2005年08月02日(火)
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花形敬のスカーフェイス2
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花形敬の存在を広く世に知らしめたのは間違いなく本田靖春であろう。
疵という本は、花形敬を中心とした戦後日本の一断面を抉った本で、やくざものの系譜を解説したものではない。
軍国主義からアメリカ式民主主義という価値観の大転換期、やくざや一般市民というような国民を分断するものは存在しなかったはずで、価値観の変換という軋みのなかから抑えきれない若者のストレートな欲望が吹出した結果、集団としての愚連隊が現われた。
疵という本は、一際突出した花形敬という存在、それは軍国主義時代には存在しえなかったが、戦前の日本にはいたと思われる存在をメガネにし戦後社会を覗き、検証した本だと思う。彼、花形敬も間違いなく軍国少年であったはずだ、戦後を期に変貌していったのであろう。それはもともと持っていた欲求か、戦後の価値変革で後天的に備わったものなのか、おそらく先天的な欲求だったと思うが、しかしこれは特別な例ではなく日本全国の若者がそうであったと思う。
実は教養深い私の叔母にこの本を見せた、それは戦後を良く知る叔母に状況を聞きたかったからだが、叔母は是非見せて欲しい、読後に話をしましょうと言いました。
客観的には愚連隊本で、率直なところ叔母には不向きと思うところがあったが、予想に反して叔母の感想は“面白かった”との事でした。
一番は正確に戦後の状況を捉えているという点、それと愚連隊という後年その時代の若者を括る言葉によって状況を説明するが、その時代はある意味生きて行く事に精一杯で、みんな愚連隊が如きで腕力の世界だった事がみごとに描かれている点があり、愚連隊の本ではあるが叔母にすると戦後の若者群像がみごとに描かれたノンフィクションであったみたいだ。
花形敬が主人公である理由は、
花形敬の最終目標が見えないからではないだろうか。親分の安藤昇と違い、彼の場合には野望が読み取れない。
彼は客観的な風体や履歴は愚連隊だが、金や権力にはいたって恬淡としていたとしか思えず、では一体なにが目的で暴れまわっていたのであろうか?
高度経済成長目前に姿を消した彼だが、彼のそんな姿に本田靖春は戦後の若者群像を投影したんではないだろうか。
普遍的な若者の渇望感と焦燥感、それを花形という青年は自身の腕力で表現していたのであろう。だから武器は必要なく、ステゴロが彼の基準だったのであろう。本田靖春が花形敬に特別な性格を文中で与えてはおらず、鍵「」の独白部分もほとんど無い。ほとんどが客観的状況の説明だ。そのなかから花形を想像し、読者は一種の美学を構築せざるおえなくなる。
それはある種劇画的ではあるが、でも一つの詩とも読み取れる。
だから多くの人が彼に惹かれるのではないだろうか、そして私のように彼の実像に触れたく肖像を探すのではないだろうか。
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