2007年05月07日(月)
母衣衆 
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男の子の節句だった・・
毎年、U君の兜や鯉のぼりを飾るのだが、今年は忙しさにかまけて飾らずじまいになってしまった。なにかがあるわけではないのだが、どうも気持ち悪さがのこった。。
結局今年は、柏餅を皆で食べた程度である。。
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男の子節句は、女の子の節句のように装飾品や雰囲気に華やぎはないが、端午の節句の飾り物、武具のミニュチュアのようなものが、私は小さい時分から大好きだった。飾ってある弓矢や刀、それこそ兜自体を被ったり触りたくて仕方がなかったことを覚えている。かくいう我が家の長男、U君も私たちに隠れて触って壊したなんていう事があったが、私もまったく同じことをしていた。。
どうしても触りたかった・・
飾りものが何を象徴しているかなんてどうでもよかった!
年に一度突如現れる精巧な“おもちゃ”でしかなかった。しかしこのおもちゃは、私のもの
らしいのだが、決して触らしてくれなかった。であるから余計に遊びたい!という欲求が毎年増幅する代物だったのを強い記憶として今も持っている・・
実はこの時分のトラウマではないが・・今も武具は大好きであり、有名な武将の武具フィギュアが食玩シリーズで出たときなど、結構マメに買い集めたりしたし、以前、鈴木良治さんから貰った刀剣の本などは暇があれば眺めている。本屋で立ち読みなんかするときも、無意識にその手の本を読みふけっている。
鎧かぶとの実物の写真などは何分も眺められる。
ほんとにこんなの着ていたのかぁ?すごいなぁ?
鎧かぶとも時代時代でかなり様相は違うのであるが、特に私は、戦国武将の武具、鎧かぶとが大好きだ。
なんで?こんな意匠を考えるの?というくらい大胆なデザインと造形。とても生死をかけた戦場に赴く軍装とは思いにくいぐらい華美で、そして各武将の比類のない個性的なセンスには仰天してしまう。。
森羅万象の事物を兜の前立てのデザインに取り入れたり、鎧の上から羽織る陣羽織のハイセンスな意匠、中には当時希少な南蛮布や場合によってはマントのようなものまで、それぞれがそれらに確固たる謂れを持って創作や選択をするのであろうが、しかし凄い!!デザインのモチーフを選択するセンスもさることながら、それらを美しくディフォルメさせる感覚や、セットアップさせる感覚が恐ろしく研ぎ澄まされているのには驚いてしまう。感覚だけで推し量れば、現代の感覚よりも数段上をいくアバンギャルドな感性なのでは?と思ってしまう。。
現代に残った鎧かぶとの写真は、それらを着た武将の往時を想像させるのに実に心地よい入口であり、私の夢想は限りなく広がっていく。
そして私はもうひとつの入り口としてよく“合戦図屏風”を眺める。
有名な合戦を描いた屏風には、錚々たる武将の名前が小さな短冊に書きこまれていたりして、
当たり前なのであるが、“ほんとうにいたんだぁ!”そしてほんとうに歴史書にのっているこの合戦に参加していたんだぁ!本の通りの活躍が残っている!などと感激してしまうのである。
よく屏風をもとに当時の合戦の陣形や動きなどを解説しているものがあるが、それも大好きで、かなり細かく眺める。説明の動きに合わせ、陣形の変化を想像するなど、ひとり自分の世界に入り込み悦にいってしまう。このような想像の世界に入り込んでいる時の私は、ほとんど何かを喋りかけられても答えないと思う。
それほどこの空間に耽溺してしまうのである。
なによりもこれらの屏風に描かれている戦場は、根本的には殺し合いの場であるのだが、色とりどりの旗指物が靡き、さまざまな軍装をした侍が行きかうという別の見方をすれば煌びやかな仮装大会やお祭りのような、本来、殺伐とした行為が展開される空間であるのだが、そうとは思えないぐらい実に美しい景色が広がっている。こんな戦場は他の国の合戦図にはあまり見かけることがない。ある意味奇異な美観を兼ね備えている。。
そんな合戦図、以前から二つの不思議があった。
一つは、日本では結局“楯”という武具が育たなかった事である。西洋の軍装には必ず
鉾と楯は対になる武具であり、攻撃と防御というものを個人が常に身に備えている。しかし、日本の軍装には鉾という殺戮用の武具はあるのだが、楯という防御用の武具はあまり見当たらない。あったとしても陣立て上、大将を守る壁のような存在であり、個人の命を守るようなものとしては見受けられない。それよりも明らかに個人の防御の概念が希薄であり、旗さしものや馬印など戦闘中は個人の存在を誇示する装身具がやたらに目につき、その上、華美である。だから合戦場がとてつもなく華やかな色彩に彩られているのである。ある種、個人は的になって戦場に赴いている。おおよそ賞金額を明示し戦闘に参加しているようなものである。。
もう一つの不思議もやはり同じく戦場の軍装なのであるが、かなり前になるが、合戦図を見ていると、戦場の中にチラホラ一際奇異な装束の騎馬武者が見受けられた。背中に赤や黒の大きな風船のようなものをつけた武者である。
なんだぁ?これは??
カッコいいのか悪いのか?
美的にもすごく不思議な感じである?
いずれにしても・・なんでこんな物、背中に背負っているんだろう?どう考えても目立つし、的になり易い。なによりも動きにくくないのだろうか?
それ以来この装束については気になり調べたりした。
まぁ、調べるといっても大そうな事ではないのだが・・・・・
母衣!
ほろ・・・というらしい。もともとはこのような形状ではなかったらしいのだが、戦国期に入り風船のような形状に変化したらしい。しかも常時、膨らんだ形を保つため、円形に骨組を仕込み、ボール状になったものを背中にくくりつけるような形態を作り出し定着させた。
通常の背中に指す旗とは違う意味合いと、なにかわからないが特別な美意識が感じられる形状である・・・
不思議である。。
最初、滑稽な軍装、装束であると見つめていたものが、だんだんと格好よく見えてくる。理由はわからないが、他にない軍装であり、戦場では他の武者にくらべ一際目立つ存在であり、特別な雰囲気がするのである。
この武者たちの役割は?一体何なんだろう?
調べると、概ね伝令であったり、使い番などという職務を託された武者であるということが書かれている。大将の指示を各部隊に伝えたり、各部隊の戦況を報告したりというのが彼らの仕事になるらしい。基本的には大将や全軍の方向性を各人に伝播させる職制を考えるとエリートであることは分る。しかし、この武者たちをとりわけ先鋭的なエリート集団に特化させたのが信長らしいのである。特にこの戦闘員に赤と黒という異形の母衣という装束を身にまとわせ、赤黒各隊10名と限定し、全軍のなかでも超エリート化した親衛隊と位置づけ、より高度な職務を与えたらしいのである。
もともと歴史上、伝令の役目として存在したものを、信長が独自の発想で自らの組織でそれまでとはかなり意味の違う特別なポジションを作り出したのである。
信長の戦を考えると、これは今では当たり前の印象なのであるが、かなり緻密な計算を立ててからしか戦闘を行っていない。戦国大名としてのデビュー戦が桶狭間という有史上稀に見る奇襲戦で勝利を飾ったため、後世のイメージはイケイケドンドン的な印象が常につきまとってきたが、実際はこの戦い以降、こんな無謀な戦は一切行っていない。それどころか、調略を最重要視し、強い相手には朝貢外交を行い、卑屈な印象すら残している。いざ戦うとなってもかなりの年月をかけて戦略を構築している。ある意味、他の戦国大名に比べても気の長い戦いをいくつも行っている。そして、負け戦も結構多い。
しかも戦場離脱もかなりの気転で行うリアリストでもあり、目的と手段の次元が他の大名とは各段に違うような気がする。そういう意味では独特の軍事感性が備わっている。一番の大きな違いは、彼以外の大名は領地というものを拡大し戦力を増強させ、最終的には京都を占拠するというストーリーが一般的なのであるが、信長は領地拡大に伴いその戦力を配下の武将に次々と任せて行ってしまう。このことの大きな違いは、他の大名は地続きに領地が拡大し、最終的には大将の統率が大きくなる印象しか与えないが、信長の場合、配下の武将がドンドン中小大名に昇格していき、それなりの戦国大名に育っていっている。現代の軍制でいう方面司令官である。北陸の上杉には柴田勝家を対峙させ、中国四国には秀吉を配置している。これは他の大名と比べても地図上の戦略を考えてもスケールが大きく違うし、それぞれの司令官の裁量も大きく違う。何よりも概念がバーチャルである。土地にしがみ付いた具体的管理観念とは大きく違う。
この組織は最初から存在したわけではなく、信長自身が変化していくなかで変わっていっている、いや明確に変えていっている。その基礎的な要素は信長が作り出した母衣集団だったんじゃないかなぁ?などと考えてしまう。。
確かに信長の意図を各隊に伝えるというのは、ただの伝書鳩的なことではないのは容易に想像できる。かなり難しい内容を負わされたのではないだろうか?おそらくそれぞれが先を読み、大将が意図する戦略を各隊に戦術に変換して伝えたと考えられる。これはかなり難しい作業であり、具体的な戦果を現さないと即時無能という烙印を押しかねられない。また戦況を報告するにしても、かなり具体的かつ詳細な報告と、大将が欲しい情報を与えないと、これまた無能!となってしまう。実に難しいテーマが実戦のなかで求められる。事実、母衣衆はかなりメンバー交代があったようだ。
信長からするとトップダウンはできるが、彼の性格からするとボトムアップは組織的に難しい。まぁ戦国時代など基本的には上意下達でしかないが、問題は士気の様相と裏切りを監視、また軍功を冷静に不公平なく判断する監察する機能が必要となる。その問題を具体的に解決するには、上と下を結ぶ優秀な存在が必要となり、最大の効果を発揮できる選択肢を上奏する必要がある。ここに私は母衣衆の最たる要素が存在するのではないかと考える。ある意味優秀なアナリストでないと務まらないし、人望や信頼、尊敬を与えられる人物でないと機能しないし、具体的な軍功も保持していないといけない。
信長の母衣衆がただの伝令ではないのはこれらの要素が色濃く反映されていたからではないかと思う。
後世、信玄のむかで衆にこのような要素が存在したなど聞いた事がない。表層上の組織的な意味はムカデ衆も伝令である。この辺りにも信長が信玄を凌駕する要素が見受けられる。
信玄のムカデ衆と比較しても分るが
信長が自分の手足のように使うというような要素をエリート集団の母衣衆に見がちだが、本質的には組織の硬直を避けるための潤滑油としての要素が一番大きかったような気がする。
それはある意味、信長自身が自分の姿が組織内でどのように映っているのかよく理解できていたのでないかと想像できる。しかしこれはあくまで京都に進駐するまでかとも思う。事実、京都進駐後には母衣衆は解散し別の形態に変化しているし、それぞれの優秀な母衣衆は方面司令官の与力(補佐)に就任していく。ここからが少し組織的なほころびが見え始めたのではいかなぁなんて素人ながら考えてしまう。大将の意図を微に入り細につけ噛み砕いて伝播できる組織がないため、理解できないという事態がおこり、疑心にさいなまれる事が増幅したのではないか?とも考えてしまう。
いずれにしても考えるにこの母衣衆、現代のサラリーマン組織でも通ずるものがある。とくに中間に位置するものが負わされる宿命が存在する。
ある意味、戦場の花形だ。。。
明日から連休明けだ
赤か黒かわからないが、大きな母衣を背負って出勤するぞぉ!
あー!
でも敵の矢玉には一番の目標にもなるんだよなぁ!
この母衣・・・

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