2006年05月16日(火)

フェチ 

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元来はフェティシズムという、なんかファッションムーブメントの一つのような言葉みたいであるが、現代ではフェチという言葉で大いに流通し認識されている。
そのフェチだが、一般通念では性的嗜好を表現する言葉として広く認識されている。
確かに元々の意味は少し違ったのかもしれないが、本来的にはアンダーグランドに存在する言葉であったはずが、現代は日の当たる場所に堂々と出てきている。
そして性的嗜好が元になった犯罪というショッキングな側面に引きずられ、ほぼそれらを指し示す言葉となってしまった。
めがねフェチ
ツインテールフェチ
脚フェチ
尻フェチ
おもらしフェチ
ウェット&メッシー
濡れフェチ
パンストフェチ
タイツフェチ
ラバーフェチ
ミニスカフェチ
大きくは物質・人体パーツ・シチュエーションに分かれるようだ。。。
なんかよく分からないが、ちょっと調べるだけでもこれらがジャーナルの如く流れ出てくる。
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一般的にはそれらが性欲と結びつき、犯罪にまで至るケースからこのフェチという言葉はダーティーなイメージを引きずるのと、もう一つは正常?というか大多数が持つ平均感覚を、平均的に有していると自覚していた人間が、実は内に潜む平均からはずれる感覚を自分が大きなウェートとして有しているのに気づいたとき、その世の中一般と希少的感覚を有している自分との狭間で悶える事に大きな爆発力をひめてしまい、他人に理解されなくても良いという趣味的な嗜好性が無くなり、平衡感覚が破壊された瞬間。。
自分は変質者なのだろうか?という相対感を欠落させてしまう原因が生まれ、認識せざるおえなくなることにより、フェチの世界へ突入していく。。
しかしこの人間の感性の中で相半する関係が、実は秘められた欲望の源泉で上手に操ればある意味楽しい趣味であったりということも考えられる。
してはいけない、しかし押さえられない。。的な心理環境が絶対存在するはずで、それがなく偏向嗜好を全面にだした、もしくは出している人は即時“変態”という次のカテゴリーに送り込まれる。だから犯罪前と犯罪後ではその人間のカテゴリーも大いに違ってくる。。まぁ犯罪という極端な区別は問題があるが。。。
以前、植草という敏腕な経済学者が起した“のぞき”などはその典型ではないだろうか?
捕まる前は人に言えない大いなる個人のフェティシズムであったが、それを世の中で具体的に実行したとき、それはもう“フェチ”とは呼べなくなってしまっている。
彼にとってはスカートの中という世界が夢の世界で、それが本来見れない場所で見れるということに大いなる快感が生まれたのであろう。しかしその橋渡し行為が世の中では“のぞき”と呼ばれ犯罪になるのである。この行為を、金をはらって出来るような場所で思いを遂げても、それはあくまでバーチャルな世界でしかなく、本意を遂げた事にはならないどころか、ある意味、似て非なる最たるものになってしまうのだろう。。
もしくはひょっとすると“のぞく行為”が彼のフェティシズムかもしれない。だから究極は人でも猿でも車でもなんでもよかったのではないだろか?それはまだ彼のフェティシズムが未成熟で
平均的な男性の女性に対する欲望が混入していただけかもしれない。
ひょっとすると、走っている車の床面が見てみたい!凄く興奮するなどという極地にまでいく途上だったかもしれない。。
しかしフェチにとっては、現実との距離が大きな原動力でエネルギーであり、これがある意味、現実が近づいてしまうと実に危険なのだ。
ある意味フェチが夢想するものは本来物質的な側面が大きいのだが、本質は空虚な世界のイメージの増幅でしか無いのではないだろうか。
そして枯れない泉の如く次から次から溢れ、無理に押さえると水道管のバルブのように破裂してしまうのだ。。
破裂してしまう
そうすると目が覚めたように平均的嗜好社会に戻ろうとしても、すでにその扉は閉じられており、フェチの社会からも抽出されてしまっているのである。。。
だから大半はバーチャルなイメージ世界に棲息し、現実との乖離の中で悶々と過ごすのだが、ある線を越えた瞬間、地雷地帯を踏み分けるような危険な行軍となるのだ。
だから、イメージの増幅こそがフェティッシュにとっては一番大事なのだろう。
とまぁこんなに難しく考えなくても良いのだけど。。。
しかし、対象や内包しているものの種別を別にして、人間はある意味すべてフェティッシュなんではないだろうか、先天的に気づいたものや後天的に育んでいるにも関わらず気づいていないものなど様々な形があると思う。
そしてそれが案外現世の自分が写し出されている世の中のキャラクターと大いなるギャップが存在していることがあり、それがよりフェティシズム感覚を増幅させるのである。。
えー!!
あの人がーーー!!
そう考えると、宗教も政治も学問もそこに取りかかる発端はフェティシズム的発想なのかもしれない。社会正義と社会悪は表裏であり、所属する集団によってその感性は大いに違ってくる。
自分は人より世の中を良くできる、出来れば頂点に立ち良くしたいという感性は、凄い立派な人だという認識があるようだが、これは指向性(嗜好性)により大いに疑問と成り得る。
たとえばそのような人物が現代において共産主義者であった場合どうだろうか?
しかし、権力に対してのフェティシズムが働かない輩では上手くいかないのも事実であり、ある意味中道などと呼ばれている偏向傾向の少ない集団においても、リーダーのフェティシズムがある波長で人民につながらなければ、権力奪取には至らない。
そしてフェティシズムはイメージの増幅でしかない、だから政権の運営基盤はイメージという理想を元にするのだが、現実とは常に乖離し、そして破綻する。集団がイメージとの乖離をいつも許さないのだ。。宗教の場合は宗教側が無理に集団のイメージに合わせるのであろう。逆の乖離感が生まれるが、元々現実とは超越した関係にあり、現実も偏向気味のイメージ世界であり、振幅があくまでバーチャル内の出来事でしかないため破綻には至らない。
話は変わるが、集団という意味で、
以前も何かの番組であったが、数人の男女が頭から足の先までを覆い被るウェットスーツのような物(たぶんもっと薄手でコントなんかで着るタイツみたいなもの?)を着衣し、お互いに寝転がり、
“スリスリ”し合い快感に浸るフェチ集団が放映されていた。。
聞くとこの集団は、あくまでお互いもしくは複数で着衣したものをこすり合わせ“スリスリ”する事に快感があり、男女での行動の場合、性行為のように相手の性器を掴んだり揉んだりすることそして会話は御法度なのだそうだ。。。
私は是を見た瞬間、笑ったが、でも世の中は広いとも大いに感じたし、すこしやってみたいなぁ!
なんか気持ち良さそうだなぁ~とも正直思った。。
気づいていない自分のフェティシズムを呼び起されたような。。。。
この人たちは真剣にその快感に何時間も耽っているのだ。。。。。。。。。。。だからといって他人に迷惑をかけているかと言うと、決してそうではない。
具体的に“スリスリ”しているが、実は肉体の快感だけなら皆して集まる必要もない、そこには
イメージの増幅という言葉に出来ない大きな快感が存在するのだろう。
そしてもう一つ驚いたのは、この集団の欲望のパワーは全国組織なのである。。
うーん!!侮れない!!
と、とにかく結構なフェチが存在する。そしてネットという現代の通信手段がこれら嗜好の人たちを繋げ、本来一人で抱えていた欲望がネットにより集団ができ、一気に世の中に噴出している。
よく昔は“恥ずかしげもなく!”などという言葉を大人から聞いたが、現在ではそんな言葉も一種の“合いの手”くらいしか意味をもたなくなってしまっている。。
恥ずかしげもなく!みんなで見ましょう!やりましょう!
と言われると、自分のフェティシズムが分かっていないと
ある種の間違った勇気が生まれるのも事実だ。。。

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