2008年03月18日(火)
こそ泥の部屋 
amazon.co.jpで こそ泥の部屋 を探す
正直言うと
私は他人のブログをあまり…
いや、ほとんど見たことがない。
ブログをやっていると他人のブログが気になる、参考にする、ただ単純にこの人のは面白いとか
ためになるとか言うのがあるかもしれないが、私に限って言えば、ほぼない。
つまらないから、とか、ためにならないとか確たる根拠があって見ないようにしているというのではない、ただ単純に興味が向かないのである。しかし勝手なもので自分のは見て欲しいという欲求は強烈に抱えている。そしてもっと可笑しいのは、見て欲しい、何を?という確たる目的もないままにそういう欲求を抱えているのであり、自分自身にとっても何のためという具体的な目的もないまま書き連ねている。
時として勝手に義務感を感じたりしている。。書かなければ、更新しなくては…こうなると“なんで書かなあかんねん?”大体??誰のために???と初めてこのブログが存在する意味と向き合う大事な瞬間が生れるのであるが、大抵、YouTubeの埋め込みでお茶を濁し、逃避することを覚えてしまった。。。YouTubeだけだとあまりにも主体性?がないから、詩を書き込み、全体を整えている。こうすると、100%ではないが、なにか文章を連ねるよりもストレートなその時の感情を形にできることに気付いた。本来この程度のものでいいのじゃないか?ある意味成立しているではないか?ブログとして・・とも思うし、詩にしてもYouTubeにしても、もともとは他人のパクリでしかないから、ある意味こちらが捏ねくりまわさなくても完成度は嫌が追うにも高くなる。。。
誰かに見てもらうにしても、見やすい!コピーアンドペーストで完成度高く完了し、優れたアーティスト達の作品を“拝借”し、彼らが死に物狂いで作り出した“世界観”をインスタントラーメンのように簡単に借景でき、しかも“美味しい”。。
だが、なぜかそれだけでは…まぁ毎日インスタントラーメンではねぇ?と現代ではもはや健康のための定型句?慣例句のようなものを沸沸と湧き上がるように自分を掻き立たせ、そんな自分に陶酔もし、やはり、自分らしいものを!という欲求?を無理からつくりだし、さも自然な行いとして、しばらくすると、また駄文を連ねる。
そんな繰り返しだ。。。
そういう意味で毎日の虚虚実実を演出し、自らと相談している部分を考えると、私のブログはある種の日記ではある。だから本来日記なのだから内省的なものであり、他人に顕示する必要もなく、また評価を求めるが如く、アクセスを気にするというのはオカシイのであるが、なんとなく見えない誰かを喜ばそうという気持ちが働いたり、どうや!
面白いやろ俺!的な実に“むっつり助平”的な感覚に浸ったり、所謂、いつも批判していのであるが、無記名による悦楽に自ら浸っているんだよなぁ~!これが…と改善するつもりもなく、なんとなくモラルを警鐘しつつ、自らを高―い棚の上に放り上げ、卑怯というものを感じつつも自己満足に耽っている…
今更ながらに、よくこんなもの見に来るナァ?とカッコウつけて思ってもいないことを考え、ある時はブログに書いたりし、“ほくそえん”で気持ち悪い優越感に浸れることが、一番の錯覚を生みやすく、間違いの元なのだなぁ?と他人事のように感じながら、今日も人知れず書いている。。
なんとなくマスターベーションを覚えたころの中学生のような感覚が無きしもあらず…である。。。
“またやってしまった…”と必ず終わってから襲ってくる自己嫌悪感。。。しかし翌日には・・
マスターベーションは終始一貫して自己の満足を追及する自己完結行動だから、許される許されないに関係なく、人知れず行われる行為として暗黙の認識を得ているが、これが人前で行われたらどうなるのだろう?
またやってしまった!とはならない。。。
そういう意味ではマスターベーションの罪悪感から感じる快感を肉体的な快楽ではなく、精神的な歪んだ、というよりも精神的マスターベーションとして快感を得るために公開非公開のギリギリ側面で実践する“露出行為”、所謂猥褻物陳列罪に相当する行為に近いのかなぁ?などと考える。。
そう!あの裸にコートを着て、若い女性の前で“へへへへへへ”とコートを開く行為!それに近いのじゃないかなぁ?
これは誰か分からずにやるから、変態行為として成立するわけで、誰か分かっていれば
なにしてんのぉ?アホか!となるし、
当然捕まる、もしくは近所で“変態”として認識され、関係者に隔離されてしまう。そういう意味では無記名にてのブログで中途半端な露出を繰り返す行為にも類似しているような気がするのである。
そして、批判めいたコメントが直撃すると、逃げ場を失うかのように逃げさって、無かったことのようにしてしまえる。。。。これもそうじゃないかなぁ?と思うのである。。
コートを広げ“へへへへへへ”と相手が恐怖と経験のない感覚に絶叫するのを快感にしようと企み、いざ“へへへ”とした瞬間、
「ちっちゃー?貧弱ちゃうん??」と物凄く冷静に言われた場合
「なに?そんなことあらへんで!」と、まともに会話しないであろう!おそらく一目散に逃げて敗北感を味わうことは必至であろう…
ヌーディスト村ではないのだから。。
この間初めて知ったが、ブロゴスフィアという言葉があるらしい。それはネットという広義領域ではなく、ブログに限定された空間であり社会を指す言葉らしいのである。もっとタイトな概念で言えば“ブログ圏”らしい。それは共産圏、とか成層圏とかいう括りと同義の“圏”という言葉で表現されているのである…
所謂社会であるから、一定の考え方、またその流れというものが存在し、価値観というとてつもないものまで検証され、茫漠として実に根拠がなく虚像でしかないものを語りあったり、討議したりという、現実社会において、さも、この空間発信の問題定義、その考えの流れのつながりが、ある種の特定団体に類似する意見に近似した存在と価値があるかのような団体観念が出来つつあるらしいのだ。
私はどうもこれが嫌いなのだ。だから出来る限り見ないというのは、主体的行動を取っているのではなく、生理的に受け付けないのだと自己分析している。この空間は嫌いである、その主たる部分は“関わりたくない”“帰属したくない”というだけで、存在そのもを否定まではしていない。だからたまに除く、そしてこのブログに時おり盗んだものを出す。
所謂、窃盗はしているのであり、その空間の住人からすると取るに足りない盗人でしかないのだろうし、相手にもされないだろう。
その程度の他者ブログとのつながりであり、たまにチョクチョク内容的に盗むことがある。
私のブログはある意味そういう要素が加わって整合していることは否定しない。
そうなのである、私のブログは“盗人ブログ”なのである。
しかし、もともとブログの存立要素って??
これはややこしくなるから止めにするとして…・
私のブログに集中して考えれば
大体、自分なりの考えが本当にあるのかぁ?と最近つくづく考える。大抵誰かが言っていたか、
何かに載っていたものばかりじゃないのかぁ?と冷静に判断するとそんなものが浮かび上がってくる。。間違いなく、盗人である。
断っておくが盗作などという高尚なものではない。盗んだかどうか判断が必要なほどのオリジナリティーの混入はない。
間違いなくそのままの盗用である!
断言できる。
そう考えると、私のブログとは?という意味を自分で考えた場合、実に落ち着きが良い!!
盗人が実名公表はしないだろうし、必要以上に盗むのは生活の為ではない。
なんともいえない感覚を崩した欲求と習性がその連続性を作り出すのである。。。
また、実名入りで“義賊”を装っても、世間が納得するようなものを盗んでいないし、実に軽微でケチなものでしかないし、義賊のように金持ちから盗み、貧しい人に分け与えるというような徳を感じられるものもないから、到底、義賊というような称号も得られないし、そんなものをブロゴスフィアで得て何になるのか?という大いなる疑問もある・・もともと訴求力のあるブログから盗む必要性はない。直接誰もが見られる訳であるから…そうなると・・実名で批判する?ことか?なんか違うナァ?
まぁいろいろ書いたが
簡単に言えば、コソ泥である。
こそ泥ブログである。
しかも、財布に11万5千円入っていたとして、5千円ないしは1万円しか盗まないタイプである。。取られたほうも“あれっ?確か?11万5千円??うん10万5千円だったかなぁ?あれどっかで使った??落とした??というような盗み方である。また、盗まれた!となっても、お札に名前が書いてあるわけで無し!と言いはる盗み方である。。。
このブログを仮に部屋とした場合
そういう盗んだものが沢山ある
こそ泥の部屋なのです。。。。
一票人気blogランキングへお願いいたします。

リンク元(referer)
コメント
はてなに追加
MyYahoo!に追加
livedoorClipに追加
Googleに追加
Schizoid Man
泣く女 

ブログ王へ
週刊ブログランキング













.jpg)





