2008年04月17日(木)

fire 生きる力? fire

 生きる力? 晩遅くに帰ると

嫁は風呂、子供たちは自分の部屋にいて

居間には誰もいなかった。

まぁ我が家によくあるパターンの内の一つだから別段気になるものではないのだが

その日少し違ったのはテーブルの上にある冊子が目についたことだった。

???

手に取り表題を見ると

“生きる力”

学習指導要領がかわります
平成21年4月から、幼稚園、小学校、中学校で、
新しい教育内容がスタートします

ははぁん、、まあ所謂“ゆとり教育”が、まずかった?という結論??
何年もかけて“駄目”だった?もしくは状況が許さなくなったという社会の変化に対する対応?

いずれにしても“あきまへんわ!!”
“こちゃにしますわぁ!”

という・・ありがたい?お上のお達しであることは間違いないだろう…

ペラペラとめくり目を通す、、

今回の改定のポイント!

教育基本法の改正等で明確になった教育理念を踏まえて教育内容を見直します

教育の目標に新たに規定された内容
1、能力の伸長、創造性、職業との関連を重視
2、公共の精神、社会の形成に参画する態度
3、生命や自然の尊重、環境の保全
4、伝統と文化の尊重、それらをはぐくんできたわが国と郷土を愛し
  他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与


うーーーーん???・こ、これが新たに規定された????
新たに?っていうことは・・今まで規定のなかに無かったのかぁ???

次に!

学力の重要な3つの要素を育成します
1、基礎的な知識・技能をしっかりと身に付けさせます
2、知識・技能を活用し、自ら考え、判断し、表現する力をはぐくみます
3、学習に取り組む意欲を養います


えぇぇぇぇ?今までも育成しているつもりではあったのだろうが?それにしても…
あえて宣言するとは?これまでは…とならないかぁ???

特に、、学習に取り組む意欲を養いますって・・・

私もそんなものはなかったが、、それにしても、あからさまに書き込むのは如何なものなのか?
まぁ冷静に考えれば大半の子供にとっては永遠のテーマかもしれず、、善しとしよう。。。


まぁ続けて


道徳教育や体育などの充実により、豊かな心や健やかな体を育成します。

改めて宣言するのか?これ?現実とのギャップがあり、ともすれば現状から鑑みて虚言的な虚無感があったにしても、これまでの教育の根底にすでにあるものだと思っていたのだが…

この理念からなにが新しいのかは正直まったく分からない。。。

これら改定の肝を分かり安く纏めたものがあった!!

それがこれだ!!!

「ゆとり」か「詰め込み」かではなく
基礎的な知識・技能の習得と
思考力・判断力・表現力の育成の両方が大切です

 ↓  ↓  ↓  ↓  ↓  ↓

それぞれの力をバランスよくのばしていくために、
教科等の授業時数を増加し、教育内容を改善します。



結局結論は“授業時数”を増加!
その目的は…ということから逆算しての大儀の補完じゃないかぁ?
だから具体的にそれが今まで単純に欠落していた、脆弱だったというよりも

なんかいるやろぉ?増やすのに?見たいな安直な発想じゃないのかぁ?
だからなんか“ペラペラ”で軽薄な感じがするんだろうなぁ~これが…

結局、、なんでもええからもっと時間増やせ!が実質的な部分であろう・・・

この国が“アホ”になってるらしいぃぃぃぃぃいぃい

まぁしかし読み進めると
うん!これはという事も理念としては見えてきた!
確かにこれは具体的に教化する必要性を感じるものである。

1、言語の力を育む!
記録、説明、批評、論述、討論などの言語を使った活動を行う。

2、伝統や文化に関する教育を充実!
小学校で国宝などの文化遺産、中学校で江戸時代の教育・文化や
近現代史など、歴史学習を充実します。

この二つは大きな柱だと睨んでいる!!!

その他色々な美辞麗句が並びなんともいえない発展性を感じるが現実的な期待感が乏しい?と感じる。これはなにも即時の効果が出るものではないのは分かってはいるのだが、何か足りない気がするのである。それはある程度の基礎的素養が絶対的にあってこそ実になるものであり、ではその基礎とは?と求めると、それら全ての根幹がこの二つじゃないか?と思うのである。

言葉、これは確かにどの時代にも変化があり変容を遂げていく。しかしそれはあくまでも“単語”的な単位の変化が先ず端的に現れ、その後、表現と言う部分での合理性であったり、音感的なものであったりという変化が現れる。今、侍言葉の変換などが流行っているが、それは現代とのギャップ感からくる面白さが最大であり、このギャップ感がまさしく言葉の変化であり、比較的近い時間軸の変化ではないからこそ言葉の変化の面白さが如実に表れるのであろう。
たしかに今の時代と単純に比べその変化の要素を探りだせられるものではないが、全般的に今の時代とはスピード感が大きく違うことだけは感覚的に理解できる。そしてこの感覚の違いは実は
異次元的感覚に遭遇するくらいの面白さがある。。別の国、別の人間?くらいのギャップ感があるのだ。。

しかしである、論述や討論と呼ばれるものに大きな変化などは本質的には無いはずであり、物事、
事象、はたまた自分の中で考え出すものを他人に説明、またはお互いの考え方をすり合わせたり
戦わせたりすることの作業は人間が明確な言語を有してからは同じだと思うのである。その力が団塊の世代以降の教育において不足している?もしくは弱っている?もともと教育していない?特に“ゆとり教育の忘れ物”?なのは明らかであって今日の改定の告知につながったはずであり、、そこを補強もしくは新たに打ち立てていくことは重要だと私も感じる。

仕事をしていてつくづく思うのだが、私は営業という職をしているのだが、究極は“言葉”による商売であり、突き詰めると言葉が全てであり、言葉で生きていると思えるのである。確かに商売には商品やその他の具体物をもってという側面はあるにしても、我々はモノを作るわけではない。そのことから考えると我々の商売道具はなにか?と考えるとやはり“言葉”になる。特に資源のない通商立国の我が国では、本来この部分を強烈に磨くのが筋であり、この部分をいかに駆使するかが重要なはずである。これは私個人にとってだけではない。前述のとおりかなりの割合の人がその中で戦っているはずであり、皆に必要だと思うし、本来的に教育の根幹的業務はここから始めるのが我が国の国益にも一番適うはずであると思う。それが改めて改定要素の重要項目に数え上げなくてはならないのは???であり、かなり悲観すべき事実であり、遅きに失していてもやるべき大きな課題であることは間違いない。この部分は何度も言うようだが絶対的なこの20年のゆとり教育の最大の罪過であり欠陥部分だと思う。国威の戦略性を著しく毀損したと断じても間違いない。

我が国が繁栄を極められたのはもちろん技術立国であるということもあるのだが、本質はそれをキチンとビジネスに大きく転嫁したことにその主要な部分が存在する。モノをつくった、もしくは作る技術があっただけでは、今の世界に冠たる企業は存在しなかったであろうと思う。
技術、それだけしかなかったとしても、最後の砦、技術があれば!と夢想しても、おそらくそれだけでは海外の有力企業のOEM、下請けが関の山だったんじゃないだろうか?

確固たるものを世界と言う土俵に立脚し今も敢然と戦いつづける背景にはやはり次元の高い“言葉”が企業の中に存在したと考えて間違いないと思う。ここでの言葉とはあくまで単語の意味ではない理念、戦略的論理、そしてそれを補完する理論の武装、及びここが重要なのだがWARに勝つ狡猾的な思考性を生み出せる論理性の高さである。SONYの栄光などそれ以外に考えられない。技術だけでは決して無い、大きな決断をむかえるイノベーションの喚起とそのときの決断論拠の背景にはやはり高い次元の言葉が存在したと思う!!!

そういった過去の成功からわが国の教育における“言葉”の今後という事を考えると、それはより以上に必要じゃないのかなぁ?と切に思うのである。外国、グローバリゼーションということを前提に考えると、まず自らの論理の構築があってこそ他者と向き合えることが出来るのであり、特に外国と言う文化常識が違うものと向き合う場合は自国の事情と他国の事情という二つの情報を常に考えその中で自らの一本筋の通った意見が無ければ勝つこともなければその前に相手にもしてもらえないのじゃないか?と思うのである。そういった環境が眼前に広がりつつある現実の中で優位に立つには、現状の教育改定などというのは実に危うい“ぬるい”気がしてならないのだが・・それでも至急に必要だとは思う。。。

そのためにも言葉、その本質的論理性を高める教育を施すのは大賛成である。よく考えれば政治家など最大にして最高の武器は言葉でしかない。人の歴史の本質は“言葉”による支配だと思うのである。言葉がある意味全てのコミュニケーションの元であり戦いの最大の武器であり、共生模索の窓口な訳であるからここの能力を幼少より鍛えるのは当たり前なのかもしれない…

そしてもう一つの伝統や文化に関する教育を充実!
小学校で国宝などの文化遺産、中学校で江戸時代の教育・文化や
近現代史など、歴史学習を充実します。

であるが、私はこのことが絶対に重要だと考えている。特に近現代史の教育には徹底的な時間を費やす必要がこの国にはある。そして卒業してから頓に感じるのは、なぜ縄文時代から初めて最後まで終わらないのか?確か私の記憶では明治大正昭和など僅かな時間でしかなかった、もしくは、自習に近かったように記憶する。これは今までの歴史教育のシステムにとっては最大の限界点であり、戦争とそれにいたるまでの軍国というこの国のが抱えた歴史的病巣を教育の現場に持ち込むための国民の見解が統一していない、またそのあたりの整合の必要性をわかりつつも戦後戦勝国から総括機会を奪われ極東軍事裁判を世界の判決とした経緯があり、国民の主体的検証が皆無な状態で様々な思想が濁流のように流れ込んだのを呆然と60年眺めてきた結果に他ならない。
その部分の確固たる歴史観が国内的に脆弱では教えるものの個人的な思想性を負荷してしまう危険性があって敬遠したのでは?と考えてしまうのである。
そしてその背景には少なからず日教祖というくだらない思想集団がこの部分の歴史の教育を妨害した?もしくは蹂躙する恐れがあったと私なりに解釈している。ここが我が国の歴史というものの教育にとって最大のネックであった。歴史とは遥か彼方の紀元前も指せば、昨日も歴史という
要素の一つである。この教育のもっとも根幹は、それらがつながっていて、すべてに因果関係が存在するということである。そしてそこから未来を考えるというのが歴史教育の最大の課題であるのだが、我が国の教育の問題は今日の直前に存在した歴史に目をつむって居続けているという事だ。

本来、先に陳べた“言葉”そしてその国の人間が育んだ“歴史”というものが先ず教育の根幹には必要であり、ある意味、自分が存在するということの理由としての国粋教育は絶対に必要であると思うのである。歴史における過去の過ちは現実的に受け止め、そこから“なぜ”そうなったかなど様々意見を汲み取る教育が必要であると思うのである。先生は一定の見解、所謂“答え”を用意しなくては成立しないという考え方は間違った盲信であり、色んな考え方が今も存在し“この国でははっきりとした結論、答えがでていない”という現状も素直に提示し、そこから先の“言葉”をもってそれぞれの子の純粋な考えを許容するというのがもっとも必要じゃないかと思うのである。歴史の教育に本来年号などを設問し答えを求めるなどという必要性はまったくない。
あるとするならば、歴史上起きた出来事に対する様々な考え方の比較と、自分たちの先人が残したものから何を見、考え、どう自分に活かすのか、それを討議する。それしか無いように感じるのである。

歴史なくして我々は存在しないし、そのことをいかに次に伝えるかその“言葉”は大きな意味が存在する。だから私は歴史と言葉は同義だと考えている。ここがもっとも今必要な時期なのではないか?と思うのである。外国人と話をして、自国の歴史に汚点があったとしてもそれを“あいまいな”解釈で封殺し、個々人の考え方に大きなギャップが存在するのは当然かもしれないが、
国旗や国家に素直に向き合えない国民とは?信用してもらえるのだろうか?

一部が君が代、日の丸を忌み嫌う意味が私には理解できない。
軍国の象徴であったとしても、それは我々の国が起こした事柄であり、だからこそ敢えて自戒を込めて引き続き使用する。それは迷惑をかけた外国に対してもその趣旨を説明し、新たな平和の象徴として活かすのが本来の筋じゃないか?と私は思うのである。ある意味、君が代、日の丸は恥ずかしいものであるという認識が必要なのかもしれないし、過去に誤った軍国主義を常にイメージできるものであった方が、返って今後の平和を希求する場合に有効に働くと思う。だからこそ、そこからこれを使う意味を再度考えるべきだとも思うのである。
引きずりつづける必要のある事柄であり、歴史から受け継いだ具体的象徴は今後にもその意味を伝える義務がある。この歌、この旗のもとこの国が大きく誤った時代があったと・・

それは否定することが逆説的に肯定につながる可能性がある。
現代の人間で具体的に戦争遂行に関わった人間はもういない。ある意味新たな時代の人間たちで構成する社会である。そこから新たな考え方で乗り越える可能性を見出さなくてはいけない。
単純に憎悪の対象としてだけで終わってはいけないと思う。

中国が、韓国が嫌がるとか、わけのわからない理由を軽率に並べ立てるものではないし、反対であるのであるならば、ではどんなものが良いのかという対論を具体化させるべきで、ひょっとすると国民投票してもいいくらいの内容じゃないかと常々私は考えている。今のような状態は実に恥ずかしい限りである。

私は案外“君が代”“日の丸”でOKというのが寄り切るように思う。

我が国は天皇という他の国には存在しない存在があり、戦争を永久に放棄させられ、アメリカ作成の憲法を遵守し、グローバルな主体的活動は経済のみという現実をまず子供たちにもキッチリと説明する必要があると思う。その上でどう考えていくか?あるものは疑問視するだろうし
あるものは肯定するだろう。そして最大は明確さの無い現状を憂うイノベーションが育つ、これが最大の国威に通じる教育だと私は思う。

戦争は悪い!これは当たり前の記号のように教えるが

なぜ悪いのか?と明確に答えられる人間が本当に存在するのだろうか?

今、アメリカは戦争状態である。戦争は悪いということから考えればアメリカにはきつく文句を言わなければならない。しかし、アメリカとは友好関係にあるし、もっと具体的に踏み込めば“軍事同盟”を締結している。この現実と“戦争が悪い”という記号は子供にどのように伝えるのだろうか?ここが一番重要であり、本来“生の状況”をテキストに出来、論理性を高めるのは最も有効なはずだが、この国は、私の時もそうだったが、回避している。
これは非情にオカシイのではないだろうか?

だから本来は縄文時代から教えるのではなく、現代から“なぜ”そうなったか?そこに至ったのはこういう因果関係があった、そしてその因果関係はなにから?という逆の流れで教えるのが
本来の筋じゃないかと思うのであり、真の生きる力、いや、生きてきた力によって我々がこの国に存在できる。それは自分、兄弟、親、祖父母という血の歴史とその生活を支えた国、そして国が存続するための協調という部分における世界との関係など、全ての根幹は歴史でありその歴史を営むために必要とされたのは言葉であり、それらを包括する文化だという認識が、生きる力というテーマに合致するのじゃないかとも思う。金銭を儲けるというのはある意味それらを完遂するための手段であり、二次三次的要素でしかない。もっとも大事なのは歴史が続く原動力とは何かを見つめ、その中で人間は営々と仕事をし世の中、具体的には国に貢献するという図式を今一度考え直し教育に具体的に反映させていくのは実にいいことだと私は思う。

しかし・・・問題はこの教育改定の理念が実は中間の理想でしかないということだ。
今の学制では必ず受験との整合という問題が出てくる。理念と理想を掲げても実際の受験に有効か否かでその浸透させようとする意図はもろくも崩壊する。
だから本来学制の変更が必要なのと、これは良いのか悪いのか分からないが、教育と区別した具体的知識習熟の勉強というものの大部分はひょっとすると今後、塾というビジネスとのコミュニケーションワークが発生するかもしれない。いやすでに始まっているのかもしれない。


その根拠は・・

この理念を遂行するにあたり

週5日制は維持ということが

なんだかなぁと考えさせられ

むなしくも感じる。。。

国家百年の大計!

残念ながらそういう意気を感じられないし。。

全学童に配る冊子に

この国は一体幾ら使ったのだろう?

この冊子に書く必要性とは
これまでの教育基本法が
間違っていたからであるとは書かれていない。
しかし、明らかな方針の変更であることは間違いない。

それは何年もかかっての変更である。

国の方針決定とは・・・

一度決定すると

これほど愚鈍で

間違った結果を何年も垂れ流しつづける

恐ろしいものか?

と、考えさせられた。。

我が家の長女、KYOちゃんはこの改定の狭間の世代となってしまった。。

なんとも言えない

不快感が私を襲う!!

これまでに欠落したものは

見て見ぬふりにし

ハイ!

リセット!

と、するのか?・・

それが

この国の“生きる力”の

源泉なの?
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投稿者 junca 23:26 | コメント(0) | トラックバック(0) | 子供
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