2007年05月28日(月)

365 

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到達だ。
今日のこのエントリーで
365回目になる。
50・100・150・・・
などと言う節目ごとに
“バンザーイ”などと書いてきたが
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実はブログを始めた時の初志は365だった。。
日記という定義でいけば365というのが一つの節目である、毎日書けば、とうに到達している。
しかし、実際は約2年近くかかった。
しかもその大半のエントリー数は1年半くらいの間に書いた回数である。
この半年は週一に毛の生えた程度の更新数だった。。
毎回見に来ていただいている方がいるとしたら大変申し訳なく思う。
こんなに書き続けるのが難しいのか?と改めて感じている。
今日のこのエントリー、381htmlとなっているはずだ。
実は15エントリーほどは書いたが“捨てた”。。。。。。。
何を書いたか覚えていないが、たぶん気に入らなかったのだと思う・・・
いや、書く作業自体のことではない。。
スランプと言えばスランプかもしれない。いろんなテーマを頭で繰るのだが、書く直前に
突如つまらなく感じて、書くのを躊躇することが多くなった。
こんなもん書いて“オもろいかなぁ??”
書くの、やめた・・となる。。。
しかし、ブログを止めようと思った事は一度もない。
そして読み返すこともほとんどない。
今日のこのエントリーのテーマは365という積算であるが、私にとってそれはエントリー数ではなく、時間が大いなるテーマである。
過去になにを書いたか読む時は、新しく書く文章と整合があるか確認する時ぐらいで、なにを書いてきたか文面は、ほとんど覚えていない。。しかし、その時々に考えてきたことは記憶の引き出しには確実に存在する。。
毎回初回のような感覚で書くことにしている、と言うと格好いいが、実際は、世の中の通念としてある日記の体裁をなしていないから連続性を考える必要がないだけで、好き勝手なことを書いているだけだ。。
しかし、この作業
何気な無くはじめたが、自分にとって多いに役立つ。
常に物事、世相であったり、価値観、流れ、過去、様々なことを考えなくては私のブログは成立しない。日々をスケッチしているわけではないから・・・
人間はだれでも毎日いろんな事を考える。しかし次から次から新たなものと向き合い前に進んでいく。それ自体はいいことなのだが、じゃ、過去に気をとめたことが次から次へ消えていくと、本質的に考えたのかどうか疑問になる。
そこで、改めて読み返すことはなくても、その時点で一度書きとめると、考えの定着“粘度”
みたいなものが高まり、自分の引き出しにしまえたような感覚が私には芽生える。
そんなこと
ブログがなくても!
と、いうかも知れないが、書くという作業を間に入れると、考えた事が形になり、文章を構成していくために整理もできる。そして必ず自分の考え方を付加しなくては自分のブログに仕上がらないから、テーマについて自分で考え、一応の自分の結論は導き出すようにしている。客観的、表装的な時事論評を書くつもりはない。。
それらの作業は、それなりに大きな意味があると感じているし、毎日を前に進める大いなる原動力にもなる。しかし、これはあくまで過去を積み上げるための作業ではない。
新たに起こる、考える事への自分の考えの整合と、ズレが生じたときの軸と考えている。
完璧に仕上がった!と思っても、新たに書くとき、考えるとき
そうかぁ?なんか以前に考えていた事は??おかしくないか??
どう考え、どう書けば自分の気持に合致するのだろう?
今のこの気持に合致するテーマか?
意外といろいろ書いているようで、自分のその時の気持ちを表している。。
それが、文章的に装飾されているだけだ。
書いても書いても
終わりはない。
誰の為でもない。
寺山修司だったか鈴木清順の映画で、物事の記憶が無くなる人間の話があった。
その人物は恐怖にかられて、周りにある、ありとあらゆるものの名称を紙に書いてはりたおす。タンス、イス・・・しかしどこからともなく声が聞こえてくる
文字や言葉を忘れたら?どうする??・・・・と
おおおおおおおおお!とムンクの叫びのような煉獄に墜落する・・・・
ふぅーーーーーー!!!
ちょっとは文章上手くなったのかなぁ?
藤山寛美の言葉に素晴らしいものがある。
芸道を語っているようだが
あらゆる“道”に通じる言葉だと思う。
「芸は水に字を書くようなもの、書き続けないと見えなくなる」

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