2007年02月22日(木)
聴 
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会社を休んだ。。
起きると、子供はもちろん学校、嫁は仕事。。
一人である。
うーん・・平日に一人、ちょっとした独身の気分。。
しかしながら体がだるい。。。。ヤッホー!!好きな事するゾォー!ってな気持ちにはなれない。。。
腹が減った、が、当然のごとくなにも無い。。
テーブルの上のパンなどを入れた篭をあさるが…菓子パンだらけで病人が食べるようなものが全く無い。。。はぁ~。。我慢するか?それともだるい体をおしてコンビニにいくか??と思案していると、昔懐かしい藁半紙の束が目に入った。。
うん???学級新聞???
見るとKyoちゃんのクラスの学級新聞らしきものだった。。
初めて見たわけではない。嫁も、自分の子に関することが載ると“まめ”に見せてはくれるが、全てではない。。あくまでも我が子のトピックスだけであるから、普段の紙面はあまり見たことが無い、だから改めてマジマジみると…
へぇ~。。関心した。
Kyoちゃんの先生は結構マメな方のようだ。かなりの頻度で作っているようで、しかもこの時代のこと、スナップ写真、もちろん藁半紙のため白黒で画像も悪いのだが、それでも、我々の時代に比べると上出来であり実に面白い。。
中学校に行ってから、父親の私が参観日に行くことも無くなったから、教室でどのような感じなのかはまったく知らない。そう考えるとこの学級通信はほんの少し娘の日常を覗いているような感じがし、腹が減っているのも忘れぺらぺらとめくっていた。。すると明らかに他の学級通信と紙面構成の違う一枚が出てきた。。
あれっ?なにこれ??
一面に“習字の一字”みたいなものが約30点近く掲載されていた。
うん??
タイトルを見ると、今年一年の自分を表す一字!となっている。。
へぇ~!あれやないか!年末の清水寺の管長さんが書く一字みたいなもんや!!
確か去年は“命”だったかなぁ!
ふぅーん!なかなか良いアイデアじゃないか!
どれどれ?と見ると、なかなか面白い!
勝、前、跳、等々いろいろある。皆がちょっとづつ文字に対する思いをコメントしている。
ところでKyoちゃんは??
と探すと
あった!
『 聴 』
??
一際難しい字ではないか??しかも大抵の字は級友と重なっていたりするのだが、Kyoちゃんの字は他にはいない。。なんで『 聴 』なのだろう??・
コメントを読むと
『ことしは人の話を良く聴く』
とある。。うん??
去年までこの子は人の話を良く聴いていなかったのか???
しかし、なんで『 聞 』じゃなく『 聴 』なんだろう???
そう言えば、聞くと聴くはどうちがうのだろうか????
よくよく考えると知らないのである。。。
さっそく辞書やインターネットで調べると
これが大いに違うではないか!!!!!
齢・40歳まで知らなかった…・
聞くとは、単純に聴覚としての機能面が大きい言葉のようで、理解するとかしないとか以前に耳に音響として入っているのかどうか?それを指すようである。
しかし、聴くとは、音楽を聴く等のように深い理解と情感があり、注意深く相手の言わんとする事を理解しようとする状態で、人間のコミュニケーションの根幹をなす条件がそこには内容として組み込まれているようなのである。
確かに漢字の作りを見ても、聞くは門のなかに耳が納まった状態を表し、聴くは耳に心が寄り添っている。。耳の徳のような感じもする。。。
なるほどぉ~!!大きく違う。確かに英訳しても違うようである。
聞くがヒアリング
聴くはリスニング
しかし、日本語の漢字はこの英語の記号のような区別とは感じ方が大いに違う!
日本語は状態を表すときに英語やその他の言語よりもより豊かで美しく、そして恐ろしいくらいの空間と思想性を表現する!
聞香!というのがあるが、これを直訳すると、香、いわゆる匂いを聞くということになる。
こんな表現は他の言語にはありえない。匂いを聞くのである。そこには鼻という機能はあくまで匂いを伝える媒体でしかないのである。本質はその奥、心、感性に伝えるという実に繊細な感性が横たわっている。目を閉じ心で匂い、匂いから解き放たれる言葉を“聞き”わけるのである。。
紅葉狩りという言葉もそうだ。
狩などは元来狩猟に使う言葉で、草木を愛でる表現とは相応しないが、日本人はこのように使用する。しかも赤々と紅葉した山々を散策するとは、なにか心情として見えないものを心がガッツリと握り刈り込んでいくような、まさしく“狩”のような状況とマッチするような気がする。。。。
そして静かに自然の声を聴き、その美しさの絶頂を狩人のように探すのである。。
実に豊かである。
中原中也の代表的な詩
汚れつちまつた悲しみに……
汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今日も風さへ吹きすぎる
汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘〈かはごろも〉
汚れつちまつた悲しみは
小雪のかかつてちぢこまる
汚れつちまつた悲しみは
なにのぞむなくねがふなく
汚れつちまつた悲しみは
倦怠〈けだい〉のうちに死を夢む
汚れつちまつた悲しみに
いたいたしくも怖気〈(おじけ)〉づき
汚れつちまつた悲しみに
なすところもなく日は暮れる……
美しい詩だと十代からつくづく感じており敬愛している。
なんとタイトルの“汚れちまった悲しみに”だけですでに完璧な詩になっている。
聴こえてくる。。。
この言葉も直訳しようがない。。悲しみが汚れるとは一体どのような????
だけど、みながこの日本語を読んで理解できるのであり、そこに大いなる其々の情感が投影さえ出来てしまう。。こんな感性は日本人以外にはありえない。。
しかし、聴くとは大事な言葉である。これは耳の問題ではなく“心”の問題である。
詩にしても音楽にしても、ましてや絵画でも、最終的に心の中で問い掛けてくるものは
聴く、聴こえたという事につながる。リズムや言語や視覚等の表層を語りがちだが、実際は手段やそれを伝える媒体の事でしかない。。本質は心に響いたか!聴こえたか?それが全てになってくる。
尾崎豊のI LOVE YOUという名曲の一節『きしむベッド・・』というフレーズに若い男女の情景や情感が、何万語を費やしても説明つかないものが、この一節だけで心に聴こえてくる。
これは耳で聞いたものとは明らかに違う。目で見た言葉とも明らかに違う。。
心に聴こえてくるのである!
宇多田ヒカルのFirst Loveも同じものがある。。
『明日の今ごろにはあなたはどこにいるんだろう、誰を思っているんだろう』
この一節だけですべてが心に聴こえてくる。。。
初めてこの二人の詩に触れたとき、恐ろしいものを感じたのを昨日の事のように覚えている。。
本物は心に聴こえてくる。。
絵もそうだ。見ているのではない。見た残像が心を打ち響かせ、そして自分の本当の心に聴こえてくる。優れた芸術は必ず心に聴こえてくる、その激しい叫びが!!
聞くのではない、また、見るのでもない、最終は心に
聴く、聴こえる、聴こえたかである。
確かにそうだ!仕事でも人とのコミュニケーションでもなんでも
聴こえなくてはいけない。また、聴かなくてはいけない。
聞こえているだけでは、聞いているだけでは。。。。
なんともいい勉強になった!!!
やるじゃないか!
Kyoちゃん。。
ぐぅ~
そのとき私は“お腹の虫の音”を
“聴いた。。。”
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