2007年01月02日(火)
花形敬のスカーフェイス 9 
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朝から晩まで特番と呼ばれる番組が犇いており、そのほとんどが正直私にはつまらなく感じる。。なんのために作られているのかよく理解できない。。。
家族が見るので仕方なく隅で新聞や本、インターネットを見ながら断片的に覗いている。。
実に苦痛な限りである。。。
早くもとの番組編成に戻ってもらいたい限りである。
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そんな中、ここ数年年末恒例の格闘技番組を去年は見た。K-1だ!
対戦プログラム中、ボビーや曙、金子何某などのキワモノもあり、エンターテイメント性が少し強いような気もするが、今回の中ではやはり桜庭対秋山戦に興味が惹かれた。
私は格闘技の専門的知識が深いわけでも経験者でもない。
しかし、今回の桜庭対秋山の一戦に関しては、始まってすぐ、“これは秋山の方が強い!”と即座に感じた。桜庭はいまや伝説の格闘家だ。私もグレーシー一族との死闘は見てきて、彼の変幻自在、常識を超越する攻撃には感心させられてきた。。そんな存在の桜庭が同じ日本人格闘家、今や格闘界の中心部分に席捲する柔道出身者である秋山とどのような対戦をするのか?興味がかなり高かった。
しかし正直がっかりした?というか桜庭!なんか弱いナァ?と直感的に感じた。
根拠はないが向き合った瞬間の凄みが各段に違う感じがした。あの変則的な攻撃が秋山に入り込む隙がまったく感じられなかったのだ。。。
結果は桜庭のTKO負け。敗戦後に桜庭が秋山の体に不正なオイルが塗り込まれていた!と猛抗議をしたことが今日のネットのニュースで流れていたが、私の素人感覚からでも、例えそれが真実であったとしてフェアな状態で再戦しても現状で桜庭に勝機があるとは感じられなかった。そしてニュースで、桜庭は過去無い位の猛抗議!となっていたが、ピーク時の桜庭だったら果たしてそんな事をしただろうか?と疑問を感じる。この過去無い猛抗議が逆の意味で力の落ちた格闘家の姿を露呈したような感覚が生れた。格闘家が持つ勝ち負けの鋭敏な感覚がぶれているのではないか?と感じてしまう。強い格闘家はある意味、自分より強いものに闘いは挑まない。とくに生死をかける闘いには。宮本武蔵がそうであったように、強いと言う事は、明かな力の差を瞬時に嗅ぎ分ける能力からくるものである。そういう意味で桜庭の抗議は少しがっかりするものが存在する。。。
しかし、秋山には過去柔道時代にこの手の疑惑が存在したのも事実である。。であるから余計に桜庭の抗議は惨めにも感じらる。。
とにかく、私は彼らが向き合った瞬間の空気の明確な違いに、久しぶりにサムライが果し合い時に感じる強弱の差を見たような気がした。
少し話しがズレルが、この秋山、以前から少し知っていた。。
経歴が他の柔道家と違う。。清風高校から近畿大学へ入学し、卒業後、韓国へと渡った。2001年9月、日本へ帰国、日本国籍を取得した。平成管財へ入社し、柔道81kg級の第一人者として頭角を現した。日本に帰化し、釜山アジア大会に出場・優勝した際、韓国のマスコミに対し「柔道をするために日本国籍を得た」とインタビューした。それが返って韓国のマスコミの批判・バッシングを受ける羽目となってしまった。韓国へ渡る???この部分を取材したものを見たのか読んだのか?覚えていないが記憶に残った。。今のポジションに至るまで、他の柔道家とは違う紆余曲折を内包した格闘家であり、明かに平板な道のりでない匂いがした。。
今回この秋山戦を見たとき、なぜか瞬時に力道山が頭に浮かんだ。
今では周知の事実であるが、彼も朝鮮半島出身者であった。この共通項が何故か頭の中でダブリ、力道山が浮かんできた。。
中学時分、友人と力道山のドキュメンタリー映画を見に行った。この時分、作家の村松具視がプロレスへの理解を示す書籍を発刊し世間で少し騒がれた時期でもあり、たしかこのドキュメンタリー映画も彼のナレーションだったか解説が加わっていたような記憶がある。正直私は特別見たいと思って見たわけではない。友人の強い勧めでついて行ったような感じであったが、その後少し力道山については興味をもった。
朝鮮半島からやって来て角界へ、しかし髷を落とす謎の行動。その後プロレスラーとして活躍し戦後日本のカリスマとして活躍。そして暴力団員に刺殺され短い人生を終える。
これが一般的な流れであり、私もそのように理解していた。しかし高校だったか大学だったかの時期、写真誌フォーカスで、力道山の朝鮮時代の写真が掲載された。その時初めて知った。事実は朝鮮人であり、しかも日本に来る前にすでに子供がいたという事を。。その事実から彼の複雑な人生にかなりの興味が湧いてきた。そして最後の暴力団に刺殺されるという部分。なぜ、国民の英雄がそのような人物に殺されるのか?なんとも言えない違和感があった。
調べると実際の人物像と虚像とのギャップがかなりある。
日本の戦後の英雄が実は朝鮮半島からやってきた朝鮮人だった。長らく伏せられた事実である。日本が戦時中に残した爪あと。
日本の暗部との深いつながり。それは戦後の日本が蓋をした部分でもあった。力道山という存在は、その中心から虚飾に満ちた形でのカリスマの創造であった。この狭間で力道山は常軌を逸する行動や精神的苦悶を常に抱えていた。実際彼のプライベートは公序良俗に反する行いが多かった。一般の人間に対する乱暴狼藉は日常茶飯。しかも女性にまで暴行を加える始末。メディアで取り上げられるヒーロー像とはかけ離れた存在であった。
暴力団との関係は興行上かなり深いものがあり、実際彼の事実上のバックは、第二次世界大戦後に東京で愚連隊などを形成していた在日韓国人の町井久之(本名は「鄭建永」)である。
町井久之とは東声会の設立者である。
東声会は、昭和32年(1957年)に、「東洋の声に耳を傾ける」と云う理念のもと、町井久之によって、在日朝鮮人連盟(現:朝鮮総連)や在日朝鮮統一民主戦線などへの防波堤として、東京銀座で結成された。この東声会の後ろ盾は児玉誉士夫であり、児玉誉士夫を介して三代目山口組の組長・田岡一雄の舎弟となり、三代目山口組も大きな後ろ盾としていた。
このような背景が力道山には存在していた。暴力団に刺殺されたというのは世間的な事件の様相だが、実際は彼自身が暴力団と見紛う位置に存在していたのである。。
力道山が活躍した時期、花形敬も同じ都内、渋谷に存在した。そして同じ暴力の世界に。。
彼らが遭遇したことは安藤昇の回想で有名な話しである。
花形敬の伝説の一つであり、彼の強さを誇張する時に必ず出てくる話しである。
酒場の用心棒を買って出た力道山に対峙した花形敬。この直接的対面時、あの強暴な力道山が退いた。それが後日、花形敬の迫力に退散したと喧伝される。これには実際は違う事実があり安藤昇の記憶違いなどということも書かれたりしているが、私はこれに近い形で力道山と花形敬は数回対面していたと想像する。都内でその筋の者の世界で乱暴モノとして有名であった力道山を花形敬が知らないはずはない。そして彼の背景に東声会が存在した事もおそらく知っていたであろう。力道山にしても花形の存在は知っていたと思う。おそらく対面した時にその辺りの背景をお互い意識したものがあったであろう。後日喧伝されるような番長対決みたいな事はなかったであろうが、一発触発の緊張した空気は存在していたであろう。その空気自体が回りからするとかなりの勝負の瞬間に感じても不思議は無い。この花形敬が勝ったような場面は当時勢いのあった安藤組側のアナウンス効果だったんじゃないんだろうか?と考える。
しかし不思議なつながりが力道山と花形敬には存在する。
花形敬を殺すのは力道山の背景に存在した東声会の組員である。。
花形敬の強さ、腕力のバロメーターは何時も力道山の強さによって表現される。当時日本一強かったヒーローとの対面場面がその数値を計る目安になる。日の当たる場所の強い人物と影の世界の強い人物。そして影のほうが少し大きく映るのである。。。
影の存在が消滅すると、実体の部分であった力道山も間もなく消滅した。。。。
同じような経緯で。。。。
そして日本は戦後ではなくなるのである。。

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僕もなんだあれという気持ちで桜庭秋山戦を見ていました。
オイルや柔道着の件は秋山にはセットのダークサイドだとも思いますけど、この二人が試合をする意味がわからなかった、
秋山を売り出すための桜庭という感じで。桜庭がかわいそうな感じがしました。
KYOちゃん、U君!部活&少年野球ともにがんばりましょー!
あ、勉強もか…(笑)。
今年もよろしくお願い致しますぅ。
遅くなりましたが、明けましておめでとう御座います。
昨年中はお世話になりました。
あれ以来読んで頂いてる様で、恐縮です^_^
まだ本格復帰ではないのですが、早く帰って来れる様に頑張ります(^O^)/
☆敬さんは、時代に取り残され、不器用に生きたんだろうなぁ。。。
なんて思います。
出来る事なら、実際に会って話してみたい気も・・・ちょっと怖いけど^_^;
今年もお互い良い年にしましょうね^^
今年もどうぞ宜しくお願い致しますm(__)m