2006年08月20日(日)
甘粕正彦と土方歳三
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事前の喧喧諤諤感からすると
なんとなく、こんなもんかぁ~という印象であった。
小市民である私がメディアを通じて受けた印象でしかないが
以外と“わぁわぁ”感も少なく、サクサクと過ぎて行ったような気がする。。
国際問題も芸能ニュースもこの国では同次元のトピックスでしかない。。
中国も韓国も、もう少し前からこの事象に対する事後の反転攻勢を考えている様に
感じるし、現在もそうだと思う。
“おぉ!やりやがったなぁ?この負け犬、アメリカのポチ野郎が”位だろう。。。
わが国も原爆を落とされたが、彼らも特に中国なんかは“阿片”をまかれ国内をグチャグチャにされた経験もあるわけで、そらまぁ一筋縄ではいかないよぉ!!
と、大体歴史的背景から考えても“中華”の一部でしか見ていないだろうし、ある時期少しだけ覇権から外れている位にしか思っていないだろう!!こんな国の奴らがエネルギーを保有する事など“笑止”。。と悪態の限りを慇懃無礼に…・・
そう言えば中国はイギリスに対してあの時よくも阿片を使いやがって!などと抗議してるんだろうか??あの時は王朝政権だったから今と違う??そんなのはおかしいだろう??
国民は一緒だぞ???
以前にも言ったと思うが
このままでは“トンキン”になってしまう。。
トンキン??
知らない?
東京ですよぉ!!
北京・南京・トンキン!!
中国政府内では多分そう呼んでるぞ!!
そう言う意味で、今回の首相靖国参拝は、よく言われる近隣アジアの外交について、本質的局面を作り出せる可能性を得たのではないかとも考えられる。今後が肝心だ。解決しない両国間の外交問題として明示し、その上で国際的な日本のポジションニングを考えて行くべきだろう。必ず隣国とは揉めるという前提を植えつけなければならない。真の友好は100%
胸襟を開くなどという幻想はあり得ない。
利もなく動かない。これが現実だろう!いずれにしても発言の裏には短期にしろ長期にしろ
利害を根拠にしているはずである。しかしわが国の発言には国家の戦略上の利はどこにあるのか??素人の私ですら悩む。。。。
相手が嫌がるもしくは嫌がるそぶりには、こちらが得をする局面が隠れているのではないだろうか?もしくはその得を薄めるための陽動作戦という事も考えられる。
おそらく単純に彼らの背景に対し脆弱さがあるから、そこを攻撃するのだろう?
首相が、何時行っても批判があがる!!と象徴的にこの8月15日靖国参拝についてコメントしていたが
なるほどぉ!と思う。。
TVタックルでタレントの大竹まことが言っていたが
だったら、“毎日行けば特別な事柄でなくなるから!”というのは逆説的であるが本質でもある。
先日の8月15日以降
“私、内閣総理大臣は毎朝参拝いたします。”
“だってそうでしょう!!そんな年1回では戦没者・及び近隣の方々に対し、哀悼と不戦の誓いとしては弱すぎるでしょう!!”
ってな具合の事を言えば“おもろいのに!”
まぁ、それくらいの鷹揚な政治家、世界を相手にジョークをとばせる奴が出てこないかなぁ??
と、思う。。。
よく分からないが、外交ってイコール友好か??と常に考えてしまう。
まぁ究極はそうなのかもしれないが、なんともそういった事は共産主義思想のようで
似非融和感にしか感じなくなってきてないだろうか??
結局、プラスかマイナスかという現実的事象が必ず現れるもので、プラスマイナスゼロはないんじゃないかなぁ??もしあるとするとメンツという大きいのか小さいのかがハッキリしない関数が加わり、お互い引き分けなんじゃないだろうか?
所謂、落とし所が現れるのだろう・・これは本質的に長期的観点からは休止でしかない。。
しかし現実的・即物的利益にはそう言ったものはないし、ここが一番肝心なのだが、終わりがなく継続し続ける。つねに流動的で形、感情が変化してアメーバーのような状態であると言う事だ。。
もしくはプラスマイナスが長期間の時系列でスパイラル状に配列されていくのではないだろうか?しかも均一ではなく。。
暴力団の事務所に“君たちも同じ市民だから解散して?”と揉み手で行くバカがいるかぁ??
暴力団は暴力団としての維持を常に考えているだろうし、そういう意味では暴力団の最大の敵は敵対組織ではなく、自分たちを取り巻く環境かもしれない。。当たり前だ、まともな生業であれば暴力団で居る必要はない。基本的なマーケットは一般市民であり、その方々を騙すことで成り立つ稼業である。
そういう状況を飛び越えて観念的な思想だけで友好を求めてもなぁ?と考えないだろうか???
まぁ、ある意味究極の愚直さ!の方が相手は気色悪がるかもしれないし、ひょっとすると究極の外交戦術かもしれないが…・
相手を凌駕する財力があれば、もしくは主体性を堅持する必要性がなければ。。
どちらかだと思う。延々金で解決していくか、もしくは相手に同化するかだ!
それが一番穏便である。。
我々世代の外交と友好の象徴はやはり田中角栄の日中友好条約締結とその後の“パンダ”に集約されている。。
あのころ、なんかよく分からなかったが、中国がパンダをくれた!(実際はくれたわけではないのだが・・)ぐらいだった。
だから今後仲良くするんだ!!そんなもんだ。。。。
しかし、今どうなんだ??
あきらかにミサイルを国土に向けて撃たれ、領海を侵犯され、国民が勝手に侵入された工作員とかいう輩に連れ去られ、連れ去った事実を認めながら返さない。。一体なんなんだ???
日米安保条約という“虎の威を借る狐”であることが周知なのだから、もっと最大に活用してくれよぉ!もっと狡猾に!と考えるのは私だけなのだろうか??
所詮、金で安全を保障していくんだから!!
具体的主体性としては“核”は保有していないが、事実上国際的な接触部分においてこの条約を堅持していくことこそが間接的には近隣に対して核を保有しているのと同意義の筈だ!!しかし実際の近隣の反応はどうなんだろう??
平気でミサイルを撃ちやがるし!
核実験している。。
大体、あのノドンはどこ狙っている??どう考えたって飛行距離から考えても明白じゃないか??
と、8月15日をピークに様々な事、“国”が関わる過去と未来が語られる。。
正しいのか正しくないのか?これからどうするのか?
一杯一杯語られる。。。。。。。
でも、少し考えると、語ると言っても、語る側の人間は基本的には全てメディアと言うものを活用しているし、それを鏡にして行動している。金も得ている。。
かならず自分の姿を映すものが現在存在する。
これは、もう仕方がないと言えば仕方がない。
こんなにも自己顕示欲が先走る状況はTVという存在が最大化しているとしか考えられない。
TVというメディアがない世界で、今のような考えをどうやって人につたえるのであろう??そう考えると現在TVで喋っている方々がこの国の一般市民にとっては国会議員なんかよりズッと大きな代弁者であり、もしくは自分の考えを決めるサンプルになっている。
この国にとってTVほどの教育機関はない…
しかし、語る人々の本質はTVと言うものに必要とされる道具で、TVという劇場に用意されたものでしかないのだが…
本当に彼らが喋っている事は,正しいのか?そしてTVに出てくる考えだけで良いのか??
それ以外はないのか??
何が中心なのか??この国として??
ある東大教授がナショナリズムについて持論を語っていたが
盲目的に国家に従い殉じるのがナショナリズムではない!
間違いに対し勇気をもって発言するのが真のナショナリストである。。
まぁ!そうだろう・・
しかし国家は最終的に一つの結論が必要となる。相手に対して。。
それには自分の考えと違ったとしても国民は服従せざる終えない。これは民主主義の原則である。。
と、このような事を言い出すと、恐らく彼らは、そうならない様に議論を尽くし最善を求めるべきで!などと言うだろうが、
相手があり時間がない状況の反射的行動下でそんな観念論が通用するのか?と疑問に思う。
所詮、甘いんじゃないだろうか??
もし、大戦前の世界のような限られたメディアしかない、今から考えるとメディアが皆無に等しい状況で、現在の我々各々は、それぞれの哲学、もしくはそこからくる国家観という指針を持てるのだろうか??私はその点が現在強い疑問として心の中心にある。
だれが教えてくれるのか?
誰がどのような考えで民意を反映し指揮するのだろう??
自身の行動や考えを劇場型ドラマのように確認し美化して行けるメディアという鏡があり、ともすれば後世の自身の姿まで計算に入れてという現代、果たして他人を別にした自己のみの強固な哲学を育み持ち得るのであろうか??相対的確認を自ら行い。。
何故幕末、メディアが無い時代、佐幕、開国、尊皇攘夷という様々な思想があるなか、人は自分の考えと行動を結論付けられたのであろうか??それはもちろん出自からくる絶対値もあるだろうが、脱藩した浪人たちはある意味自由であったと思う。一体結論づける為の自身をどこで研いたのであろう?そしてどう結論づけたのであろう?
それは同時にメディアが発達したかもしれないが第2次大戦前までの状況として私は持っている。。
どう考えても今から思うと狭量とした視野しか開けていなかった筈である。今のような選択肢が用意されているわけではないのだ。。。
誰も見ていない誰も知らないところでひっそりと“死ななくてはいけなくなった”としても、その時、自分の考えに正直に従えるのだろうか??後世、最低の評価が下される、そんな状況を考えず自身の考えに自分を制約できるのであろうか??
こう考えた時、、後世の余人が感じる正しいか否かを別にし、強固な哲学と行動を持ち、死を向かえたある二人の人物に似た“匂い”を感じた。。
つづく。。

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