2006年05月28日(日)
花形敬のスカーフェイス 7 
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彼については何度か書いてきたが
彼に対しての私の興味が尽きる事がない。
これは何故だか分からない。
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市井の愚連隊でしかなく、歴史に名を残す偉人でもなんでもない。
他人にこの人物に対しての興味を喋ったことはないが、20代前半から細々と途切れることなく意識が繋がっている。。
先日ある方からコメントをいただき
“疵”を久しぶりに部分的に読み返していたとき、本田靖春氏の言葉に引っかかった。。
多分全てではないが、この部分かなぁ?と思えた。。
それは、戦後という時期が終わり、高度経済成長を向かえる時、愚連隊と呼ばれたアウトロー達にもその波は押し寄せてきた。。
その時、愚連隊は腕一本の世界から本格的ヤクザへの転換期にさしかかり、花形が所属した安藤組も転身を模索した。
そこには戦後の愚連隊とは各段に規模の違う政治経済“暗部”への結びつきが必要となり、それは現代ヤクザに通ずる経営マインドの創出の起点となる時期でもあった。
そんな劇的な過渡期に差し掛かった時、花形の存在、あくまでも素手一本の喧嘩に男の誇りを貫こうとしたアウトローの姿に、ある種のドラマを感じても不思議ではない。
しかし本質はそのドラマティックな悲劇性ではない。
時代の波に上手く器用に乗れるのは、ほんの僅かな人間でしかない。
誰しもいつかは時代から取り残され、そして新たな潮流に飲みこまれる。。
大半の人間がそうであり、若かりし頃の大志が忘却の彼方に運び込まれてしまう。
自分の変容を現実とか大人という言葉で処理するか、無視しつづけるのではないだろうか。。
ヤクザは本来社会の“異端者”のはずである。
花形は、その世界での“正統”を歩いていこうとした。
しかし戦後は過去に送りこまれ、ヤクザの世界にも“秩序”が求められ始めた。
そうなった時、花形の存在は“異端者”に変質してしまったのであった。。
この部分になにか感じないだろうか?
私の興味が尽きない部分は、多分このストレートな人生に感じるものがあるのだと思う。
いや、彼がもし、その後も生きていたらおそらくこんな純粋な形では居られなかったのも事実で、これは結果論かもしれない。しかし彼の死は、必然を抱えた不器用さと純粋さがあることも事実だ。。
彼の人生に仮託して、小さな枠組みの中での安定と引き換えに
良民と呼ばれたい自分が売り渡した多くを感じる事ができないだろうか?

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コメントありがとうございます。
ご教授などと恐縮至極です。
こちらこそいろいろお教え下さい。
今後とも末永くよろしくお願い致します。
今回の花形さんの写真は、一番迫力がありますね (*^_^*)
でも、幾つかの写真を見て思うのですが、その写真毎に雰囲気が違うので、戸惑ってしまう事も・・・
花形さんは不器用だった・・・それは、時の流れに足元を取られる事なく! と言えば聞こえはイイけど、時代の年核についていけなかったと言う事。
ただ、何故今も伝説に成って居るのかと言えば・・・
多分それは、自分を誤魔化す事無く、ズルくなく生きた人だからと言うきがします。
これからも、花形さんの記事を楽しみにしています (^_^)