今は…・
なんとなくこの美しい言葉が、現実的な凄みある言葉
行動原理として受け入れられるものを強烈に感じてしまうのである。
ここが大きな転換なのでは?と感じる。
そして街頭演説とは
こうも効果的な政治行動なのか?と改めて考えさせられた。
どれほど優れた政策をもっていても、やはり直に語りかけることの
効果に勝るものはない!
小沢一郎がとにかく街頭に立て!と言っているのは
良く分かる!
私は比較的小さな時分から政治に興味というほどではないが、なぜかテレビのニュースで割とマメに流れを見てきた。その間何度も“政界再編”という言葉を聞いた。しかし実際この言葉が示す意味を具現化した人物もそういった形も結局見ることはなかった。
必ず局面ではこの言葉が出るのだが、なんとなく尻切れトンボで終わり、結局自民党が支配する局面からは脱し切れなかった。しかしそんなもんかなぁ?と改めて考えると、長い時間はかかったが、何となく保守2大勢力化(2極と1宗教的極という歪な構図ではあるが・・)という波は現実的に姿を現しつつあり、あの強大な自民党ももはや公明党という勢力の力を借りなければ政権を維持できなくなりつつある。そう思えばかなり大きなうねりの頂点に今差し掛かったのかと改めて感じる。
私は色々あるが自民党はある意味凄い政党だと思う。
客観的にみて総合すると、世界でこれほど国民生活を豊かにした政党はないのではないか?と思うのである。もちろん何時の時代も枝葉な部分での問題は多々ありはするが、大局的な結果からみれば相当な成果を戦後構築したことは間違いないと思うのである。
その最大はなにか?それは間違いなく
国民総中流という世界に例のない国富形態を生み出したことだと思う。
もちろん安全保障上の問題とのバランスもあってのことだが、それでも
かなり緻密なドライビングを成功させたと思う。
論理的に構築されていないが、ある意味の国家社会主義的資本主義形態での民主主義という独特の国家運営は世界的に稀有な存在として戦後世界に例のない発展を遂げた。
強弱の間隔を、強を中心に押し上げることによって平均ポイントを上げるのではなく、強弱の間隔を狭め平均そのものを上げるという概念はある意味日本人独特の感性から生み出されたものであり、日本人には実に上手く適合したと思うのである。人口も増え内需という力強い原動力もあり、技術立国という優れた輸出資源を有したことが内外を問わず拡大し、国全体に莫大な富を流し込んだ。そしてその配分を福祉という部分にある程度割り当て、国民皆が平和と豊かさを共有できる環境をながきに渡り整えた事は凄い事例であると思う。
しかし全てが成熟しきった今、これ以上同じ手法で伸びない、そしてその現象が明確に現れた今、これから先も戦後から構築した手法で進められるのであろうか?
人口は減少し内需は減少する。海外に対しても新興国の激しい追い上げと競争で、これまで独壇場としていた部分がこれからも拡大していくのだろうか?全てがこれまでと変わらなければ拡大増大するポイントが見つけられないということは簡単に理解できる現象なのではないか?と思うのである。しかし実はこの新しいポイントが見つけだせていないのではないだろうか?本来論点とすべき点、この国の今後の形がなにも語られていないのではないだろうか?
もちろん、安全保障の新たな枠組みもある。
新東西冷戦という時代とテロが錯綜する複雑な政治情勢である。
平和へのコストももっと国家戦略的にシビアに試算しなくてはいけない時期だと思う。この数十年間君臨したアメリカ帝国の状況が変化してきている。
資源、自然、すべて増えない要素との戦いも始まっている。
全てにパイが小さくなり配分が少なくなる、この局面をどのように
政治家は打開するのだろうか?
成熟企業とまったく同じなのではないだろうか?
当然リストラクチャーが必要になる。そして
何時までも同じ場所に居つづけ安泰などあり得ない。
新たな儲ける窓口を探し続けなくてはならないだろう。
おおよそこの数年前、増益を果たした企業で真の増益が如何ほど
あったのだろうか?人件費を初めとする経費を圧縮し一時的に
利益を捻出した企業は数多存在しただろうが、実際に業績部分で
の伸長を図れた企業が何割存在したのだろうか?経営者が起業精神に
立脚し成功を収めたものはごく少数でしかなかったのではないだろうか?
粉飾まがい?で帳尻を合わせたのも最終局面。。。
結局、本業で成功、商売を拡大しなければ一時的には凌げても
その先同じことを繰り返し、結局摩滅してしまうしかない。
斬るそして伸ばす。
これは全体を増加させはしないかもしれないが
効率は著しく上がる。所謂無駄がないのだ。
この2局面を操作できなければ、明日はないような気がするのである。
税金という国の収入が本当に正当かつ理想的な配分という投資を行わなければ国民が享受すべき幸福の利回りは生み出せない。右肩上がりで少々のロスも問題でない時代、もしくは取り返せる可能性が充分見える時代では今は無い。
しかしながら現況の国会を見るに、政策は斬るそして埋めるという現状維持以外になにも見当たらない。新たに伸ばすという回転をともなう運動性という可能性は皆無に近い。
閉塞感が充満しきりである。。
世襲議員で政権を運営し続けている弊害は、野太い経営感覚が欠如し、お公家さん的な遊興、ゲーム感覚が蔓延しているとしか思えない。。。。
よく言われることで大間違いなことがある。
所謂国民の声を聞いて!ということだが、企業ではお客様のニーズに耳を傾けろというフレーズだ。
これはすごく的確なリサーチのように思えるが、よく考えてもらいたい。
本来提供する側の人間が客の要望を聞く、ここまでは必要だろう、しかし
それをそのまま提供していて何が新しいものを生み出すのだろうか?
本来は、ニーズを聞き、そこからまだ見ぬ新たな価値を創造してこそが
本来なのではないのかと思うのである。これこそ真の価値であり、真の
社会貢献たるべき価値創造につながると思うのである。
要望であるニーズをそのまま形にして提供して良いものと悪いものがある。
もっと極端にいえば、要望をそのまま形にするなどということを目標にしているようでは話にならないし、極論だがそれを形にする状況があれば実は誰でも出来る可能性がある。しかし本来今求められているのはそういう安直な実力ではない!
見えない価値、閉塞感を打破する斬新なアイデアである。
ここが現在の自民党の現実的な限界であることは明白のような気がする。
自民党は代替わりし成熟後、黄昏を迎えた企業と同質の匂いを感じざる負えない。
松下幸之助がY議員に言った
経営感覚がある政治家、現地現場主義で
専門分野を持った政治家になれ!
というものが物凄く重要な時代なのではないだろうか?
特に“経営感覚がある”という部分が実に重要に感じる。
田中角栄が立法化したガソリン税も、当時誰も気にもとめなかった。
税収の監督官庁で本来あるべき大蔵省もあまりにも小さな税収のため、自らの管理から外した。この時分に後に勃興する“モータリゼーション”を誰も予測していなかったのである。唯一田中角栄がこの社会変動を敏感に察知し議員立法で大蔵省の管理を受けない税収として成立させてしまったのである。所謂この感覚は政治家という種族だけの感性ではとてもではないが出来ない。
ここに経営感覚がある政治家という要素が見えるのである。これがなければ到底この先、期待など持てない。中曽根の行革の大断行も同様だと思う。もう誰も国鉄、専売公社、電電公社などの時分のことすら語らない。それどころか、民営で発展を遂げていて当然以前からそうだったような感覚でいる。
郵政という部分の民営化ですら、大量の資金が民営で市場に流れ込む
というある種のマーケット感覚が大衆に対する説得力を持たせた。国が一元管理でつまらない運用をするくらいなら!という期待がそこにはあり、また既得権益にしがみつく輩の排除という人間本来がもつサディスティクな感性にも刺激を与えた。これも私はある種の経営的マーケティングだと思う。
国の経営が行き詰まっているのである。これ以上の借り入れはできない切迫した状況下で、まだ借り入れて処置を図ろうとするのだろうか?まぁ短期的にはそれを我慢したとしよう、そして3年?まぁそこまで我慢しよう、しかしその結果、また税金を上げるという安直な論議だけで、国富論が常に皆無な状況をこれからも耐え忍んで行くのだろうか?
劇的に経営感覚が欠如しすぎなのではないだろうか?
私は今後どう考えても日本は“道州制”に踏み込み、小さな政府を実現し
地方自治体で損益収支を管理する方向しか道はないような気がしている。
ランチェッティー理論を適用し、地方ごとに明確な一点突破を生み出すようにした方が結果的な総体は良いのではないかと考えている。減少著しい税収を机上で効率、効果的な割り振りが効くような現状でない今、松下幸之助が言った“現地現場主義で専門分野を持った政治家になれ”という言葉どおり、直下に差配するほうが劇的な変革を遂げ、また喪失も最小限にでき監視もかなりシビアに行き届くように感じるのだ。
これを自民党に果たしてできるだろうか?
まったく新しいものとは破壊という作業の後でしか生れない。
戦争という破壊の後、間違いなく自民党は新しいものを創り出した。
保守合同も劇的な新しい動きであり、具体的な成果を生み出した。
しかし、今の局面を自ら破壊し、自ら新たに創り出せるのだろうか?
そんな事は出来ないと思う。
ここは誰かに破壊される時なのではないか…・
その上で再度新しいものを構築したのであるならば
見る価値はあると思うが
今、この時
もう修正は結構である・・
小沢一郎の国替えは“陽動作戦”なのだろうか?
真の決戦なのだろうか?いずれにしても
関ヶ原の勝敗は“裏切り”で決した・・・・・・
麻生太郎が“吉田茂”を持ち出したら
間違いなく吉田茂は太閤でしかない。。。
そして秀頼は誰だ?
今回、小早川秀秋は誰であろう?
公明党は今自民よりではあるが、本当に最後までそうなのだろうか?
中途半端な協力では四分五裂の憂き目に逢うし、全力をあげて自民に加担
すれば間違いなく、一番痛いところである政教分離を突かれ共倒れに成りかねない。
この部分、御大将をお守りするには“権力の傘”に守らなければならない・・・・
今の時点で態度を変えることは期をとうに逸したが、しかし最後の局面で
どのような態度にでるのだろう?どうもここが決戦の肝のような気がする。。。。。。
創価学会はどの道を歩むのであろうか?
今日、小泉元総理が引退を発表した。
総選挙を前に、決選を前にである・・・
なぜか?
間違いなく、失敗したのだろうと思う。
権力闘争の潮目を読み違えた?自らの影響力の読み違い?
権力の中枢、渦たる潮目を見間違えたのだろう・・・・
退却だ、野中と同じような退却だろう。
今しか退路はない、この期を逸すると・・・・
退却隠棲・・・落ち武者狩りに逢う前の撤退だ。
まぁ、、、いずれにしても
今回こそは天下分け目の決戦である!
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