2008年06月11日(水)
ヒマ 
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突如暇になる瞬間がある。。。
仕事をしていて全ての接触、
摩擦点が一瞬なくなるような瞬間で
大抵そんな時グダグダと会社に残ったり、飲みに行ったりと
無理に周りと摩擦点を作ろうとし、
結局帰る時間は平均的な時間になるのだが、先日は珍しく
「帰ろ!」
と、会社を出た。
こういうモラトリアムのような感覚もたまにはいいか!
なんとなく、、一人でブラブラ。。。。
会社を出たのが5時30分
自宅の最寄の駅に着いたのが6時20分。。
何年ぶりだろうか?という位早い帰宅だ・・
梅雨に入りこれから夏、陽も長くなった。
まだまだこの時間だと明るい。
なにより駅前のスーパーや小学校や色々な地元の機能が動いている。
当然、休日の街の機能は知っているのだが、案外平日は?となると知らないのである。
だから以外にも自分の住んでいる街ながらその日見た風景は新鮮に映った。。。
駅から家までは徒歩15分のなだらかな下り坂。何となく毎日の行程ではあるのだが、新鮮さも手伝い普段よりも速力も落としブラブラ周りを眺めながらの帰路となった。
しばらく歩くと、工事中という看板が目の前に現れ、そこに大きな矢印が書かれており
迂回せよ!との事であった。
急いでいる時には至極腹立たしい指示なのだが、この時は“仕方ないナァ”といつも使わない道へ迂回した。。まぁそうでもなければ通らない道もあるか!とちょっとした楽しみに切り替えて歩を進めた。。。
が、、、うん?この道、、、
記憶にくっきりと残る道程。。。
そうだ、、
忘れていたが、小学校から成人になるまで仲良かった友人の家に繋がる道ではないか??
実に懐かしい。。。。近所ではあるのだが、、そう言えばもう何年もこの道を通る事はなかった。。。
暫く歩くと友人の家。
そう言えば小学校の頃、毎日来ていた。
家はその当時と全く同じ、当時と変わる所は何もない。
違うのは、彼がいないという事だ。
この街を出て行った訳ではない。
死んでいなくなったのだ…
彼は転校生だった。
小学4年生の時のことだ。。
家が近いという事で先生から、いろいろ教えるようにと言われ
その日から一緒に帰ることとなる。
彼は丸刈りでぽちゃぽちゃした体型で、自分を平気でさらけ出せ、自らのウィークポイントも笑いに変えられる愛嬌のある雰囲気だったので直ぐに皆と仲良くなり、そう時間もかからない内にクラスの人気者になった。。
あだ名は“ヒマ”だった。。
肥満体の“ヒマ”。。
皆がヒマ・ヒマと呼んでいた。。
仲の良い友達の親までも“ヒマちゃん!”と呼んでいた。。
そんな彼と最初のイキサツもあって私は大の仲良しになった。
毎日彼と遊んだ。。
彼は私のことを○○さんと“さん”付けで呼んでいた。
子供心にもなんか違和感があったので、“いいよ、やめろや”と何度か言ったのだったが
“やめへん”と言う答え。何時しか“やめろ”という事も言わなくなり、○○さんという事に落ち着いた。。
なんでだろう?と今更ながらに考えるのだが、、何かにつけてドン臭かった“ヒマ”はいつも私にいろんな事を聞いてきた。その都度私は答えていた。。。最初の出会いがそうだったのだが、以降もズッとそんな関係だった。。だからか?私には変な話だが尊称をつけてくれていた。。。自分は偉そうに兄貴風を吹かすつもりはないのだが…なぜかそんな関係になっていった。。。
ヒマはアホだった。
頭が悪いというより、勉強が出来なかった。
言葉は悪いが完全に“落ちこぼれ”だった。
それでも彼は一向に意に介さない風であり、生来の明るさ
がそんな事を吹き飛ばす勢いを持っていた。
しかし、周りと違い、私はそんな楽観的には笑えなかった。。
私はヒマのような自虐的な事で笑いを振りまけるほど大らかではないし
何より“笑われる”ことが嫌であった。。だから
いつも一緒にいる分、なんとなく自分が笑われているような気にもなった…
私は心配になって一度だけ
確か夏休みだったような気がするが ??
“ちゃんと勉強しろよ!”と喧嘩したことがあった。
彼は黙って私の話を聞いていたのだが、、
話が途切れた所で黙って背を向け家に帰っていき
気まずい雰囲気だけがその場に残った。。。
少し言い過ぎた…・おせっかいに。。。と後悔した。。
が、、次の日、いつもと変わらない調子で
○ ○さんあっそぼー!
と家に来た。。。
昨日の事はまったくなかった事のように・・
またいつもの二人になって遊んだ。
そんな奴だった・・
中学に入りクラスも分かれ疎遠というよりも
一緒に居る時間が少なくなった。しかし3年生の時同じクラスになり
小学校の時と同じように戻ったのだが、大きな違いが現れた。
受験だ。
ヒマは就職すると決めていた。だから受験勉強はまったくしなかった。
年末から受験の2月3月まで彼は一人だった。
でも受験当日の朝、家に来てくれた。
頑張ってな!○○さん!!とニコニコしていた。
受験の緊張で適当に“ありがとう”と言った。。
迷惑ではなかったが、その時、余裕がなく彼の優しい気持ちを受け止めることができなかったのは、大人になった今でも小さいシコリとしてたまに疼くことがある・・
私は無事公立高校へ進学することが決まり
ヒマは“寿司屋”の就職が決まった。。。
お互い岐路を向かえそれぞれの道に進んでいった。
それからお互い顔を合わせることも無くなった。
暫くして噂で“ヒマ、寿司屋一週間で辞めたらしい”と言うことを聞いた。。。
へぇー。。どうしてるんやろ?
あいつ・・
と気になりつつも、勝手なもんで、頭の中のひっかかりはその時だけのものとしてしまった。
いや…確か一度家に行ったが、、家を出ていたようだった。。
しかし、高校2年生になり
具体的に大学受験のことが眼前に現れ、悶々とし始めたのある日
懐かしい声が家の外から聞こえてきた!
○ ○さんあっそぼー!
うん?と慌てて家を出ると
ヒマだった!
見ると随分風体が変わっていた。。
頭はパンチパーマ
眉毛なし
当時のヤンキーが着ていたボンタン風のズボンに派手なシャツ
足元は女性モノのサンダル。
立派なヤンキーになっていた。。。が!
顔と表情は小さい時のまま
体型も同じだった。。。。。
だからなんとなく
奈良の大仏さんのような・・
久しぶりだった。
仕事の噂を聞いた。
やはり本当だった。一週間で寿司屋は辞めたらしい。その後は職を転々としていたのだが
今は板金だったか鉄鋼所だったか?忘れたがそういった工場に勤めていた。。。
風体は別にして真面目に働いているようだった。。
そのとき何をして遊んだのか?もう今は覚えていないが、それからチョクチョク会うようになったのだが、、私はまた受験ということでそんな関係が途絶えた。
大学に入り、毎日市内に通うようになると地元とはドンドン疎遠になっていき、当然ヒマのことも頭の中から消えていった。。
ヒマもそう言う事を察知したわけではないが、彼も私の前に現れる事が無くなった。
そんな期間が4年近く過ぎたころ、私は大学4回生の夏休みを向かえていた。本来4回生とは就職の年であり、皆そのことに邁進する時期なのであるが、私は留年が決まっており毎日することも無くブラブラしていた。留年することは1回生から決定していたことだった。大学に入りほとんど授業に出なかったのだから当然の結果だったのだが、なにかしら漠然と“何かしたい”という思いを沸沸と抱いてはいたのであるが、想いだけでなんら努力もせず、なにをという大テーマも見つけられず結局最終学年までズルズルと来てしまったのであった。しかし周りが具体的に将来を形づけようとしている最中、自分はなにもないままブラブラと親のスネをかじってのうのうとしていた事になんともいえない苛立ちと情けない自分を初めて目の当たりにし、今まで適当に逃げていた自分という姿と初めて向き合ったのだった。
そんな情けない自分だから、結局ブラブラしたくはないが何をしていいのか分からずブラブラするしかなかった。家にいてられない、かといって友達の家にいっても迷惑・・後輩たちとと言ってもみっともなく感じ、結局自分一人でブラブラするしかなかった。。。
そんな時
またあいつは私の前に現れた。。
ある日、駅からブラブラ歩き通りの角を曲がった所で、家の前で母親が作業着を来た人間と笑いながら話している姿が目に飛び込んできた。近づいていくとその作業着の男がヒマであることが分かった。。。
もうヤンキーではなかったが
今度は立派な“現場のおっさん”になっていた。。
「○○さんひっさしぶり!飲みにいかん??」
「おっ、、おぉ。。いこか・・」
そう言えば二十歳を超えてから初めて会った事に気付いた。
そうかこいつと飲んだことがない。いくか!と二人地元の居酒屋に繰り出した!!
何を喋ったのか?細かい事はもう覚えていない。
しかし、ヒマは前にあった時に言っていた工場に今も勤めており、ベテランではないが、それなりに仕事を任されて頑張っていた。アルバイトもロクにしない私と違い金回りも良かった。。。。
「○○さん?」
「うん?」
「仕事は??決まった??」
「いやぁ・・それが留年で。。。まだ大学。。」
「そう。仕事なにするの?」
「うーん。。わからん・・」
「ふぅーん。。」
「ヒマ、、今の所楽しい?」
「うん!まぁキツイけど楽しいよ!結婚もするかもしれんし!」
「結婚?」
「うん!」
「そうか。。」
到底その時の自分にはまったくなかった具体的な人生設計だった。。
いまだに小学校時分と本質的に変わらない今の自分の生活…
大学に行ってただけだ。。。
電車乗って・・
この日、居酒屋からスナックを何軒か行った。
全部ヒマが奢ってくれた。。
なんか小さい時分
あの夏休みの日
“ちゃんと勉強しろよ!”と偉そうに言っていた自分を
ヒマが逆転していた。。
でも、、ヒマは私みたいに
偉そうではなかった。。。。。。
あの時のような気まずさは
彼にはなかった・・
それから幾度か飲みに行った。
でも、、そんな話はそのときだけだった。。
それ以降、、一回も彼はしなかった・・
大学5年生になり
私は思うところがあり卒業しようと朝から晩まで学校に行った。
単位を一年で取れるかどうかという程だったが、とにかく卒業しようと頑張った。
振り返ればこのときが人生一番勉強した?というよりも一番学校に居たように記憶している。。
朝から晩まで。。。この年はほとんど他人と接触しなかった記憶がある。だからヒマともあってなかったし、彼もどう言うわけか私の前には姿を現さなかった。。
忙しいんだろ。。
ってな程度に考えていた。
無事卒業。そして親の反対を押し切り今の仕事についた。
それから3年後
私は、友人たちと3泊4日の旅行に出かけた。
その旅行から帰った日
衝撃的な話を母親から聞かされた。。
…N君、、死んだ。。もうお葬式も終わったみたい。。…
えっ…
嘘や・・
信じられなかった。。。
呆然とした。。
交通事故だった。
夜遅く家に帰る時に起した事故だった。
その家、アパートには
嫁と子供が待っていたらしい。
いつ結婚したのか、、なんにも連絡くれなかったが、、
とにかく慌てて礼服に着替えヒマの実家に行った。
おかあさんが出迎えてくれた。。
「おかあさん、、すみません。。知らなかったもんで、、遅くなっ…」
と言い終わらないうちに
「ええから、、ええから、、上がって!」
と家に上げてもらった。
お父さんもいた。。M自動車に勤めていた職人さんで夜勤が多く、昼間よく私とヒマとキャッチボールをしてくれた優しいお父さんだ。。
「ごぶさたしてます。。すいません、、、おそくなっちゃって。。」
「ええから、、ええから、、はよこっちおいで」
「はい。。」
通された部屋に仏壇があり前に座ると
白黒のヒマが笑っていた。。
チーン・・
色々死ぬ前の近況をお父さんとお母さんが話してくれた。。
そして
「○○君、よぉあの子と遊んでくれたね、ありがとうね。。」
そんな風に言ってくれた。その言葉を聞いた瞬間、堪えていたものが
吹き出した。。
遊んでくれたね、、、、、
違う。。。それは違う。。
あの日から大分時間が経った。
また、ヒマの事を私は忘れていた。
そう言えばあいつ
私が弱った時に
なにも言ってないのに、必ず
どこからともなく現れた。。。。
今も生きていたら
力になってくれただろうか?。。
遊んでくれただろうか?
どこからともなく
○○さんあっそぼー!
心の中で
自分で自分につぶやいていた。。

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