2008年01月04日(金)

fire マウス fire

 マウス 年末、週刊文春を久振りに買った。



たいして面白くなかったのであるが、あるコラムに目がとまった。



何しろ歴史すきなもので!というタイトルで、各界の著名人が、自らが過去啓発された歴史書籍から現代を読み解く重要な要素をそれぞれがコメントをしていた。

これは慧眼であり、実におもしろかった。

何人かいたのであるが、私がおもしろかったのは、二人である。


佐藤優が語る「新自由主義下のマルクス」。今こそ『資本論』を読むべきだ。という文章と、関川夏央が語る「司馬遼太郎文学の深淵」。『坂の上の雲』に見る司馬遼太郎の勇気。


佐藤優は言わずと知れた鈴木宗男議員の懐刀として活躍?した外務官僚であり、現在、起訴休職外務事務官である。このひと、例の事件以降結構な著述活動をしており、その内容が斯界の間で高い評価を得ている。ひところ外務省のラスプーチンなどという恐ろしげな異名をとっていたが、最近著作以外のこういった週刊誌のコラムなどに自らの考えを示しているのだが、これが実に的確で面白い。いや、かなりの常識人でもあり、くだらない解説者など足元にも及ばないぐらいの識見がある。実は私、彼の書いた本までは買ったことはないが、かれの週刊誌のコラムは結構マメに読んでいる。案外この人の実相とは?と過去の捜査から我々が受けた印象、マスコミが作り上げた人物象と実際の人物象とのギャップが一番分り易い存在なのではという、一種のアビルノ的な見方をしている。マスコミという恐ろしい怪物に翻弄されたのであるが、実はそのマスコミを使い、遅ればせながら内部から真実を炙りだしているような気がするのと同時に、いかにマスコミが単純な表層的な印象からしか物事を伝えていないか、また大衆を無暗に扇動し、終わりのない、結論のない無責任な百姓一揆を誘発しているのかが、この人物の見解をみるにつけ感じるのである。

彼が書いたこの今こそ資本論を読むべきだという記述は、短文なのであるが実に優れている。

彼はマルクスの資本論こそが人間が築く社会・歴史という物語の構造を深く解明したものであると定義する。
そして彼はマルクスの資本論が示す歴史的な構造を4つの論拠をもって分り易く解説し、その限界を指し示すと同時に現代社会の壁を提示し、そして資本論を再読することが、その壁を突破出来得るヒントが隠れていると提唱しているのである。

4つの論拠とは

1、交換形態から生まれる貨幣が人間を支配していく過程。

2、貨幣が資本を生み出し、巨大な資本の運動性が人間を束縛し、思想・生  活などの様式を規定する。

3、モノと金の交換には宗教性が埋め込まれておりそう信じられているが、  実は、モノが金に変わるその過程には宗教性とはかい離した「命がけの  飛躍」があり、通常の宗教観が崩れた途端、恐慌が起きる。しかしなが  ら資本主義とは強固であり資本主義が崩壊することはない。

4、マルクスは資本主義という特殊なガン細胞を発見はしたが、ガン細胞の  増殖?進行を、後世に対しての明確な治療の処方箋を書き残さなかった。


以上が論拠4点である。しかし、ここからが彼の慧眼である。
彼が警鐘する最大は、この資本主義とどう付き合っていくか?ここに新自由主義の危機要素を嗅ぎ分けている。。

資本を中心とした社会とそれから構築した規範に、漠然とした宗教観をふんわりとくるんだだけの現代は、実は現実的な危機に無頓着になり過ぎている。実相の把握と長期的な展望が著しく欠如し、その場その時の対応としての資本の論理は整合しているが、実はそれらの対処が深層の部分では崩壊が始まり、恐慌の序章なのではないか?と考えるのである。命がけの飛躍をどの部分、どう言った内容にて仮託し説明を位置づけるのか、信じられた宗教観をどのように変化させるのか?これは大きな問題が横たわっているのだが、誰も明確にその姿を示し切れていない。

具体的には、ローコストオペレーションにて会社や店を運営する。これは資本の論理としては整合を果たすのである。しかし、現場の個々からするとそれらの資本論理の整合を果たした環境は優れた仕事の現場とは言いがたくなる。人数不足やそこからくる、規範、モラルの低下、最大はその悪環境で一生懸命働いても評価されないという個々人の社会性としては最大のモチベーションが欠如しつづけ、そして評価をするための現場を把握する人間すらが資本の論理のためだけにしか存在せず、資本の論理以外には的確人材が不在であり、個々の努力や向上心が人事考課にはまったく反映されない。

ということは、個人個人の資本としては一向に給料が上がるわけではなく、個人の交換の論理から言うと、おそろしいデフレ傾向になってしまう。働くほど自らの労働交換比率が下がるのである。しかし、資本家からすると最大公約数としての資本の整合を取り易くなる。ここに恐ろしい乖離点が生まれ、その一穴をもって崩壊が始まる。すべてが資本の論理で貫かれ、金銭で社会の人的構造が換算可能となってしまったため、個人がバラバラになってしまう。これは単純に数の論理の頂点でもあるのだが、これが果たしてすべての到着点なのだろうか?数の論理で解決しないものはこの今進行している資本の論理で如何様に解決し、整合させるのか?これは今新たなテーマではない筈であり、形は変われど、なんども繰り返される人間が作り出した空虚な資本飽和社会との接触点における問題である。

しかし、今このポイントを整理し、過去から学ぶことが如何に大事か、そしてそれはもう過去の産物となってしまったかもしれないが、資本の形成過程を、歴史的物語構造を最も深く解明した資本論に求めるという佐藤の考え方はひょっとすると今の我々には至極当たり前でありかつ賢明な選択肢なのでは?と考えさせられた。。。この人が世間から批判されたことが仮に真実だったとしても、それはある種の手段であり、その奥にあった目的とはいかなるものだったのか?これには大きな興味を抱いていしまうのと同時に、それが頓挫するこの国のとてつもない稚拙な論理が虚無感を誘う。。

本来的な常識とは一体何なのだろうと?

そしてもうひとつ、関川夏央が語る「司馬遼太郎文学の深淵」。『坂の上の雲』に見る司馬遼太郎の勇気。であるが、これも短文なのであるが、この国の現況をするどく論じている。

私は関川某なる作家はまったくしらないのであるが、かれが評する司馬遼太郎の文学史観は素晴らしいものがあった。結論的に司馬遼太郎の志とは、全体小説にあった!と喝破している。この全体小説とはなにか?純文学に見られがちな「個人」の中に閉じこもり、個人の意識の流れを中心に展開をするのではなく、ある国民のある時期の運命の全体像、または時代精神そのものを描く試みのことを示すのである。

ここに司馬遼太郎が晩年こだわった「この国のかたち」という言葉と考え方に、全体小説によって訴え続けた志が読み解けるような意図が存在するよううに思える。

この『坂の上の雲』を書いた時代、日本は左翼思想が社会を席捲しており、決して社会的な思想の流行に合一したテーマでは無かった。国民国家の到達点である日露戦争を描くということは、左翼的思想家たちから歓迎どころか、誤解を招いても仕方のない、いやそれどころか具体的なテロルも考えられたところなのだが、あえてこの時代にそういった内容を上梓するということが、この時代に対しての警鐘であり、流行ということへの反駁と本質からの逃避する蒙昧無知な指導者への挑戦状だったと考えられる。

司馬遼太郎が歴史小説を書くきっかけを以前語っているのを見た事がある。端的に、この国はいつから“アホ”になったのか?その源流を知りたかった。日露戦争を指導した日本人と第二次世界大戦を犯した日本人は明らかに異質であり、到底この間約50年の間の変質は理解しがたいと彼は語っていた。ここに彼の全体小説が持つ最大のコンセプトが存在したのであり、常に高い次元、過去から学び続け発展するだけの要素をふんだんに持ち合わせながら、凝固しないこの国のかたち、そして本質や常識を定義・訴求できないこの国の指導者や知識階層を憂いていた彼の思想が読み解ける。

関川夏央が語る、司馬遼太郎とは反流行ということに敏感な人であり、戦前・戦中・戦後を通じ人々がこぞって叫ぶものはすべていかがわしい、結局流行にすぎないと言い続けた人であり、一言でいって偉大な常識人であったと・・・
そして、国家において、孤立した天才の技術に頼ることは一代限りでしかないが、傑出した常識人の技術は教育によって伝達できると確信していた人でもあったと。。


これら二つの書評は、僅か2ページに書かれていたものであり、気を付けなければ読みすごしてしまう。しかし、偶然目に留まった。そして僅かな時間で読み、その慧眼に瞠目した。
この二つの書評には現代に通じ、解決までとはいかないまでも一つの大きな考え方のテーマが存在する。そしてこの二つは歴史ということから今の時代をどう読むのか先人が残した課題と指針を改めて冷静に引き継ぐ必要性に迫られている状況を示唆しているように感じたのである。

人口が明らかな減少を示した。これはある程度想定されていた事象なのであるが、私は同時に、この減少が時間的にいつ落ち着くのかも考えておかなくてはいけないと思う。そのとき日本の人口は8000万人なのか6000万人なのかわからないが、単純に考えても、これらの人口による国家形成は過去通過してきた筈であり、その時点が一体いつなのか?これは歴史的時系列として把握しておくことは大きな検証項目だと考えている。人口が飛躍的に伸びた時点よりも、現在の人口低減がおちつく時点が過去のどの時代に合致するのか?ここに歴史的な問題点が集約しており、その過去の時代に表出した問題が案外現代の病巣を集約しているように感じるのである。社会情勢がまったく違う!や国家の成熟度合いが違うと言えども、所詮人間の数からくる国家の形成に違いはない。それよりも大事なのは人口が一億数千とこの何十年か経験したことのない境地だったのが、この時点で過去経験した人口による国家形成に逆戻りになるのである。今後は過去の経緯と比較対照することが可能になり、そこから判断出来得ることが結構多く存在するのではないかと考えるのである。私は漠然とでしかないが、なんとなく諸問題の根源が人口に比例するような気がしてならないのだ。

歴史とは時間の推移を中心として考えがちであるが、この時間的推移には主観的な判断は存在しない。現象をすべて列記したにすぎないような気がするのである。

しかし人間を中心に歴史を考えた場合、人がそのつど死にそして誕生するというような人間社会の世代間の入れ替わりが、歴史の大きな連続性を生み出す波動を示しているような気がするのである。

だから人口の推移が意外と人間の歴史と一番深くかかわる部分であり、歴史物語性を構成する上で一番重要な運動法則のような気がするのである。だからこそ人口減少という事象は過去のある時点、それも我々が仕出かした大きなブラックホールのような過ちの穴に吸引されているような感覚が芽生えるのである。

これは勘でしかないが、私はなんとなく昭和10年代前半が実はその人口増減の折り返しポイントのような気がしてならない。それぐらいに現代の状況と合致しているような気がする。その時点から増加して迎えた戦争という狂気とその時点に減少して向かう狂気が実は人間社会の構成ドグマとしては合致しているのではないか?とうっすらながら感じるのである。ある意味、この時代、今の社会が突如劇的に政治状況だけで変わるとは到底思えない。先日若者をリサーチする番組を見ていると、意外と戦争を期待する人間が多いのである。彼らの戦争を期待する論拠とは“リセット”なのである。これをどのように考えるのか?そして先日政治の世界で起きた大連立!これなどは識者がいろいろと論評を加えているが、本質はどう考えても大政翼賛会でしかない。現状国会、ねじれ国会を正し、法案を通過させることが国民生活にとっての最大利益であると訴えるのであるが、これは本当にそうなのだろうか?このねじれた国会を提案したのは国民であり、この国会の形態で国民生活を検証するのが現状の本質なのだが、これを簡単に回避することが、国民生活の最大利益になると考えるのはどう考えても民主主義のテーゼを逸脱しているとしか思えない。自民党は早晩崩壊することは間違いないであろう、それも国民は察知している。しかしながら民主党に全幅の信頼を寄せていないのも事実である。なんらかの政治的な命がけの飛躍を期待しているのであり、これが本質だと思う。そしてある種の恐慌も覚悟している。
ここに保守も革新もない同じ目的地が示されているにも関わらず、どうもその空気が読めていない。これは昭和10年代前半に起きた軍部と官僚主導の国家指導体制とどうも酷似するような気がするのである。

現在の一次資源の高騰と物価高騰の兆しは、ロシアの資源と中国を中心とした人件費が世界にすべて行き渡った結果であり、今後これらは国際的な投機の激しい対象となる。これにこの国はなんの対応も施していない。それどころかどうも戦争に突入する前夜に酷似しているような気がするのである。これらの激しい状況にどのように対応するのか?国家的な戦略がまったく示されていない。行き詰まりが明確に見えているにも関わらず・・・
それどころか、国内の安定、国家を支える内需を盲目的に信じていて恐ろしい搾取を繰り返している。これは第二次大戦以前よりも政治状況としては、ひょっとするとひどい状態なのかもしれない。

資源と食料の安定確保というこの国が一番脆弱な側面の需給がすでに崩壊し始めている。

この部分が常にどの時代おいても、この国が抱える最大のウィークポイントであることは間違いない。ここを他国に抑えられるとこの国はニッチモサッチモ行かないのは過去の歴史においても歴然としており、ここを克服する戦略がないと、いかに高い思想を掲げても、奇麗な外交を展開しても何も解決はしない。

あげる方と貰う方という単純な図式は、即ち上下の関係を肯定するわけであり、これまでは経済力というか国家の発展を背景にその上下のバランスを逆転させ保てたのであるが、それが国の価値が暴落したとき、一体全体どの部分で交渉上のカードを保つのであろうか?実に不安である。

そして人口の減少、これは単純にこの国の国力低下を意味する。資本の論理を貫徹するならば人間誕生という個々にとってのコスト高現象は抑止傾向に向かうのは当然である。しかしそれは逆説的に国家運営のコストを大きく跳ねあげることに直結する。

これでは普通の感覚として今まで保ってきたバランスがそのまま通用するなどとは到底思えない。日本の国力は客観的な数値においても年々低下しており、国際的な国の価値は暴落に等しいが、訳の分らない関数が混入することによって漠然とした景色にしか見せていないのは、今の政治家達・官僚の大なる国家反逆罪であると考えるのである。

歴史を紐解けば、この国の美しさと強さは厳然と見えてくる筈だと確信している。

前の総理が“美しい国”などと空虚なことを提言していたが、かの輩こそが一番分っていなかったのである。。一体美しい国とはどういった事をさすのか?いや具体的にどの時代のどれがそうで、どれが違うのか?そういった具体性を示せるのは歴史があるからであって、またそこから反省と新たな想像・創造が出来るのであり、それこそが美しい国の最大であると思うのである。それが突如美しい国などと言われてもなぁ?悪いがこの国は大戦以降、国民と会社員が存在した国であり、個々の市民が不在なのであることを把握しなくてはいけない。

この国はある種、企業が運営してきたようなものではないか!!そういう本質を理解しない政治家の妄言には

まったく歴史的な背景がない。

戦後レジームの脱却?

戦後レジーム自体がこの国の国民?会社員の歴史観にない。
周到にアメリカからの煙幕の中に放り込まれただけであり、あの大戦以降この国は国家という概念を放棄し、国民は皆、企業の戦闘員になったのである。ここから問題意識をどのように組み立てるのか?それがないままキーワードと政治家だけが抱えた問題にしか見えない定義のありようでは到底具体的な国家の戦略には見えはしないし、そんな程度では、それは企業の戦略にすり寄ることしかできない。。せいぜい企業から利を吸い取ることしかできない。
国益など構築できるとは到底思えない。

もう、そろそろ、おできを治す程度を治療とよび対処するのではなく、死を賭すかのごとき大手術をしなくてはいけないのではないのか?

この国はもう暴動が起きないないぐらいに疲弊している・・・
暴動を起こすことによって自らの不満を表現することや、国家の欺瞞に抵抗するということは無くなった。
その代わりそれと同じような表現行為が、個々が隠ぺいに走り、状態を平静に保つことを最良としているのである・・・資本の論理?なんだか

ぐちゃぐちゃだ・・・


。。。。。。。。。。。。。


私は今年正月を迎え街に出かけたとき感じたのであるが、

なぜ皆正月元旦から働くのか?


なんのための行為なのか?誰が幸せになるのか?

これがこの国の中心的な考え方なのか?

時代が違う?馬鹿をいっっちゃいけない!!

判然としない怒りが込み上げてきた。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


街に

実験によって生まれ

狂奔した

マウスが

あふれ出しているように見えた。。。。



こんな歴史は過去あったのだろうか??




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投稿者 junca 00:22 | コメント(0) | トラックバック(0) | think
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