2006年02月23日(木)

ガキ帝国 2 

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よろしくお願いします。
映像というフィールドで一躍名を上げるための手段であったんだろう。それは学校教育で習熟してというような“眠い”感性では到底なれない現実が横たわっており、過激にも直接世の中に具体的アピールが必要であり、小賢しい手段ではないストレートな分かりやすい行動こそが当時彼らの唯一の武器でもあった!
井筒和幸もその一人だ。。
ガキ帝国はそんな彼のデビュー作だったと思う。
この映画を見ると一目分かるのだが、低予算で制作され、しかも高度な映像テクニックではなく、ドキュメンタリー風にフィルムを回していることが。。
ほぼロケ、たぶん無許可のゲリラ撮影であったであろう。。
キャストも大阪のお笑い若手と当時アンダーグラウンド的な若手の役者という、ほぼ無名の集団で作られている。。
しかし、そこが実にいいのだ。
無駄な演技がなく、演技による感情表現が極力抑えられている。
ストーリーも大きな集団に糾合される者と、反駁する集団、それを上から操る集団と、結局大人の社会の縮図である。違いは若者が大人になる端境にもつ感情だけである。純粋なものもいれば、拝金主義の芽生えを感じる者、権力の所在に敏感になるもの、闘争、競争に虚無感を持つ者、自分の欲望に対し“やりたいこと”と“出来ること”のギャップ、そんなものがこの映画には強い“豚骨”のような臭いとして流れている。。
ただ若者の日常が流れる、しかし激しい欲望が集団の性格としていかんなく構成され、画面から剥き出しに飛び出してくる。
そのことが実にリアルな感覚を生み、等身大の若者をピュアに投影出来ていると素直に感じられた。。
映画監督というのは一体どのようになったら良いのか?
井筒和幸たちが凄いのは、すべて体当たりでのし上がってきている点だ!!
才能があろうが無かろうが、客観的な評価を無視し、絶対的な突貫精神で切り開いていく感性が映画にモロに反映されている。。
既存の価値観や感性の破壊!
パンクだ。。
しかもガキ帝国にはアンタチャブルな内容もこの当時にしては珍しく盛り込まれている。。
差別だ。。
しかし、この内容がじつは大変重要で必要になる。というよりもこの内容がないまま若者、とくにアウトローの実体は表出できない!!
表現としては危険で、受け取る側の人間によって感じ方が様々であり、ある種の問題を引き起こしかねない。。しかし彼の以降の作品にもこの点はこだわりを持って色濃く現れてくる。。
学生時代はある意味制約されたルールや様々な事で、架空の平等が存在する。しかし大人になるには生きていく過酷な競争が即時発生する。必ずしもフェアではないし、どちらかというとアンフェアな事柄の方が遙かに多い。そんな事は学校では教えてくれないし、自分の感性と嗅覚で感じるしかない。。
人間は平等ではない。。
それは才能によって分かれるものも有れば、悲しいかな出自によってレール引かれる事象も存在する。
大人になるというのはあらゆる意味が存在するが、自分を冷静に見極める大事なポイントでもある。。
夢と現実。。この狭間に身を置く。。
ある意味現在のホリエモンも私は“ガキ帝国”だったんでは無いかとみている。。
既存の破壊!
現在精査されている功罪はべつにして、間違いなく現代の若者の大半はそのサクセスに陶酔していたし、yahooや楽天、既存の経済界に立ち向かう姿に自己投影していたのは間違いない。。
映画のラストで“梅田会”のリーダーが既存のヤクザの手先として集団の拡大と犯罪に手を染めていく姿が実に“ホリエモン”とダブる。。
それはガキ帝国からの脱却であり、ただのヤクザの姿でしかない。。。
そして梅田会のリーダーは殺されてしまうが、
ヤクザは次の後継者を即時捜す。。
ガキ帝国はガキ帝国でしかない。。
大人社会にガキ帝国は存在しない。。。
びっくり★Ⅱも、よろしくお願いします。。

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