2005年08月04日(木)
草莽崛起 
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「ここ知ってるか?中津というところで、あの福沢諭吉の出身地だよ」と教えてくれた。
「へー!こんな田舎?」
「そう。昔は豊前国と呼ばれていたんだよ」
「ふーん」
そして小倉駅から新幹線に乗りこんだが、何故かその日に限って雑誌の内容が頭に入らなかった。其れと言うのも中津の情景が頭から離れませんでした。雑誌を読むのを止め、窓を見ると何故かいろいろな事が頭を過った。
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江戸時代にあんな片田舎から大阪・江戸と学問を修めに出て行き、最終的には日本を代表する人物になったのかと思うと不思議でならなかった。
現代と違い情報の流通は速度も遅いし訴求も弱かったはずで、そんな状況で大阪・江戸に出て行こうとよく考えたものだなーと関心する。エリートコースとしての観念があったとしても、判断の基準は何であったのであろう?立身栄達?巨富?なんか違う様に思う。しかも移動の基本は徒歩で幾日もかけてであるし、現代の距離感覚でいうとアメリカ大陸に辿りつきそこから徒歩で目的地に行く事に匹敵すると考えられる。そして誰しもがいける観点ではなく、ごくごく限られた人材だけという、なんとも心もとない状況である。
幕末期に西日本の各地で傑物が同時期に出てきたが、人物の背景からいろいろ考えられる事はいくつもあるが、私が不思議なのは歴史のポイントに必要不可欠のごとく又ベストキャスティングのように登場する人物は偶然なのだろうか、いや何かの磁場に吸い寄せられる様に歴史の表舞台に登場する、しかも幕末期約15年位のスパンである。それは自身が選んだ人生というより歴史が選んだ様にしか考えられない。
幕末期の坂本竜馬などの行動記録をみると、とても歩く事を中心に歩んだ行程とは考えにくいほどの距離である。日本地図を俯瞰する現代のビジネスマンに近いものがある。
しかし時代が選ぼうと、果てし無い行程を歩こうと、彼らの情報共有感覚と正論は一体どうゆう感覚で形成され伝播されたのであろう。
まずもって情報の基準・標準がまったく明確ではない。そして藩という外郭があり基本的には現代の府県は異国にあたる。国という単位は教育も生活も異質であり、その事より感性も異質になる。そして幕末期には江戸・京という情報発信地が存在し政治的内容からしても情報は多元化されていたと思う。こうゆう環境のなかで自身の行動指針の選択は一体どのように選別されるのであろうか?もちろん藩・国の統一的な見解が個人を支配していたのは間違いで無いが、浪人とよばれるアウトサイダー達はどのように思想を形成していったのであろうか。現代からその時代を見ると結果からの逆流なので、現代に通じるものが一つの正規ルートになるが、その時代の只中にいる人間は一体なにが正しいと判断するのであろう?他人に意見を求め口論に及ぶ事があったとしても、論拠とそれを維持する精神性はどこから拠出するのだろう?その場合けっして情報量の差ではないと思う。
そして私利が基本ではなく、虚栄心も勿論ない。歴史が彼らを選んだ資格とはなんであろうか。
草深いなかから吸い寄せられる様に現われ、そして私利・虚栄心からではなく日本地図を縦横に動き回り、距離・労力を超越して目的に向かう。
現代を基準に考えると本当に不思議であり物語にしか思えない。
ネット・TVと情報の速度・量は激増し交通アクセスが完備したが、われわれは賢くなったのであろうか?そして先の時代という、現時点での具体的情報のない世界に対して、私利以外で正論を各自が形成しているのだろうか?
司馬遼太郎が最後まで拘った“この国のかたち”という概念が、少しだけ気になる今日この頃である。

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