2008年02月18日(月)
eye 
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外が暗いので電車の中の窓ガラスに自分の顔が映る。。。
普段、朝、顔を洗う時、便所などに入った時にくらいしか鏡などみないから
しみじみ自分の顔を見るなどここ最近なかったのだが、電車の中、特に晩などは外を見ようにも
映るのは自分の顔くらいで、仕方なく眺めている。。
電車に揺られながらマジマジ自分の顔を数十分見つめると
目じり、頬に、結構な皺が入っている。
気持ちは20歳、そしてビジュアル的にも、どうも良いように感じているみたなのだが、こうしてマジマジと眺めると、確かに“おっさん”になったなぁ・・と感じる。。
俺って?こんなに皺があったのか?
別に落ち込む訳ではないが、なんとなくこういうとき走馬灯のように過去から無作為に記憶が蘇ってきて、そうかぁ~!あれから20年。。というような感慨に耽る。。
大抵この場合の起点は20歳位になるのであるが、確かに、20年前とは顔かたちが大きく変化しているのは間違いない。写真などと比べれば一目瞭然なのであるが、記憶の自分と比べると、そこには何か造形だけではない要素が盛り込まれ、黄昏てしまうのである。。
しかし、唯一同じもの、うーん?同じだと思うものがあるのも発見した。
それは目だ!もちろん瞼やその他のパーツ的には変化しているのであるが、目玉自体は変わらない。何がかわらないか?
それは目の光というか、目から出るもの?うーんなんかよく分からないが、それだけは同じような気がするのである。。
目って不思議だなぁと改めて感じた。。
先日も朝、満員電車の中で
うん?あれは男か女か?という人に出くわした。。
短髪に大き目のダッフルコート、めがね、顔には化粧もない。。しかし骨格が華奢・・
すると男?かとなるが、どうも女性的なフェロモンも感じない。。
うーん?どっちなのか?と惑うような人であった。
しかし満員がさらに激しくなったとき、その人物の真横に体が動かされ、その人の顔を近くでマジマジ見ることが出来る位置に立つことになったのだが、それでもよく分からない????
不思議なのだが、造形的にはオヤジなのである。しかしどうもソフト…おかま???
それにしても元々のセクシャリティーは?という探究心に突き動かされ、気付かれないようにちらちら見ているうちに
あっ!女だと気付いた。。
なんで気付いたか
それは目だった。。
上手く言葉では説明できないが、目が違うのである。
女の目
うーん?難しいのであるが
柔らかい、そう、光が、間違いなく男とは違う。
そこを起点に他のパーツを見ると、確かに唇も耳も違う。
間違いなく女だった。。。
これも、やはり目から感じたものであった。
不思議である。
目は衰えない、視力ということではなく、目の力というものはそう変わるものではない。
それどころか、なにかに燃えているときなど、言葉にもあるように
目の色変えて!
と言うのがあるくらいで、目とは肉体の一部ではあるのだが、通常の肉体的老化と連動するものではないのだ!とつくづく感じた。。
目が死んでいる。
これは老人のことか?というと、結構若い者に多いのではないだろうか?????
目は感情と連動している肉体だ。
目は口ほどにものを言う!
これほど人間そのものを言いえている言葉はないんじゃないだろうか?とつくづく思うのである。
人間が放つ目の光、これに虚偽や演技はなかなかできない。
以前聞いたことがあるが、素人がドラマなどのカメラの前に立つと、演技はできるのだが、どうしても“目が泳ぐ”らしいのだ。
これ、実に良く分かる。
頭から発信した動作については、肉体はある程度従うのだが、目だけは、別の指令、そう、心からの指令がないと思ったようには動かない?違う“色”を発しないし、その色とはRGBのチャートにある色の事でもない。そして目の演技など、とてもではないが、よほどの感情移入が高い次元で行えないと、出来るほどの余裕もないような気がするのである。
よくあるではないか!顔は笑っているが、目が冷めて冷徹な光を発する人が!!!
私はテレビを見ていて、こういう人をよく見かける。特に与党の政治家や野党でも権力の中枢にいる人間の大半はこういう目をしている。
また、芸術家にもこういうタイプはおおおにして存在する。もっとも感じたのは、大島渚という映画監督だった。快活にテレビ画面などで笑っていた印象があるのだが、その当時テレビを見ていて感じたのは
“目が笑っていない”いつも冷徹に本質をキリのような鋭い感性で観察していると…・
そしてさらに調べると
どうもこの感性、日本人は古より強烈に持っているみたいなのである。それは現在でもDNAに潜んでおり、例えば絵文字で顔を主体として作られているものがあるが、これなども感情を表すのにメールなどで活用するが、その表情をあらわすポイントを目に置いていたりする。外人の場合、この種のポイントは口になるらしいのだ。口で表現する、ディベートなどという協調性などを蔑む民族からすると最大の武器は口であり、攻撃するのは言葉でしかないのだ。。
まぁ、あのガラスのような目玉で何おかを表現しようとしても無理・・
我々大和民族は聖徳太子の古より“和をもって尊しとなす”というように、言葉などで伝えるものには限界があり、やはり最後は、その向き合う人の“目”を見なくては真意が伝わらないという鋭い感性が培われているのだろう。そして狩猟民族のように常にあっちこっちほっつき歩くこともせず“一所懸命”な民族、そう、いつもコミュニティーと過ごし、全ての災禍を皆でくぐりぬけようという、大和民族独特の民主主義からすれば当然の感覚なのかもしれない。
結局、この国ではべらべら喋るやつは尊敬されないし・・最小単位のコミュニティーで信用されない。。上っ面という言葉で片付けられてしまう。。
日本人にとって、口は嘘を言うが、目は嘘をつけないという感性があるのだ。。
♪♪ 俺の目を見ろ 何にもいうな
男どうしの腹のうち ♪♪
って、北島のサブちゃんも言うとろうがぁ!!!!
えぇ、おい!
話はかわるが、
人だけじゃないだろうか?
痛いや痒いという肉体に直撃的にくる刺激以外で涙を流す動物は??
涙はなぜ?流れるのか?調べると明らかに痛いとかそれ以外の、例えば玉ねぎなどで流す涙と、
映画やドラマを見て流す涙は、たんぱく質の量、所謂成分が違うようなのである。。。
人間は笑ったり、悲しみ、その他の心の動きに目が反応するのだ。これは当たり前のことであり、
ことさら語る必要もないことなのだが、改めて考えると、じゃ、なんで水分がその感情と連動して出るのか?実に不思議になりはしないだろうか?
悲しみや嬉しさで“屁”が出るというと、
それはオカシイ?ということになる。
それと同次元的に考えると、実に不思議なことだと改めて感じるのである。
嬉しさや悲しさで“屁が”でるというのが当たりまえで
泣きながら“ぶぅぶぅ”こいてるのが普通だった場合
悲しみながら、屁もこかずに涙を流していると、あの人は一体なんなの?となる
また、笑いながら屁をこくと…・
これは“たまにあるか”。。
まぁいずれにしても不思議だ。。
そう言えば
泣くなど
かなりしていない。。
いつ泣いただろう。。
小さい時分は
ピィーピィーよく泣いていた
泣き虫の私は
「よぉそんなけ涙あるなぁ!」って母親にあきれられ
“男は一生で3回しか泣いたらあかん!”
と怒られたものだ。。。
その時、思ったのだが
もうすでに
3回を遥か超えている…と、、、、、、、
どうしよう、、、、
男として。。。。
あはははははははははっはは
懐かしい。。
一回は生れた時の“おぎゃー”
二回目は親が死んだ時かなぁ
三回目はなんだろう????
車窓に映る自分の目を見ながら
ぼぉーと考えていた。。
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