2006年10月30日(月)
死への彷徨 
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2番目の子供の時には忘れない様、そのタイミングを待った。。
それは
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カテゴリー移籍しました。。。。。。
母親のおなかの中に居る時の記憶を聞くことである。
ずーと以前に誰かに聞いた事がある。
物心ついて言葉を覚え始めると、それまでの記憶が消えて無くなると。
無くなるというより、消されるというほうが近いかもしれない。
消しゴムで誰かが自分のノートを消す様に。。
しかし、その狭間、記憶が消し去られるほんの手前の瞬間には、ひょっとして僅かな記憶とそれを表現できる極々わずかな言葉が残せるのでないだろうか?と考えた。。
あくまで私の確認でしかないし、本当にその事を子供が語っているかどうかの確証は掴めないのだが…
それでもこの興味は抑えがたいものがあった。。。
2番目の子供が、言葉らしきものを話し出した時
このタイミングとばかりに聞いた…・
すると、
“暗いところで浮いていた”と答えた。。
正確には浮いている状態を擬態語で表現しており、言葉では無かったのであるが、でも間違いなく、記憶にあった。。。
しかし、聞いた後すこし後悔した。。
何かわからないものが物凄い勢いで消し込んでいる状態に、割り込むことが何らかの影響にならないか??と。。。
物心というが、この狭間がなにか還俗する瞬間なのか?とも考える。
あるテレビを見ていて関心した。
あかちゃんをプールに放り込むのである。通常だと無謀にみえる行動だが、しかし、あかちゃんは泳ぐのである。そこから色々な説明があったが、基本的な人間の機能がじつは既に備わっているらしいのである。まぁそうなのかもしれない。その潜在的な能力の覚醒が歩いたり喋ったりということなのであろう。。しかしこのタイミングで記憶が消えて無くなる。。
医学的な問題ではなく、私はこの瞬間が非常に興味がある。ある種宗教的な解釈を加えた方が理解しやすいのかもしれない。
そして歩き立ちしゃべり始めるまでの期間、あかちゃんは全て“かわいい”。。
ここにも潜在的な能力が隠れていると聞く。。
明かに弱者であるということが潜在的なDNAの中に組み込まれていて、外敵からの防御として“かわいい”という雰囲気を醸し出し、極力攻撃を回避するようにしているらしいのである。これも確証たるものはないが、しかし理解できる。。
父親の精嚢から生れ、何億という競争を生物として勝ち抜き、そして人体を勝ち得ていくのである。その経過を考えてもそれぐらいの戦略性がDNAに組み込まれていてもおかしくないだろう。。そして、それは死なない為にと言うところから生み出された生への攻撃に他ならない。
生命を得て世間に出現するのだが、それは結局積極的な死への彷徨の始まりである。
母親のおなかの中で保持していた記憶はどこから始まるのであろう?
それは生死の狭間からの記憶のような気がする。。。。
それが消し込まれる・・生への記憶の蓄積ばかりが先行していくが、本質は死へ向かう記憶の蓄積にほかならない。
松下幸之助翁の言葉にある。
「死を恐れるのは人間の本能である。だが、死を恐れるよりも、死の準備のないことを恐れたほうがいい。人はいつも死に直面している。それだけに尊い。そしてそれだけに、与えられてる生命を最大に生かさなければならないのである。それを考えるのがすなわち死の準備である。そしてそれが生の準備となる。」
死を忘れた人間世界が現在のスタンダードな社会である。
厚かましくも当然長生きする期待に満ち溢れている。
しかしそれでも限界、いや、目安は一応各自もっている。それは平均寿命という客観的な数値である。そこまでの人生の計画が全て計算されている。経済的にも精神的にも。。しかし、誰もそれを保証しているわけではないのだが。。。。。平均とはある種のボリュームゾーンであり、その分子が大きければ大きいほど、確率から外れる可能性を見なくなる。。。
それをいい事に本来絶対値であるはずのものが、相対的な思考に変化しているのだ。。
これは私も含めてだが、松下翁が言うところの生の準備への不備を逆説的であるが説明しているし、大半が問題としない事柄になっている。
しかし、なぜ問題としないでいけるのだろうか???
世の中にはそんな計画とは無縁の人間がいる。。
絶対値で生きていく人間が。。。
よく破滅型とか言うのだが。。
それは我々側からの見方でしかない。。
安穏と計算して暮らしている。。
始まりと終わりを、自分たちの量の過小と比べているだけで
濃度を測っていないのだ。。
明かに我々から見ると死を恐れない生きかたとしてしか見えない存在がある。
本人の計略でそういう相違を起しているわけではなく。自然と我々社会と乖離する人間がいる。我々の考えの範疇を遥かに超すのである。
なぜ?そんなことになるのか??
考えると、死を常に背中に背負っているのだろう…
しかしそれは我々が考える死と果たして同じなのだろうか??
生命の終焉ではなく、生への実感の消失との闘いのように思える。。。
真剣士・小池重明。。
体じゅうにつけられた酸素吸入器や点滴の管を引きちぎり、44年の人生を終わらせた。
客観的には自殺なのだが、しかしそうは感じない。。。
彼の生き様にはその事が凝縮している。。
ルポライターの竹中労の言葉にある。
「人は、無力だから群れるのではなく、群れるから無力になる。」
遠い物心つく前の生と死の狭間の記憶を残し、強烈な死への彷徨を突き進む人間が存在する。
そこには我々が気づかない、生への準備を示す生きかた、死への彷徨の本質を語り、教えてくれるものが存在する。
遠い物心つく前の記憶。。。
姑息に立ちまわる自分が嫌になる今日この頃だ。。。

投稿者 junca 00:13 | コメント(0) | トラックバック(2) | think
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