2007年03月05日(月)
koi
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家にあった母親の婦人雑誌をよく読んでいた。。
ある日雑誌を開くと、前髪が揃った、“出目金”のような大きなメガネをかけた
独特の風貌を持った女性が特集されていた。。。
なんだぁ?このババァ??
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宇野千代だった。。
奔放な男性遍歴、独特の恋愛・人生観。。
しかし、私は好きにも嫌いにもなることはなかった。。
どうでも良かったが、その恋愛遍歴に名を連ねる文学、芸術家の猛者連には目を見張った。。
これほどの人物達が好きになる女性。。
それぞれの男性にとっては魅力があったんだろうなぁ??
しかし、それ以上のものはない。。
彼女に対して興味は湧かなかったし、彼女の本も読みたいなどとは思わなかったし、その後読んでもいない。。時代や、背景を総合すると、それなりの女傑なのであろう・・が、特別な感動もなにも生れなかった。正直、奔放などとは片側の良いような見方であり、多面的に考察すれば、世間的には自堕落な女でもある。。これはそうだと思う。人間、一定の枠内の固定的な評価などありえないし、それによって仮想される絶対的価値の称賛など虚飾としか感じない。。
だから、称賛されるような生き方と著作という、ある種の偏りを感じる特集には…・
へぇ~。。ってな程度である。。
が、一部分だけ
なぜか気に掛かった。。
いや、恥ずかしいが、正直今でも、彼女のある男性に対する想いは強烈に私の心底に付着した。。好きになった女性、好きでいてくれる、いてくれた女性にどう思われたいか…
その基軸になる部分があった。。
千代が残した男性とのエピソードは数知れない。「先生、いったい誰が一番好きだったんですか」。晩年親交のあった瀬戸内寂聴さんの問いに、千代は子どものように顔を赤らめてこう答えた。
「尾崎さんよ」
のちに「人生劇場」で一世を風靡(ふうび)する作家、尾崎士郎との出会い。その衝撃は夫の存在さえ忘れさせた。
おしゃれとはほど遠い身なりと無造作な髪形、ひどい吃音(きつおん)。中央公論社の知人を通じて尾崎を紹介された千代は、<堰(せき)を切ってあふれ出すような錯覚>に陥った。
「すぐに帰ってくるからね」と札幌に夫を残し、原稿の採否を案じて上京した25歳の千代は、二度と夫のもとへ帰ることはなかった。「生涯一つだけ悪いことをした」と。。。。。。。。。。
尾崎士郎の回顧談でも・・
宇野千代と結婚した私は、 今までの長い放浪生活を切りあげて、 創作に没頭することのできる生活に入った。 彼女は作家としてすぐれた禀質にめぐまれてもいたが、 同時に家庭の主婦であり妻としては誠実な上に献身的な女であった。 私の作家生活に基礎的な土台をつくりあげたものは彼女であるといってもいい…私に文学眼をひらいてくれたものは宇野千代女史であった…何の自信もなく、 ずるずると無為の感情の中を彷徨していた私の心眼に一点の光を投じてくれたものは彼女である。 それだけは、 この機会にハッキリ断言しておきたい。
というのが二人の恋愛来歴だが
私が一番惹かれたのはこんな時系列的な状況でも、好きだった者への好きだった根拠の披瀝でもない。。
もう雑誌も手元にないから正確な文章は書けないが
たしか、こんな状況だったような記憶がある。。
二人で生活し始めた頃貧乏であった。明日への不安がある日常。。。。
ある日の夕暮れ
食事の用意を台所でしていると、何気ない視線を感じ
目の前の格子窓を見ると
子供のようにこちらを覗く尾崎の顔があった。。
無邪気な子供のように。。。
可愛かった。。。。
........
宇野千代は沢山の男性と恋愛し結婚生活を送った女性である。。
しかし、彼女が晩年、公言して憚らなかったのは
私が一番好きだったのは“尾崎士郎”……。。。。であった。。。
なぜか私はこの一事が今も大好きだ。。

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