2007年10月06日(土)
花形敬のスカーフェイス11 
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花形敬の右手。
小指には指輪。。
この手で何人ぶん殴ったんだろう?
しかし、意外と可愛い手でもある。
勝手な想像だが、もっと節くれだったゴツゴツした手であると思っていた・・
この手が
花形敬のステゴロ伝説を作った。
※過去の花形敬のスカーフェイスはこちらで
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
花形敬のスカーフェイス
花形敬のスカーフェイス2
花形敬のスカーフェイス3
花形敬のスカーフェイス4
花形敬のスカーフェイス5
花形敬のスカーフェイス6
花形敬のスカーフェイス7
花形敬のスカーフェイス8
花形敬のスカーフェイス9
花形敬のスカーフェイス10
本田靖春の著書「疵」に、彼、花形の学生時代(旧制の中学生時分)の喧嘩の様子が、当時一緒につるんでいた石井氏のインタビューとして活写されている。因みにこの疵であるが、相当部分この石井氏のインタビューによって構成されている。生々しい部分の描写、実象の部分のほとんどが石井氏の回想によって出来上がっており、その部分が今の花形像の大半を成している。
石井氏は現役のヤクザであり、先日書店で関東の広域暴力団“住吉会”を特集した雑誌を見ていると、その中に写真が掲載されており、かなりの幹部であった。そしてその面相は絵にかいたようなその世界の方であった。。
石井氏は国士舘の番長であったが、花形が編入してくると同時に番長の座を明け渡すことになる。疵に書かれていた花形の喧嘩の様子は丁度この時分の事である。。
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玉電下高井戸線の上町に青葉学園という女学校がある。
同じ沿線のよしみで、そこの不良少女二人が国士舘の校門近くに、自分たちの学校のバザー券を売りにきた。
石井は仲良くなるのにいい機会だと思ったが、女の子が相手だと急に内気になって口もきけない。
そこで、その方面に達者な西田という4年生(旧制)を使って、こう言わせた。
「あそこにいる石井さんというのが、切符を全部捌いてやるから、そのかわりおたくたちに映画を付き合ってもらいたい、といっているんだけど、どうだい」
取引は簡単に成立した。
「いいわよ」
という返事で、次の日曜日、二対二のデートが実現する。
渋谷のハチ公前で落ち合い、映画館に入ったが、石井には女の子と並んで座席につく勇気がない。彼女達を一列前に座らせ、映画が終わって立つ寸前のどさくさに、うしろの席から声を忍ばせて、次回の約束を取り付ける純情さであった。
バザーの当日、石井は花形と連れ立って青葉学園に出掛けた。石井がお目当ての女の子をきょろきょろ探しているあいだに、花形が明大予科の三人連れに喧嘩を売られた。
花形はそのころすでに一メートル八十二センチの背丈があって、いやでも目立つ。
「私、ちょっと離れたところにいて、本当は花形のこと嫌いなんだけど、知らんぷりしてたらあとからしかられちゃうから、行ったわけなんです。おれ行ったら、わざと俺のこと、
『石井ちゃん』なんていって、『石井ちゃんはいいから彼女でも連れて見てなよ』『いいから、いいから』って、こうなんです。」
相手は三人掛かりで、『ちょっと来なよ』と、校庭の隅の方に花形を連れて行こうとした。
行くも行かないも、その途中で最初の野郎が花形のフックか何かあごのところに一発喰って、
気絶しちゃった。
そういうとき、花形は凄い顔しちゃうもんね。マムシみたいな顔するんです。おれら、かげで花形のこと、マムシって呼んでたんだから。
この野郎! なんて、そんな生易しいあれじゃないんです。かりに花形より喧嘩の強い相手でも、ああいう顔されちゃったら、とてもじゃないけど向かえないもんね。
ほんで、あのごつい身体で、大きい技をするんです。脚をぐっと開いて、腰を入れて、死んじゃうかと思うくらいの殴り方なんですよ。そいつがあごにバーンと入って、一発でひっくり返っちゃった。最初の野郎が。
それからもう一人の奴をね、やっぱり蹴りは使わなかったもんね。手だけですよ。簡単に片付けたんですよ。
残った最後の奴を、今度は一発で倒さないで、パン、パンと左ジャブで追い込んでおいてから、右のストレートで素っ飛ばした。ドーンと飛んじゃったですよ。でっかい野郎が。
大学生三人を中学生の花形がやっつけるのに、一分とかからなかった。何秒ですよ。
ほんの何秒。
石井は三十数年前の場面をついこのあいだのことのように、感嘆を交えながら再現して聞かせるのである。初めて目の当たりしたすさまじい花形のパンチ力に、それこそど胆を抜かれたのであろう。
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人間が外界を操作するための最大の手段である「手」は、
人間が生存し社会の中で役割を果たしていくための大きな武器である。
これはどの人間にとっても同じことである。
しかし、この手を人間は凶器に変えることもなんなく出来る。それが凶器なのか、社会の中で役割を果たしていくための大きな武器なのか、そこにはそんなに大きな壁は存在しない。
ある元ボクサーが語っていた。
冷静に考えれば、縁もゆかりも、ましてや具体的な憎しみもない人間を“殴る”ということは、実はそうとうシンドイ行為だ。それが例えスポーツという枠組みをもって、最低限の安全性を確保していたとしても、やはり殴ることに変わりはない。
究極は殴り倒さなければ、自分がやられる。また終わりもない。
だから、最終的な部分では“殺す”という殺意がものを言う・・・
人間にはそういうDNAが存在する。刃物や銃器は人間の意志の何割かでもその機能を発揮する。ある意味この手段の方が人間は楽かもしれない。殴るなどという形の喧嘩にいくまでのストリーをすべて省くことが出来るからだ・・・
花形は終生、素手でしか喧嘩をしなかった。
ただの一度も刃物や銃器を使わなかった。。。
彼がなぜ、素手の喧嘩、ステゴロにこだわり続けたのか、
それは誰も分らない。
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