2008年02月07日(木)
ランブルフィッシュ 
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私にとってなのだが、アッという記事にぶつかった。
ミッキーローク復活!
ミッキーローク飲酒運転で逮捕!
実際には復活は2005年で2年前、逮捕は去年の11月でありニュースとしては2年間の距離があるのだが、ネットのニュース性などリアルタイム以外のウェブの残骸はこんなものでしかない、しかしある意味、ヘッドラインだけが先に目に飛び込んできたので内容はよく分らなかったが、このミッキーロークという俳優にとって、、この奇妙な記事が重なっていることにある種の納得がいく面を私は感覚的に許容できた・・
そして、なんとも言えない懐かしい匂いがあった。。
そう言えば、ミッキーローク・・忘れていた。。良い俳優?
と言うよりも、二十歳前後の頃の憧れの俳優だった。
ネットの記事にてミッキーロークを思い出したこともさることながら、ニュースを読み、さらに唖然とさせられるモノが視界に飛び込んできた!
あの端整だった容貌のあまりにもの変化に絶句した・・・
誰?これ???これが・・あのミッキーローク??
80年代のセックスシンボルとまで言われ、セクシー俳優の代名詞にまで昇りつめた・・
あの、ミッキーロークかぁ??
そう!それはまさしく、あしたのジョー、矢吹丈が死闘を繰り広げた好敵手であり、ベネズエラの太陽、伊達男と称えられたカーロスリベラが廃人(パンチドランカー)として街中でうろついている姿を発見した時のような衝撃だった!!
なぜ?こんな醜い姿に??あまりにも変化に彼のこの20年間を調べずにはおれなかった。
日本人が彼の姿を最後鮮明に記憶に残したのは“猫パンチ”だろう?
人気絶頂の1991年ににプロ・ボクサーとしてデビュー、6-0-2の記録を残すが、1995年で引退。はっきり言ってこのボクシング・プロ・デビューで俳優としてのキャリアをつぶしたも同然の結果となる。80年代後半から90年代最初、ハリウッドのど真ん中にいたにも関わらず、映画界からのオファーを断り、なぜか?ボクシングに傾倒していく。一体何がそうさせたのか?若かりし時分に夢見たボクシングの世界への憧憬だったのか?未だによく分らない・・・が、いつしか俳優業に対して情熱を失っていた彼は自分をいじめ抜くようにボクシングに没頭する。リングでの数々の激戦により かつての彼の美貌は失わていき、 鼻骨、肋骨、足指骨、頬骨の骨折から、脳損傷に至るまでダメージはおよぶ。その過程での整形の失敗?なのか・・とにかく端整な容貌はなくなる。そんな破滅的な生き方について行けなかったのか、1998年にはモデルの Carré Otis と離婚。彼は迷走し続け、10年間、映画界から抹殺・・
それが2005年復活!
そしてくだらない逮捕。。
典型的な破滅型である。。
この俳優の演技には独特の匂いがあった。危険な、影があり、拗ねたような・・
オリジナリティーに富んだ“ボソボソ”とセリフを喋る雰囲気がとにかく素敵だった。。それは往年の反逆精神に富んだ役者を彷彿させた!
私は、演技論はよくわからないが、私の中では演技について一つの太い柱が存在し、その柱に沿った形で役者を見る傾向がある。
その柱の根幹はマーロンブランド、ジェームスディーン、という役者から始まる。これはある意味、彼らの演技理論の根幹が同じこともその理由として存在する。
リーストラスバーグが提唱した“メソッド”そして数多の名優を輩出したアクターズスタジオというベースが存在する。しかしながらそれはメソッドとアクターズスタジオというキーワードを踏んだ者のみを指すのではなく、このメソッドを駆使し、ある一定の独特な匂いを醸し出す役者
が好きなのである。
メソッドに裏打ちされた演技論とは実に精巧に計算はされているが、それを駆使する、そう自分なりのオリジナリティーと融合昇華させるということができているものは、そういないと思う。
一般的にはリアル=メソッドのように捉えられているが、私はそうとも思わない。初期のアクターズスタジオ出身のブランドやディーンとその後輩のデニーロやホフマン、アルパチーノなどと比べると、明らかに後者の方がリアリティーという面では優れているような気がする。しかし、彼らがどうにも追いつけないものが、ブランドやディーンには厳然と存在する。それはある種の計算されたエンターテイメントかもしれないが、その演技に感心するという以上に共感という知覚を超えた感覚を生み出す能力が存在するような気がするのである。見る者に訴えかけるというレベルではなく、見た者がどのような感情を持とうが、引きずりまわすような強烈さ、それは結果論的に時代的な背景を関連づけて論評され、それが彼らの時代的存在としての常識的な見解のような様相があるが、果たしてディーンやブランド以外が同じような局面的な出現をして、彼らと同じような時代的な必然性をもって輩出された役者としての評価が得られたのかという事を逆説的に考えれば分る筈である。
あくまでも彼らが作り出したオリジナリティーによるところが大きいのは間違いない。
そしてもうひとつ、メソッドを駆使していてもオリジナリティーが強いため、ある種、不器用な俳優としても見えるのである。それは諸刃の剣であり、リアリティーの喪失にも繋がる危険な表現ポジショニングとも言える。
メソッド独特の緊張と緩和からくる人間の自然な感情の表現。これを極限までディフォルメしたのがブランドとディーンだったような気がする。そしてなんとも言えない、所有欲を掻き立てられる絵画のような魅力が存在した。
どちらもボソボソと喋り、ストーリーの重要な部分で肉体を駆使した爆発的な感情の吐露、この強弱には将棋などに見られるような独特の戦術すら感じられる。ブランドが外に向かって凶暴に暴れ出すかの勢いを見せ、ディーンは激しい感情を内に内に押し込み、吐き出したくても吐き出せない苦しみを誰かに感じてもらいたい激しさを表現しきった。これらはある意味、脚本や監督、演出などのパートを超越したオリジナルのディフォルメ以外のなにものでもない・・・
オリジナルストーリーが極端な話、かなり役者の表現意図によってアレンジされ尽くしたようなものであり、しかし、そのアレンジはオリジナルストーリーのクオリティーを下げるどころか、とてつもなくハイクオリティーに押し上げている。こういう役者には演じている以外の部分においても独特の匂いがする・・そういう人間だからできるのか、そういう演技をするから虚飾として実生活でも独特の人間像を演じるのか?それは分らないが、はっきりとしているのは、いずれにしても作ったような嘘がない、もしくは嘘でも整合するような自然さ存在する。
ミッキーロークはその匂いを十分漂わせていた。
今も人気役者でこれに近い匂いの者が存在するが、完全にピタッとくるものはない。ブラッドピットにしてもジョニーデップにしても優れた役者だとは認めるが、なにか物足りなさを感じるのである。そこに生き方としての差がなにかあるような感じと、独特の匂いが違う気がするのである。私は日本であえてこの匂いを感じる役者をあげるとするならば、萩原健一をおいて他ないと思う。それは松田優作がつねに萩原健一に嫉妬し尊敬していたということからも分るのである。
そして、今このメソッドを忠実にリアリティーある表現ができる役者は、まだまだ小粒であるがオダギリジョーではないか?と睨んでいる。彼にはディーンやブランドや萩原健一のようなものは望めないが、後進としてのアクターズスタジオ出身役者と同じような匂いは十分に感じる。
実は根津甚八なんかも同じような匂いがあったのだが・・
均整のとれた精巧な作りよりも、崩れかけたものの危ういが美しい煌きみたいな、崩壊を起こす間際の瞬間的な美意識のボルテージがその差を生み出すような気がするのと同時に、二度とない、というような儚い感覚が私にとっては大事な要素なのである。。そしてそれを自然になのか故意なのかの判別のつかないところで創造する力量がなによりも必要なのである。
ミッキーロークには独特の良さがあった。
儚い美しさが演技にあった。
彼が一躍スターダムにのし上がったのは、ナインハーフであり、エンゼルハート、イヤーオブザドラゴンなのだが、私は確かどれも見たはずなのだが、どれもそれほど記憶にない。彼の出演で一番記憶に残っているのは
ランブルフィッシュ
これだ!!
この映画にミッキーロークの魅力は十分に詰まっている・・そして今の姿も不思議に映しこめるような気がする。決してナインハーフの嫌らしい伊達男やイヤーオブザドラゴンのような熱血漢ではない、彼独特の良さが滲み出ている。。
マーロンブランドやジェームスディーンのような神々しい光は決してないが、それでも細くても強い一本の閃光を感じられる。
それは特異な光でもあった。。
ランブルフィッシュとは“闘魚”の事である。。
単独で水槽の中を泳いでいると、実に美しい魚であるが、他が入ると戦いだす。果てしない戦いに挑み続ける・・意味ある意味ない関係なく、戦い続ける。。殺すまで、殺されるまで続く。。
水槽から出れば戦いは終わるのか?
「ボクシングに専念しようと俳優を辞めた。それ以来、すべてのドアは閉ざされている。今は役を選べる立場じゃないよ」。
1992年、人気俳優はボクサーとして来日。ひ弱な攻撃を「猫パンチ」と揶揄(やゆ)された。ボクシングで身を立てる夢はかなわず、映画界からも半ば抹殺された。
「おれはいくつもの間違いを犯した。この10年はつらく、厳しく、そして、恥ずべき時期だった。仕事もなく、荒れた生活を送った。だが、誓って言うが、報道されたように酒や麻薬におぼれた訳じゃない」
カウンセリングを受けた。すべてを周囲に責任転嫁していた男には、「いいことも悪いことも含めて、自分を受け入れられるまで10年」かかった。そして、訪れた2度目のチャンス。「失敗した人間は普通、消えておしまいだ。まだツキは残っていたみたいだね」
作品は今年のカンヌ国際映画祭に出品された。晴れやかな上映会場に向かう車の中で、突然、恐怖に襲われた。「どん底生活に慣れると、こんな人間になってしまう。もう、二度と人生をしくじりたくない」
両親の離婚、義父との確執に泣いた幼少期。街をふらつき、不良のような生活を送った青春だった。
「だが、そうやって生きてきた。何とか生き抜いてきたんだ。おれに強さがあるとすれば、それが強さの源泉なんだ」
一度はどぶに捨てかけた俳優の道。今は演技に全精力を注ぎたい。。
「ロス(ハリウッド)あたりでは、一度落ちた人間は徹底的に踏みつけられる。だからおれは二度と失敗できない。なぜならそれは彼らが正しかったことになるからだ」
ミッキーローク
カッコいい
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