2007年05月25日(金)

KYOちゃん先生 

amazon.co.jpで KYOちゃん先生 を探す
朝起きると
KYOちゃんが学校のジャージを着て出かけようとしていた。
???遠足??クラブ??
うん??やけに早いなぁ??
時計を見ると7時過ぎ
KYOちゃんはいつも7時40分の出発である、それにしても早いなぁ??
嫁に確認すると
「あれっ?パパ言ってなかった??」
「なにが?」
「KYOちゃん今日と明日、職場体験実習!」
「??しょくばたいけん??」
「そう!」
うん??少し思い当たるものがあった。
昨年の今頃、そう言えば我社にも数名、学校のジャージを着た中学生が来ていた!
「あっ!ひょっとしてあれか??地域の会社やお店に行って仕事するやつ!!」
「そうそう!それ!7時半に集合やから今日と明日は早いねん!」
「へぇ~。。。って、ところで何の仕事するの?KYOちゃん???」
「幼稚園!」
「えっ!幼稚園!!!」
この驚きには少し理由がある。。
実はKYOちゃん、将来幼稚園の先生になるのが現在の夢である。
家の中であまり自己主張することのない子であるが、この件に関しては小学校の高学年頃から親の我々には明確に宣言していた。遊園地、レストランそういった処に出かけ、その場所に小さい子供がいると、KYOちゃんは決まってそれらの子を凝視し観察している。
私には分らなかったが、嫁から“ホラホラ”と言われて気づいた。うーん・・そう言えば
いつも虫を見るように観察しとる。。
幼稚園の先生というのは結構な決心なのかなぁ??
その憧れの職場に体験にしても行けるというのは、本人ならずとも少し興味というのか興奮するものが胸を突きあげた!!
「へぇ~!憧れの職場やん!」
「そやねん!なんかゴッツう真剣な顔で緊張してたよ!」
「しかし、よぉ希望するところにいけるなぁ??」
「あっ、希望通りとは限らんよ!ちゃんと、なんで行きたいかいうレポート出してそれで先生が判断するみたいよ!」
「ほな、なにか?希望通りとちゃう子もおるんか??」
「うん!結構いるみたいよ!だってKYOちゃんの友達のM子ちゃんなんか、自分が卒園した保育園希望してたけどビューティーサロンになったもん!」
「ビュ、ビューティーサロン??なんじゃ??美容室かぁ??」
「そう!」
「そんなところで子どもがする仕事があるんかぁ??」
「さぁ?」
一体どんなところがあるのか、保護者への通達用紙を見ると、結構な数の、地元企業、団体や個人事業者等が協力している。幼稚園はもちろん保育園、鮨屋、スーパー、美容室、消防署、運動公園等々、約20か所位に分れて行くみたいである。。
そうかぁ!それでもKYOちゃんよかった幼稚園で!
そう言えば我社にやってきた中学生も、日中運動着姿で慣れない仕事を一生懸命していたのを思い出す。台車に荷物を乗せ、言われるがまま何をしていいのかわからないような顔で仕事に取り組んでいた。しかし良い子ばっかりだったような記憶がある。もちろん学校から最低限の礼儀は言いつかってくるのだろうが、朝大きな声で元気よく挨拶してくれたのは、実に気持ちいいものがあった。
二日酔いでだらしなく現れる部下に、「おいコラ!お前!この子らを見習え!」などというような事を言ったような気もする。。
この子たちには、印象的な事があった。
実習が終わってからだが、夕方自転車に乗って再度現れた。
何をしに来たのか見ていると、お礼を皆で言いに来たのである。もちろんこれも先生から言われたのかもしれないが、それでも全員で大きな声でお礼を言う姿はとても気持ちの良い清々しい姿であった。
私はこのとき感じたのであるが、この教育、ええやんかぁ!
子供に実際の職場で仕事をさす。これはものすごく良い教育じゃないかと。
我々の頃はせいぜい社会見学で松下の工場などを見るくらいであった。それがいけないのではない。しかし今行っている実地の体験は見学なんか足元にも及ばないくらい意味と意義があるように感じる。
結局、人間働いて生きていくものである。いくら知識や教養が身についたとしても、社会に出て働かなければ何の意味もない。どんな生き方、そのためのどんな仕事、それが明確に自分の中に芽生え具体的に行動できなければ学歴をいかほど積んでも意味がない。これが教育の根本であり、人は何のために働くのかという教義をきっちりと教えてこそ真の教育は存在すると思う。社会とはいかに構成されているのか、なぜ働くのか、また働けるのか?そういった事を中学生いや本来小学校からでも真剣に教えるべきではないかと思う。ニートや引き籠りが市民権を得るような社会やある種の既成事実のような社会が健全だとは思えない。
公立学校ならではの教育方法じゃないかとも思う。地域で子供を育てる。これが根本だ。
どの子も皆自分の子と一緒であり、世の中の子どもであり、自分の子と言えども社会からの預かりものであるという昔の日本が当然のように持っていた哲学は絶対的価値観だと思う。
私など働くという意味を23歳くらいで考えた。
大学に入り瞬間に“ぽわぁ~”となり、ロクすっぽ学校にも行かず、遊びほうけ、挙句に
留年。。。
気がつくと学内に同輩はおらず
えぇ、働くのぉ?もぉ??
俺???
実に馬鹿な人間であった。
自分が働くということを突き詰めた場合、ひょっとすると今のニートとさほど距離があったとは思えない。
働かんと世間体が・・・なんてなことが底流にあったのは事実である。
実際親と同居で金銭に苦労した経験などない。そして学校の進学について親は煩かったが仕事についてはほとんどなにもなかった。当たり前である、いい大人が就職まで親のひいたレールを待っているものではない。だから当然の結果として親は自分で考えろという立場でしかなかった。その程度であるから、仕事の意義や社会性などまったく哲学はなかった。。。
だから少し悩んだし、この仕事をこのまま続けるのか?という疑問を常に抱いていた。
もちろん金銭もあった、しかしそれよりもっと大きなものが常にあったし、今もある。
働くということは、単純にサラリーの高だけでは何時しか自分自身の人生と整合していかなくなる。俺は何のためにこれをしているのか?という事を金銭のためだけでの結論としては無理がでてくる。金のためだけなら職場をドンドン変える方が効率的であり合理的でもある。
選んだ仕事ではなく、職場をそのつど選び直せば済むだけである。
もちろん金は必要である、しかしより高い理想、そのための仕事を望む場合、仕事に対する高潔な哲学がないと絶対に無理なような気がする。そのような哲学もなく、もし自分でできていると感じたりそのような結果が表れても、それは表面的であったり、一時のものでしかないし、他己がそれを絶対に許さないような気がする。その本質的事情を一個の大人が社会の構成員として理解できているか?によってその社会の民度は大きく違うとも思う。
ある人に先日言われた。
「この仕事、自分ですべて企画していると考えてないか?」
「???」
「確かに君がやっている、しかし本質はこの企画が君を呼んで、この仕事に働かせてもらっているんだよ。そして君はその資格があったんだよ。だからこの仕事を続けられるんだよ。。」
なんとなくわかるような気がする。
いくら強情に押しまくっても駄目なことがある。
逆に、
内容が大きく逆境であっても、自分ではどうにも根拠を説明できないような幸運が運ばれることもある。
これは一体??自分の能力かぁ??運??
なぜ?俺だったんだろう??
判然としなものが多々ある。。
最近でわかり易いのは“不二家”だったんじゃないだろうか?彼らは美味しいお菓子をユーザーに喜んでもらい、その対価より得られる利益から自分たちの収入を構成していたのか?
表面的な結果は一緒かもしれないが、彼らの考え方はユーザーという向き合う、あいての満足度を無視し、得られる収益を計算の最初に据えて仕事を行ったんじゃないだろうか??こんなことはバレなければ!などという考え方がある、そしてこれは誰かの密告があったから!などという指摘もあるが、私はそうは思わない。必ず世間に罰せられると・・・
そいうい輩は仕事から選ばれないし、資格がないのである。健全な社会は必ずそれらの行為に罰を与える。。
この数年の大手企業の不祥事の全ては、自らの仕事にたいする社会的責任を無視し、濡れ手に泡を惜しむがごとき隠蔽から発生している。
発覚してからの対応も実に腹の据わらないものが多い!当たり前である、下衆な人間の所業であるから当然だろう。
収益、利益、もっとミニマムな視点で考えると、自らの給料は誰から貰うのか?という大義を軽視どころか、ほんとに理解できてるのかぁ?というような情けない所業が多い。しかも超一流、老舗などと呼ばれてきたところで夙に発生している。。
正義がない!
こんな事情を子供が見たらどのように感じる??
これが社会などと教えるのだろうか??
ある高名な経済人が残した言葉、私が仕事をする上で大きな力になっている。
経済活動は、正義に基づく限りでのみ、正当化される!!
我々は改めて考えるべきである。横取りや卑怯が“頭が良い”というような感性ではなく、ちゃんとした正義と大義を見極めるべきである。
そして
これを、これから世の中を担う子供たちに教えるべきである!!
ところでKYOちゃん
職場体験実習一日目が終了した日
クタクタになって帰ってきた。。。
母親が心配して訪ねた・・
「KYOちゃんおかえりー!どうやった??仕事??」
「あぁ・・うん・・・」
「なにしたん??」
「うんて」
「うんて??」
あの公園などにある猿が木を伝うような遊具である。
「ほらっ!」
と母親に手をみせると
両手マメだらけであったらしい。。
「どうしたん??このマメ??」
「だから・・うんて。。はぁ疲れた。。アイス食べよ」
「。。。。。」
どうも、子供の前でお手本でうんてをしたところ
“もっともっと!!”と言う声がかかり
張り切ってかなりの時間“猿のように”うんてをしたらしい。。。
KYOちゃんの友達M子ちゃん、希望の保育園ではなく、不本意なビューティーサロン
に行ったのだが、一日中立ちっぱなしでお客さんに“頭”を下げ続け、こちらもクタクタ。。
嫁がいつも行くスーパーではその日、KYOちゃんと同級生の男の子がパンの品だしを任されていた。ああでもないこうでもない!と一人悩んで一生懸命に品だしを行っていた。
「お客さんが取り易いようにせなあかんぞ!」
というお店の人の忠告に真剣に悩んでいたらしい。
どの子も慣れない仕事でクタクタ!
良いではないか!職場体験実習!!
もっとやれ!!
今日
職場体験実習を終えたKYOちゃんに聞いた
「KYOちゃん?」
「なに?」
「KYOちゃん、子供になんて呼ばれた??」
少し照れたように・・
「せんせい。。」
「そうかぁ?たいへんやった??」
「うん・・」
「シンドかった??」
「うん」
「幼稚園の先生、やめるか??」
「やる!!」
まっすぐ目を見開いて答えた
KYOちゃんせんせい!
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KYOちゃんが学校のジャージを着て出かけようとしていた。
???遠足??クラブ??
うん??やけに早いなぁ??
時計を見ると7時過ぎ
KYOちゃんはいつも7時40分の出発である、それにしても早いなぁ??
嫁に確認すると
「あれっ?パパ言ってなかった??」
「なにが?」
「KYOちゃん今日と明日、職場体験実習!」
「??しょくばたいけん??」
「そう!」
うん??少し思い当たるものがあった。
昨年の今頃、そう言えば我社にも数名、学校のジャージを着た中学生が来ていた!
「あっ!ひょっとしてあれか??地域の会社やお店に行って仕事するやつ!!」
「そうそう!それ!7時半に集合やから今日と明日は早いねん!」
「へぇ~。。。って、ところで何の仕事するの?KYOちゃん???」
「幼稚園!」
「えっ!幼稚園!!!」
この驚きには少し理由がある。。
実はKYOちゃん、将来幼稚園の先生になるのが現在の夢である。
家の中であまり自己主張することのない子であるが、この件に関しては小学校の高学年頃から親の我々には明確に宣言していた。遊園地、レストランそういった処に出かけ、その場所に小さい子供がいると、KYOちゃんは決まってそれらの子を凝視し観察している。
私には分らなかったが、嫁から“ホラホラ”と言われて気づいた。うーん・・そう言えば
いつも虫を見るように観察しとる。。
幼稚園の先生というのは結構な決心なのかなぁ??
その憧れの職場に体験にしても行けるというのは、本人ならずとも少し興味というのか興奮するものが胸を突きあげた!!
「へぇ~!憧れの職場やん!」
「そやねん!なんかゴッツう真剣な顔で緊張してたよ!」
「しかし、よぉ希望するところにいけるなぁ??」
「あっ、希望通りとは限らんよ!ちゃんと、なんで行きたいかいうレポート出してそれで先生が判断するみたいよ!」
「ほな、なにか?希望通りとちゃう子もおるんか??」
「うん!結構いるみたいよ!だってKYOちゃんの友達のM子ちゃんなんか、自分が卒園した保育園希望してたけどビューティーサロンになったもん!」
「ビュ、ビューティーサロン??なんじゃ??美容室かぁ??」
「そう!」
「そんなところで子どもがする仕事があるんかぁ??」
「さぁ?」
一体どんなところがあるのか、保護者への通達用紙を見ると、結構な数の、地元企業、団体や個人事業者等が協力している。幼稚園はもちろん保育園、鮨屋、スーパー、美容室、消防署、運動公園等々、約20か所位に分れて行くみたいである。。
そうかぁ!それでもKYOちゃんよかった幼稚園で!
そう言えば我社にやってきた中学生も、日中運動着姿で慣れない仕事を一生懸命していたのを思い出す。台車に荷物を乗せ、言われるがまま何をしていいのかわからないような顔で仕事に取り組んでいた。しかし良い子ばっかりだったような記憶がある。もちろん学校から最低限の礼儀は言いつかってくるのだろうが、朝大きな声で元気よく挨拶してくれたのは、実に気持ちいいものがあった。
二日酔いでだらしなく現れる部下に、「おいコラ!お前!この子らを見習え!」などというような事を言ったような気もする。。
この子たちには、印象的な事があった。
実習が終わってからだが、夕方自転車に乗って再度現れた。
何をしに来たのか見ていると、お礼を皆で言いに来たのである。もちろんこれも先生から言われたのかもしれないが、それでも全員で大きな声でお礼を言う姿はとても気持ちの良い清々しい姿であった。
私はこのとき感じたのであるが、この教育、ええやんかぁ!
子供に実際の職場で仕事をさす。これはものすごく良い教育じゃないかと。
我々の頃はせいぜい社会見学で松下の工場などを見るくらいであった。それがいけないのではない。しかし今行っている実地の体験は見学なんか足元にも及ばないくらい意味と意義があるように感じる。
結局、人間働いて生きていくものである。いくら知識や教養が身についたとしても、社会に出て働かなければ何の意味もない。どんな生き方、そのためのどんな仕事、それが明確に自分の中に芽生え具体的に行動できなければ学歴をいかほど積んでも意味がない。これが教育の根本であり、人は何のために働くのかという教義をきっちりと教えてこそ真の教育は存在すると思う。社会とはいかに構成されているのか、なぜ働くのか、また働けるのか?そういった事を中学生いや本来小学校からでも真剣に教えるべきではないかと思う。ニートや引き籠りが市民権を得るような社会やある種の既成事実のような社会が健全だとは思えない。
公立学校ならではの教育方法じゃないかとも思う。地域で子供を育てる。これが根本だ。
どの子も皆自分の子と一緒であり、世の中の子どもであり、自分の子と言えども社会からの預かりものであるという昔の日本が当然のように持っていた哲学は絶対的価値観だと思う。
私など働くという意味を23歳くらいで考えた。
大学に入り瞬間に“ぽわぁ~”となり、ロクすっぽ学校にも行かず、遊びほうけ、挙句に
留年。。。
気がつくと学内に同輩はおらず
えぇ、働くのぉ?もぉ??
俺???
実に馬鹿な人間であった。
自分が働くということを突き詰めた場合、ひょっとすると今のニートとさほど距離があったとは思えない。
働かんと世間体が・・・なんてなことが底流にあったのは事実である。
実際親と同居で金銭に苦労した経験などない。そして学校の進学について親は煩かったが仕事についてはほとんどなにもなかった。当たり前である、いい大人が就職まで親のひいたレールを待っているものではない。だから当然の結果として親は自分で考えろという立場でしかなかった。その程度であるから、仕事の意義や社会性などまったく哲学はなかった。。。
だから少し悩んだし、この仕事をこのまま続けるのか?という疑問を常に抱いていた。
もちろん金銭もあった、しかしそれよりもっと大きなものが常にあったし、今もある。
働くということは、単純にサラリーの高だけでは何時しか自分自身の人生と整合していかなくなる。俺は何のためにこれをしているのか?という事を金銭のためだけでの結論としては無理がでてくる。金のためだけなら職場をドンドン変える方が効率的であり合理的でもある。
選んだ仕事ではなく、職場をそのつど選び直せば済むだけである。
もちろん金は必要である、しかしより高い理想、そのための仕事を望む場合、仕事に対する高潔な哲学がないと絶対に無理なような気がする。そのような哲学もなく、もし自分でできていると感じたりそのような結果が表れても、それは表面的であったり、一時のものでしかないし、他己がそれを絶対に許さないような気がする。その本質的事情を一個の大人が社会の構成員として理解できているか?によってその社会の民度は大きく違うとも思う。
ある人に先日言われた。
「この仕事、自分ですべて企画していると考えてないか?」
「???」
「確かに君がやっている、しかし本質はこの企画が君を呼んで、この仕事に働かせてもらっているんだよ。そして君はその資格があったんだよ。だからこの仕事を続けられるんだよ。。」
なんとなくわかるような気がする。
いくら強情に押しまくっても駄目なことがある。
逆に、
内容が大きく逆境であっても、自分ではどうにも根拠を説明できないような幸運が運ばれることもある。
これは一体??自分の能力かぁ??運??
なぜ?俺だったんだろう??
判然としなものが多々ある。。
最近でわかり易いのは“不二家”だったんじゃないだろうか?彼らは美味しいお菓子をユーザーに喜んでもらい、その対価より得られる利益から自分たちの収入を構成していたのか?
表面的な結果は一緒かもしれないが、彼らの考え方はユーザーという向き合う、あいての満足度を無視し、得られる収益を計算の最初に据えて仕事を行ったんじゃないだろうか??こんなことはバレなければ!などという考え方がある、そしてこれは誰かの密告があったから!などという指摘もあるが、私はそうは思わない。必ず世間に罰せられると・・・
そいうい輩は仕事から選ばれないし、資格がないのである。健全な社会は必ずそれらの行為に罰を与える。。
この数年の大手企業の不祥事の全ては、自らの仕事にたいする社会的責任を無視し、濡れ手に泡を惜しむがごとき隠蔽から発生している。
発覚してからの対応も実に腹の据わらないものが多い!当たり前である、下衆な人間の所業であるから当然だろう。
収益、利益、もっとミニマムな視点で考えると、自らの給料は誰から貰うのか?という大義を軽視どころか、ほんとに理解できてるのかぁ?というような情けない所業が多い。しかも超一流、老舗などと呼ばれてきたところで夙に発生している。。
正義がない!
こんな事情を子供が見たらどのように感じる??
これが社会などと教えるのだろうか??
ある高名な経済人が残した言葉、私が仕事をする上で大きな力になっている。
経済活動は、正義に基づく限りでのみ、正当化される!!
我々は改めて考えるべきである。横取りや卑怯が“頭が良い”というような感性ではなく、ちゃんとした正義と大義を見極めるべきである。
そして
これを、これから世の中を担う子供たちに教えるべきである!!
ところでKYOちゃん
職場体験実習一日目が終了した日
クタクタになって帰ってきた。。。
母親が心配して訪ねた・・
「KYOちゃんおかえりー!どうやった??仕事??」
「あぁ・・うん・・・」
「なにしたん??」
「うんて」
「うんて??」
あの公園などにある猿が木を伝うような遊具である。
「ほらっ!」
と母親に手をみせると
両手マメだらけであったらしい。。
「どうしたん??このマメ??」
「だから・・うんて。。はぁ疲れた。。アイス食べよ」
「。。。。。」
どうも、子供の前でお手本でうんてをしたところ
“もっともっと!!”と言う声がかかり
張り切ってかなりの時間“猿のように”うんてをしたらしい。。。
KYOちゃんの友達M子ちゃん、希望の保育園ではなく、不本意なビューティーサロン
に行ったのだが、一日中立ちっぱなしでお客さんに“頭”を下げ続け、こちらもクタクタ。。
嫁がいつも行くスーパーではその日、KYOちゃんと同級生の男の子がパンの品だしを任されていた。ああでもないこうでもない!と一人悩んで一生懸命に品だしを行っていた。
「お客さんが取り易いようにせなあかんぞ!」
というお店の人の忠告に真剣に悩んでいたらしい。
どの子も慣れない仕事でクタクタ!
良いではないか!職場体験実習!!
もっとやれ!!
今日
職場体験実習を終えたKYOちゃんに聞いた
「KYOちゃん?」
「なに?」
「KYOちゃん、子供になんて呼ばれた??」
少し照れたように・・
「せんせい。。」
「そうかぁ?たいへんやった??」
「うん・・」
「シンドかった??」
「うん」
「幼稚園の先生、やめるか??」
「やる!!」
まっすぐ目を見開いて答えた
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