2008年04月03日(木)
mama 
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春休みということもあるが、
私が思うにそれは、母親が休みの間、家にいるからだ。。
うん?
母親が家にいる??ゴキゲン???
別に特別なことではないが、
仕事をやめたから今は家にいる、、それだけだ。。
しかし、長い休みの間、日中一人で留守番しているのと、母親がずっと家に居ているのとでは子供にとっては大きな環境の違いがあるのだろう。。
嫁も働いているとき、そのこと、子供が長期休みの間家を空け働くことだけは頻りに気にかけていた。。偏に一人家で留守番していることがカワイソウであると…・
それは、嫁自身も子供のころ母親が働いており、弟と二人留守番が多く、寂しく、不安でもあり・・その時とダブルらしい。
本当は働きに行くこと、特にU君が小学生の間はどうしようか?と悩んでいた。。
しかし今は家にいる。そのことがU君も嬉しいようである。母親が居るということは即ちうるさい事を始終言われる環境であるのだが、それでも母親がいつもいるというのはその煩さ以上に嬉しいことなのだろう。
フッとU君のなんとなくの嬉しさを感じた時に思ったのだが、男の子と母親という関係とは、、客観的に見た場合どうなのだろう?
今までさほど考えてこなかったし、ましてや自分がちいさい時どうだったかなど、様々な思い出の断片の印象しか残っていない。しかし、U君と嫁の日常を見ていると、俺もこんな感じだったのかなぁ?30年前を脳裏で繰り思い出していた。。
男の子にとっての母親って??
また逆に母親にとっての男の子って???
イッパシの男のように気取ったりしているが
思い返せば、小さい時分、泣き虫だった私は母親にべったりであった。。
いつも母親にくっついていた。。物心つくかつかないかの時分までは母親が見えないといつも泣いていたらしい。妹が生まれる時、生まれた後も大変だったと聞いた。
“へんねし”と言うのだが、母親の愛情が取られると感じたのか、余計に母親に甘え、依存度を高めたらしい。
今、考えると“誰のこと?”となる。自分でもそう思う。
しかし、そんな時分、今から逆算していき今の自分とはまったく違う?そんな生き物の時からずっと見ていて、知っている、唯一の女性、それが母親だ。
よく考えると、女、母親とはすごいと思う。子供を産むと簡単に言うが、10か月もの間、お腹の中に“生き物”を入れて日常生活を送れるのだ、それを冷静に考え、男である自分ができるか?
と自問自答したとき、とてつもない凄さに突き当らないだろうか?
数日便秘になるだけでも気持ち悪いし、中年になってなんかわからない“膨満感”があるだけでも苦しくなり、薬をガブガブ飲んで解消を図ろうとする・・・
それから言って、、3000グラム、しかも動く生き物を腹の中に10か月・・300日も・・はぁ~
ス・ゴ・イ
また、そのとき10か月もの間、我々はお腹の中の羊水に浮かんでいたのだ・・・この関係性って凄いなぁ!と率直に思う。お父さんと子供の関係なんて所詮、生まれて人間になってからのものだが、母親と子供の関係なんて生物という次元からの繋がりだ・・・
以前聞いたことがあるが、列車が進入してくる寸前のホームから子供が転落したとき、父親は一瞬ためらうらしいが、母親は即、飛び込む。。
それほどの違いがある。。
よくマザコンというが、これはマザーコンプレックスの略だが、私から言わすと、リモコンと同義で、ある意味、男は生涯“マザーのコントロール”=マザコンなのでは?と考える。
私は思うのだが、男の子にとって女性は
全て母親なんじゃないかなぁ?とつくづく思う。
もちろん世間で若い女性が忌み嫌う“マザコン”然としたもののことを言っているのではない。
いや、ひょっとするとそこも含まれる?ディフォルメした形態でしかないかも???
男の子が女性と向き合うとき、その根底に流れ、求める本質とは母親のようなものなのではないかなぁ?と思うのである。
それを意識していなくても、精神的に効しきれない根底にその要素が粘っこく引っ付いていて、俺はそうじゃない!と言っても、私は誰しも多分そうだと思うのである。。
基本的に女の上に立てる男って存在するのかなぁ?と思う。もちろん社会的な地位や金銭やそういった外的要因があり、それによる序列というものはあるだろう、しかしそんなものを取り除いた時に、一人の男性と女性という向き合い方で、男性が上にいるというのはあり得ないような気がする。年老いた男性が若い、孫のような女性と結婚してもその関係性の上下は、女性が上だろうし、また逆の年老いた女性が若い男性を選んだとしてもその関係は変わらないだろう・・・
男が女性を選ぶ、その根拠とは??
もちろん顔が綺麗である、おっぱいが大きい、スタイルがいい、とか外見的誘引要素は沢山存在するだろうが、、数ある中で選ぶとなると、、あえて具体的な言葉では説明できないが、なんとなく、やっぱり、母親と男の子の関係性が生れるような空気があるかどうか?ではないか?これは見た目や、物質的な充足による打算的なものでは決してないように思う。
あくまで結果的にそうなる可能性なので具体的根拠などなにもないし、同意する人もすくないかもしれない。。。
もちろん好きになった女性を母親のコピーとして考えているということでないし、よく言われる
母親をすべての基本と考えるような貧困な発想からくるものでもない。
あくまで自身のなかにある胎児としての感性、アンテナみたいな部分を言っているのである。
建さん、高倉健だって「あなたに褒められたくて」というロマンティックな本を書いているし
ビートたけしだって、母親が死んだとき人目も憚らず「かあちゃん!」と号泣していた。。。
男はみんな
そうだ。。
特攻隊で突撃の瞬間に叫ぶ言葉なんか誰も知らないし知るすべもない、しかし
おとうさん!と叫ぶやつはそういないだろう
大抵
おかあさん!
じゃないのかなぁ??
・・・・・・・・・・・・・
よく女性が男性の魅力を語るとき
子供みたいに!子供のような!
という形容詞を使う。これは決して蔑んだ表現ではなく、どちらかというと好意的、母性的に捉えた表現となる。
しかし逆に、男性が女性を形容する時に子供のように!子供のような!という表現は私が知る限りほとんど使用されることはない。
そしてこの形容は既婚未婚、子供の有無も関係なく、女性が感覚的に男性を見て使う言葉ではないかとも思うのである。
この表現からも分かるが、女性においても男性はやはり永遠的に“男の子”じゃないのか?と思うのである・・この部分は女性だけが感知できる独特のものだと思う。。そして女性が許容する最大の部分じゃないか?とも思うのである。
そして、そういう感覚的な瞬間が生れる、見えると、魅力的に見えるのかもしれない・・
これはやっぱり女性は永遠に母親なんだと私は勝手に想像するのだが、核心じゃないか?と自分では考えている。。こちらがどんな印象を抱こうと思おうと、染色体が成せる絶対であり、我々男子がどうあがいても“男の子”でしかないのもまた染色体の呪縛なのだ・・
これは、男、侠、漢!などと厳めしい文字に表現を変えようとも逃れられないのだ・・
そうするとこの部分を!と思うが
くやしいが、、、作為的に表現できないのだ・・残念ながら。。
どこがどう?どの部分が?と女性のこの感性の琴線に触れるのか?それは謎である。。。
話はかわるが
私はある種のニュースが流れると
必ずチャンネルを変える。
それは、母親が子供を虐待するや殺すという内容だ。
この種のニュースはどうにも生理的に受け付けない。ある程度の内容を理解するとそれ以上は知りたくない。胸が詰まるのだ。息苦しくなる。現実逃避である。
しかし、虐待や殺された子供のことを考えると、例えどんな母親であろうが・・・
そう思うと“やるせなく”なり、なんのために生まれてきたのか?そんなことがあっていいのか?
本当にこの種のことだけは正直にそう感じ、私の中の偽善ではないと言い切れる。
嫌なのだ
とにかく、この種の事件が嫌なのだ。。
正視できない。
こういう感情は以前からあった。今ほど強烈なものではなかったかもしれない。しかしある事件を知ってから一気に今の感情が吹き出し、条件反射のようになってしまった。
その事件とは
------佐賀・長崎保険金殺人-----
「中途半端じゃ駄目よ」とわが子の頭を海に沈めた母、「この野郎」と叫び絶命した息子―。
母親が保険金目当てに男と共謀して夫と高校一年の二男を殺害したとされる長崎・佐賀連続殺人事件。山口礼子被告(41)の残された長女は、長男とともに生まれ育った佐賀県鹿島市を離れた。
「お母さんは料理が上手。魔法使いみたいに何でも作ってくれる」
小学生の少女は家を移り住んだあと、こんな詩をつづったという。
母がどんな罪に問われているのか。「本人は気づいていると思う」と関係者。
しかし、長女は「今でもお母さんが好き」と周囲に話しているという。
平成10年10月27日午前0時頃、「次男の姿が見えなくなった」と看護助手で母親の山口礼子(当時40歳)から110番通報があった。警察は、長崎県小長井町の港に駆けつけ周辺の捜索を始めた。その結果、午前3時頃、漁港内の岸壁で佐賀県鹿島市の高校1年生の次男(当時16歳)の遺体を発見した。
警察は、母親の山口に事情聴取したところ、「次男や妹と一緒にイカ釣りに来たが、気がつくと次男の帽子が海面に浮かんでいたので110番通報した」と言うことだった。が、この時期にイカ釣りは不自然であること、次男は水泳が得意であること、外傷が無いことなどから不審を抱いた警察は次男の遺体を司法解剖した。
司法解剖の結果、次男の胃から睡眠薬が検出された。そこで、警察は山口を軸とした周辺捜査を実施。その結果、次男には3500万円の保険金が掛けられていることが発覚。さらに、山口の夫で次男の父親であるAさん(当時38歳)も平成4年9月に水死していたことが判明した。このAさんにも多額の保険金が掛けられており、保険金の受け取りも山口、第一発見者も山口であったことが明らかになった。
平成11年8月30日、長崎県警捜査1課は山口と愛人で共犯の古美術商・外尾計夫(当時51歳)の2人を殺人容疑で逮捕した。山口は以前、保険外交員をしていた経験から保険知識が豊富であること、また犯行当時は看護助手をしていたことで病院から睡眠薬が簡単に入手できる立場にあったことなどが決め手となった。
山口と外尾は逮捕後の取り調べで犯行を認めた。これによると、山口の夫であるAさんは家庭を顧みず交遊関係で派手な生活をしていた。一方、Aさんに不満を抱いていた山口は外尾と知り合い、深い関係になった。その頃、外尾は事業やギャンブルで多額の負債を抱えており、保険金目的でAさんの殺害を持ち出した。
そこで、山口は病院から入手した睡眠薬をカレーに混入しAさんに食べさした。深い眠りに入ったAさんを山口、外尾が車で海岸へ運び、外尾がAさんを海に投げ込んだ。結局、Aさんは誤って海中に落ちたということで9000万円の保険金を山口は受け取った。
9000万円の保険金の殆どは山口から外尾に渡っており、外尾は事業の借金返済やギャンブル、派手な遊行費で使い果たしてしまった。そこで、外尾は山口の子供達に保険金を掛けて同様に殺害を山口に要請した。山口は、それまでにも相続した田畑の売却金5000万円、消費者金融で1000万円の借金をしてまで外尾に貢いでいた。が、外尾は全てギャンブルで使い果たしていた。
さすがに、自分の子供を殺害することには難色を示していたが、外尾の脅迫に近い指示で次男を殺害したのだった。犯行当日は、次男に睡眠薬を飲ませた後、外尾が海に投げ入れた。ところが、次男は泳いで岸壁にたどり着いた。この時、山口は次男の頭を押さえつけて「水中でもがくのを押さえつけた」という。
山口は次男のほか、長男(当時19歳)に4000万円、長女(当時10歳)にも2500万円の保険金を掛けていた。その後の警察の調べで、長女に何回か睡眠薬を飲ませるなど、殺害を計画していたことが判明した。
平成16年5月21日、福岡高裁は一審の長崎地裁で死刑判決を受けた山口と外尾に対して、山口に一審判決を破棄して無期懲役。外尾に対しては情状酌量の余地無しとして一審判決を支持して死刑を言い渡した。尚、山口は二審の無期懲役を不服として上告した。
「中途半端じゃ駄目よ」とわが子の頭を海に沈めた母、「この野郎」と叫び絶命した息子―。
「この野郎」という叫びは母親に向けたものではなかったらしい。
本人は母親に殺されたとは思っていないで、あの世へ・・・
いや
そうであって欲しい。
せつにそう願う。。
そして今どこを調べても出てこなかったが、私がこのニュースを見たときに、二男が母親に向けた作文か、友人に語ったものだったかは分からないが、母親の役に立ちたい、おかあさんを幸せにしたい・・というようなことを語っていたという内容を見た、実に素朴で純真な少年だった印象がある・・
そんな心やさしい少年が、精一杯の気持ちを向けた母親に殺される。。。
それを見た時に、胸が詰まって苦しくなった。。
なぜ?
虚しさが頂点に達したような感覚が襲ってきた。
それは“可哀そう”というものを超越していた。。。。
多分、、私の理解を超えていたのだろう。。。
このニュースを見てから以降
いろいろな残虐非道な近親殺人が当たり前のようにニュースが流れ
麻痺しているのだが、母親が子供を殺すというのだけはどうも苦手になった。
もちろん父親が子供を殺すというのも憎悪するのだが、なぜか、母親がどんな事情からかは別にして、そういう事件を犯したケースだけは特別な嫌悪感が体を突き抜ける。。。
それが昨日
また
衝撃的なものを見てしまった。
青森県八戸市で1日、同市立美保野小4年西山拓海君(9)が自宅で絞殺された事件で、殺人容疑で逮捕された母親の無職未紀容疑者(30)が、八戸署の調べに対し、「収入がなく、将来が不安になってやった」などと供述していることがわかった。
県警関係者によると、未紀容疑者は約5年前に離婚し、両親の住む同市の実家に拓海君と移り住み、4人で暮らしていた。未紀容疑者は定職に就いておらず、将来の生活について悩んでいたといい、「誰にも相談できなかった」と話しているという。
拓海君が通う市立美保野小の児童数は、今春の新入生4人を含めて8人。近所の60歳代の女性は「同世代が少ないので、困ったことがあっても相談できる人がいなかったのかもしれない」と話した。同署は2日、拓海君の司法解剖の結果、首を絞められたことによる窒息死だったと発表した。
拓海君が昨年10月、仙台市の詩人・土井晩翠を記念して同市が小・中学生の詩を表彰した第48回「晩翠わかば賞」で、佳作を受賞した2年生の時の作品「おかあさん」
「おかあさん」(青森県八戸市立美保野小学校二年 西山拓海)
おかあさんは
どこでもふわふわ
ほっぺは ぷにょぷにょ
ふくらはぎは ぽよぽよ
ふとももは ぼよん
うでは もちもち
おなかは 小人さんが
トランポリンをしたら
とおくへとんでいくくらい
はずんでいる
おかあさんは
とってもやわらかい
ぼくがさわったら
あたたかい 気もちいい
ベッドになってくれる
仕事中にネットでこのニュースを見てしまったのだが
涙がこみ上げてきた。。。
溢れ出そうになったから急いで便所に駆け込んだ・・
頭から離れない・・
おかあさんは
とってもやわらかい
ぼくがさわったら
あたたかい 気もちいい
ベッドになってくれる
・・・・・・・
おかあさんってそうだよね。
ほんとにそう思うよ。
もう
たのむから
やめてくれ。。
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