2007年09月30日(日)
タグクラウド 
amazon.co.jpで タグクラウド を探す
あるブログパーツに目が留まった。
まぁいわゆるアクセス解析の一種なのだが
法人に限定したアクセス解析であり、具体的な社名が明記されるというのに興味が湧いた。
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しかし、法人自体の主体的アクセスではなく、法人内の個人が会社のPCを使ってアクセスした結果である。だから、つまるところ個人のアクセスなのだが、ある種、法人という社会的帰属性を有した個人が特定されているというところが、今までとはほんのわずかの違いがあり、まったくの不特定な個人よりも色彩がでているところにこの解析の最大の魅力があるような感じをうけた。
ブログを始めてからかなりの時間が経つが、やはり最大の興味は“誰が見ているのだろう?”であり、そしてもう少し踏み込んだ部分での興味としては、偶然なのか、一定の目的を持ってなのか?一方的な発信に対する受け取り側?というか相手もこちらに寄ってくる訳であり何がその衝突点になっているのかが始めた当初よりの疑問であり最大の興味であった。
つまるところ“どんな方たち?”ということになるのだが・・・
この解析、早速ブログのサイドバーに設置し数日間見ていた。すると結構な数のデーターが蓄積してきた。学校、企業、官公庁・・・と。なぜ?ますます分らない。まぁ、法人の性格が私のブログを見ているわけではなく、その組織に属する個人であるから、あまり系統的な内容はもともと把握できないのだが、それにしても何故という疑問は増幅するばかりである。そして、様々な方たちが偶然の衝突か必然をもってなのか、いずれにしてもやってくる。
まぁこれを明確に解消し主体的コミュニティーを構築させたのがSNSだとは思うが、しかし不特定多数が流動する中の僅かなコア、まぁ“止まり木”でしかない。
SNSのみですべてを把握することはできないし、やはりネットなどという架空空間のアクセスを解析することの興味はSNSのコミュニティーがあったとしても尽きることはない。これはある種世の中の人の相関関係や個人の帰属関係と近似したものがあるのではないかなぁなどと考える。
毎日増殖を繰り返し、止まるところをしらない勢いで拡大していく世界。水平に垂直にそしてそれら二次元から地域間と時間の概念を飛び越え3次元以上的な延伸が加速度的な広がりを見せている。一体??・これは何が問題か?それすらよくわからない状態であり、集約すると人類が過去必ず衝突したポイント、価値観の相克すら明確な感覚がない。瞬間的、刹那的な外部情報の復習的現象として局所に集中するかと思うと、かなり別の部分で群発的な大きな価値観が世上の兆しとして同時系列で広範に生まれたりする。これを全体として集約解析することは不可能であり、全体的なアルゴリズムは存在しない。僅か、各個人が岸辺から眺める大海への一定方向のみでしか解析は無理な状態である。そう岸から釣りをしているのである。自分の知らない所にも海は存在し、しかもその海が、今自分が見ている眼前の海と大きくつながっている、しかもそれが水平的な二次元の様相ではなく、立体的な結合があるなどとてもではないが人間の想像をはるかに超える。
そんな世界に勇躍、出ていこうとしても、その潮流を読むのは至難の業であり、結局終着なき航行と無意味な釣果しか得られない。
何のため?
そう、それは
中心がない世界であり、別の言い方をすれば、何十億という中心が存在する世界に人間は突入しているのではないだろうか・?
また逆に、その何十億という“点”がある時自分に向かってくる。しかし、これは何の目的をもってなのかは全く判然としない。しかも距離も時間の観念も超越しているのである。
宇宙観が存在する。なんとも言えない浮揚感が常につきまとい、今まで人間が体現してきた
地に足をつけてという概念は存在しない。あるとするならば、この浮遊している空間に、自分というマシンがバグしないように常にメンテナンスをする、そのための自己解析が大きな意味を持ちだしているのだと思う。その中で、何十億と存在する点との接点にて、自らのマップ上の位置を把握し航行していかなくては、海図なき航行、そう、いわゆる漂流という事になってしまう。
どんな方がみている?という疑問は、自分はどのように見えている?という疑問に合致し,自分を立体的に見たいという衝動が起点になっているような気がする。これは案外、人間が常に持ち歩いている感覚で、自分が自分に持つ印象や想像と他人が持つ自分のイメージとは、人間自身は何の根拠もなく近似していると考えている。しかし、心のどこかで、そうかなぁ?などという感覚もちゃんと持ち合わせており、その感覚が時にフラッシュバックのようにムクムクと起き上がるのである。占いなどに人間が興味を持つのは、災厄の忌避ということももちろんあるが、大半現代の占いの主要要素を見ていると、仕事であったり恋愛であったり、金運であったり、それらの総合順位であることを考えると、人間関係の上に成り立つものの中で、直近の自分のポジションを探っているようなものであり、それは絶対的な自分象というのではなく、人との連関においての相対的自分象を客観的に想像するという色合いが濃い。
しかし、結局、判明しないものであるし、固定したものでもない事もわかっているのだが、それでも判別したがる。人間とは自分の中にある数多の要素に対し、素数的な部分がなんなのかつねに探っている存在のような気がする。
素数(そすう)とは、1とその数自身以外に正の約数を持たない(つまり1とその数以外のどんな自然数によっても割り切れない)、1 より大きな自然数をいう。自然数や整数の積を考える上で基本的な構成要素であり、数論、暗号理論等において重要な役割を演ずる。
素数は無限に存在することが、紀元前3世紀頃のユークリッドの原論において既に証明されていた。100以下の素数を小さい順に列挙すると次の通り。
2, 3, 5, 7, 11, 13, 17, 19, 23, 29, 31, 37, 41, 43, 47, 53, 59, 61, 67, 71, 73, 79, 83, 89, 97
そして同じように
その数自身を除く約数の和が、その数自身と等しい自然数。
6 = 1+2+3
28=1+2+4+7+14
などの完全数を自らに求め、自らを割り込む要素を常に把握したがり、そして自分の存在がどのような自然数で完全数なのか延と々探し続ける存在でもある。
話をアクセス解析に戻すが
この解析、ハッとさせられる機能が搭載していた。
アクセス者が判別した時点で、衛星地図を使い所在地を見せてくれるのであるのと同時にアクセス数からアクセス者を“タグクラウド形式”でも表示するのである。
私がハッとしたのは、このタグクラウドという概念である。
文字が羅列してあるのだが、私個人を中心としてそれら羅列文字が大きくあったり、色が様々であったりと、関係性の強弱を一目で指示しているのである。まぁこのブログの解析ではアクセス回数という関係でしか解析していないが、この表現方法が、実は今までとは劇的に違うような気がした。その後、このタグクラウドを少し調べたのであるが、まだまだ過渡的な初期段階で満足の行く形ではなく、今はその形式に立体的な表現が加わったり、流動性という動的要素をもたせたり、と変化が激しいようである。しかしながら現時点でも、今までの表で、立て横の計数と項目か、局部をグラフや図式で表現したいたものが、文字の関係性の強弱でかなりの内容を把握できることを考えると、それまでの解析性能と比べても格段のわかりやすさが存在し、それまでの二次元的解析の限界も明確に見えてくるようなきがした。
この解析は実に面白い。これを人間関係の相関や自分の心の中にあるものをタグクラウド化した時、客観的に自分の内面がある程度表層的に把握できなくもない。今自分の中心にはなにが存在し、自分の行動規範を構築しているのか?また引っ張っているのか、引っ張られているのか?
そう、最近流行している脳内メーカーなども、実はこの概念に近いような気がする。
これが案外、的を得ていたりする。
タグクラウドを調べていると現在必ずこのタグクラウドに辿り着く。歴代アメリカ大統領の演説をタグクラウド化したものである。
これを見ていると、なるほどぉ!と少し関心する。自らの心の渇望から出た素直なものなのか、あるいは民衆からの熱望なのかは分らないが、現状で渦巻いている問題事象が瞬間的に表出しているのは間違いない。
過去直近の3代大統領を見ると
ブッシュの場合
クリントンの場合
ブッシュ(父)の場合
面白いと思う。
ひょっとすると
小泉総理は世論というタグクラウド構築できたか、
もしくは、現状で存在する世論というタグクラウドを読み解く
能力が図抜けていたのかもしれない・・・
一度過去からの自分自身や、今ある仕事の関係や、人間関係をすべて、タグクラウド化したい欲求に駆られる・・・
しかし、タグクラウドって?
タグはまぁ目印かなぁ?
じゃクラウドは
雲・・・・
まぁ
雲のような目印や集団・・・
。。。
雲なんて
所詮、形がなく、なんかよく分んないんだけど・・・

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