2007年10月26日(金)
親子亀 
amazon.co.jpで 親子亀 を探す
「おー!きばっとるやないか!」
大きな声に振り返ると、親父が後ろを歩いていた。
親父は毎日歩いている。週末しか歩かない私だが、この日は偶然一緒の時間だったようだ。
「あぁ、歩いてたん?」
「なにを言うトンや、もう30分くらい歩いたで。お前どこまで行くんや?」
「あぁ俺?流れ橋」
「へぇ?まぁ、きばれや、ほなな」
と途中道が二つ分かれるところで離れた。
しばらく親父の後ろ姿を見ていて、
気付いた。
…そういや、長いこと親父のスーツ姿見てないなぁ…・
親父のイメージって言うと、スーツかパジャマだった。今のように週休二日なんて制度のない時代、休みと言っても会社にほとんどでていたような人間だったから、私の小さい頃の親父の姿はほとんどスーツしかない。。
ホントに仕事人間だった。スーツとパジャマ、あまりの忙しさと疲れで、たまに同時に着ていった事もあった。会社について足元を見るとズボンの裾からパジャマがのぞいていたなんて事もあったのだ・・
それが現役を引退して10年、親父のスーツ姿を見ていない。
テクテク・・ジャージ姿に野球帽を被り歩いている後ろ姿を眺めながら
改めて感じた、もう見る事ないんや…
パリッとしたスーツ姿の親父。。
なぜか不思議な寂寥感がこみ上げた。
昨日の帰り上司に近くの駅まで車で送って貰った。車を降りるとたまに立ち寄る駅なのだが、何か雰囲気が違った。。しばらく見回すと、角の店が新装していたのだ。その時、思い出した。
「あっ、この店、昔、親父を迎えに来てよく立ち寄った店や!」
親父の仕事が忙しいから、家族で外食などほとんどなかった我が家、母親が親父の勤めていた会社の最寄の駅まで我々兄弟をつれて迎えにいき、その駅前で食事をたまにしていたのである。
高級な店ではない、どこにでもある中華料理屋である。でも、外食など日常的でなかった時代、本当にご馳走に思えたし、美味かった。
「遠慮せんと腹一杯なんでも食べろ」
と言われ、一度動けなくなるくらい食べた記憶がある。
そう言えば、この駅、昔良く来たんだよなぁ・・
親父の会社、この駅降りて歩いていくんだった。。
仕事の忙しかった親父は、今の父親とは違い、子供に関わっている時間がほとんど無かった。
これは我々世代の親父は全てそうだと思う。私が特別ではないはずだ。
だから以前書いたかもしれないが、私の記憶には家族旅行などはほとんどない。盆も正月も出勤。
元日から出勤していた。親父は運送会社の営業で、休みでも基本的に会社自体は動いていた。
だから、休みで家にいても良く夕刻電話が入った。
トラックが横転したとか、人をはねたとか、荷物が届きそうもないとか、今でも運送会社にはつき物の事柄なのだが、当時そんな問題が我が家の電話をにぎわしていた。
私は運送会社の営業がどんなものなのかよく知らないが、とにかく色んなことがあるようだった。
ある時など、顔を腫らして帰ってきたことがあった。どうしたの?と母親が聞くと、どうも荷物の件かなにか”ややこしい”輩にゴロをまかれ、その人間が事務所に押しかけてきて、ぶん殴られたらしいのである、今では考えられないがこの時代にはあったのだ。しかもそんな類例が親父には何件かあったのを記憶している。酒が入ってポロッと聞く話は当の本人には大変な事だが、実に面白かった。やくざの車にトラックが当てられて、所謂当たり家なのだが、その示談の交渉をしたとか、荷物が届かないというクレームでお客宅に伺って謝りたおして返った、その次の日に同じお客に同じ失敗をして再度謝りに行き、「また、お前かぁ!」と怒られる前に笑われて許してもらえたとか、とにかく聞いていて真剣であるが故に実に滑稽であり面白かったのだった。
子供心に仕事って大変やなぁ、家になんかおれんはなぁなどと感心した。
だから、我が家は親父がいるほうが珍しかった。親父が会社を休んだので記憶しているのは
一日だけである。そう何十年で一日だけだ。しかもその原因は”虫歯”だった。この時だけは
鬼瓦のような顔でもんどりうっていたのを記憶している。それ以外で休んだなんて記憶にはない。
だから、家に帰って来る?ではなくただ単に”家に毎日来る”人だった。
そう、会社が住まいであり、家は食堂かサウナのような感覚だったんじゃないだろうか?
昭和30・40年代のサラリーマンなんて皆そうだったんじゃないだろうか?
そんな親父に遊びに連れて行ってもらった記憶?と細い記憶の線を遡り
今も鮮明に覚えているのは、淀の京都競馬場と日曜日の会社だった。
淀の競馬場は自分が馬券を買いに行くついでに連れて行っていっただけなのだが、マイカーのなかった我が家ではどこに行くのも電車だったので、近鉄に乗って京阪に乗り換えてという行程が、少し日常と違い楽しかった。乗り換え途中にある商店街で、たまにおもちゃを買ってくれたりして、それなりに、競馬場に行くというのは楽しかった。
そしてもう一つの日曜日の会社だが、これは当時親父の会社では日曜日ごとに当番制で出社していたのだ。なにをしていたのかしらないが、数ヶ月に一回日曜日会社には出社しなくてはいけなかったのだが、もともとそれがなくても出社していたので当番制などとは思いもしなかった。
しかし、たまに特別な要件もなく休める日曜日でも、この当番に当たると出勤しなくてはいけないので、そんな時には、私と妹を連れて会社に行ったのだ。
これはものすごく面白かった。
親父の会社は運送会社だけあって、会社の構内は子供にとっては仰天するぐらい広く、その構内に10t車や色々な大型トラックや、鉄道輸送のコンテナなど様々なものが並んでおり、飽きる事がなかった。親父は事務所で仕事や会社の出社している人達と談笑しているのであるが、我々はその間、一日中会社の構内を走り回っていた。鉄道輸送がこのころより下火にはなっていたが、構内には線路がはしっており、それも子供にとっては普段見る事のない世界で楽しかった。
すると、仕事帰りのトラックが構内に入って来て、ごっついおちゃんがトラックから降りてくる。
「おっ、どこのボンや?」
とよって来る。ドロドロの作業着に、大きな身体・・
すこし怖いのである、妹などはこの手の状況の時には私の後ろに直に隠れるのであるが、そのおちゃんの顔を見るとニコニコしている。モジモジしていると、黒く汚れた大きな手で頭をなでるのである。小さな声で名字を言うと
「おー!●●さんとこのボンか!うん?おじょうちゃんは、おやっさんにそっくりやなぁ!」
などと言われる…この言葉を聞いて妹の顔を見ると明らかに不機嫌そうに・・
”ちゃう!”と言いたげであった。。
「ぼく、車、好きか?」
「うん」
「そうかぁ!ほならこっちおいで!」
と連れていかれ、そのおちゃんが運転するトラックの運転席に座らせてもらった。
…・うわぁ!すごい。。高いし、広い!…
それはまるでビルの上にいるようだった。
おちゃんは、
「どや!すごいやろ!えぇ」
と自慢ゲに次に妹を抱えて運転席に乗せてくれた。
二人して運転席に座ると、なんだか、空に向って飛んでいきそうな気持ちになった!
これらのドライバーのおちゃんを親父は”現場の人”と呼んでいたと思う。
ごっつくて怖い感じの人が多いのだが、実は心優しい子供好きの人がほとんどだった。
夕方近くになると、構内アナウンスが流れる、
私と妹の名前を大きな声で親父が呼ぶのである。
「●●ちゃん●●ちゃん、事務所に戻ってください!」
妹と顔を見合わせ、誰もいない構内に大きく響く自分たちの名前に顔を赤らめた・・
走って事務所に戻ると、親父はマイクに向って机に座っており、扉を開けて入ってきた私たちを見て笑いながら「びっくりしたか?」と得意げだった。。
「さぁ帰ろ」
と会社を後にし、暫く歩いたところにある”おこのみ焼き屋”へ入る。
ここのお店が実に美味しかった。おばちゃん一人でやっている店なのだが、多分親父が昼よく利用するのだろう、我々のことをよくしっていた。
「あー、このボンがいつも話ししてる子か?野球してるんやろ?」
「あーこのおじょうちゃん、お父さんそっくりやん、はははは・・」
と…妹はまた不機嫌になるが、親父は相好を崩して喜んでいた。
・ ・へぇ~おばちゃん、よぉ知ってる・・
と、この時思ったが、よく考えると、親父が良く私たち兄妹のことを昼食のときにおばちゃんに話していたのだ。。。家におらんようで、細かいことまで知っていて、おばちゃんには話していた。。
帰り際、内緒やで!といって、おばちゃんは他のお客の前で飴やらお菓子を必ずくれた。
「おばちゃん、ありがとう」
「うん、またおいでや」
「うん」
お店をでるともう暗くなっている。
テクテク歩くと、昨日上司に送ってもらった駅だ。
あー、そんなことがあった。
久しく記憶のタンスの奥に仕舞っていたが…
あのころの親父、精一杯忙しい中、子供を遊びに連れてきてたんやろなぁ・・ほとんど家におらんかったから。。
例え、それが会社であっても…
テクテク・・ジャージ姿に野球帽を被り散歩している親父の後ろ姿を眺めながら
死に物狂いで働いていた親父が言葉じゃなく私に伝えたものが、
聴こえてきた。。。。
一票人気blogランキングへお願いいたします。

リンク元(referer)
コメント
はてなに追加
MyYahoo!に追加
livedoorClipに追加
Googleに追加
みなづき
夏草の賦 
ブログ王へ
週刊ブログランキング













.jpg)





