2005年07月22日(金)
◆◆ 侠気 ◆◆
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侠気・おとこぎと読むらしい。
しかし私がこの言葉の意味として理解しているのは、決して男だけの事ではない。性差は無いように思う。
作家の安倍譲二が愚連隊の神様“万年東一”に、この言葉の意味を教えてもらった時のエピソードを種々のエッセイで書いているが、その説明が一番的確であると思う。
“平然と損を承知で物事に向かえる”それが侠気だ。それが出来る人間は全て侠気があるんだ。侠客という言葉は決して“やくざ”を表す言葉ではない。他人が決める善悪ではなく、自身の信念に基づいて行動する人間の事だ。
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よろしくお願いします。。
損得とは一体なんであるのであろうか?
金が儲かる事を得とするのだろうか?こんなに損得が高い次元で捉えられ、行動の指針になるのは一体何時からなんだろうか?
ソニー創業者盛田昭夫さんがトランジスタラジオを持ってアメリカ全土を営業に廻っているとき、ある大手企業の目にとまり大口の契約(創業以来最大)を結ぶ直前まで行った。しかし契約内容を確認するとOEMであったらしい。あくまでも大手企業のブランドで販売するとの事、この時ソニーの前身会社は経営危機に陥っており資金難に喘いでいた。本来なら会社運営上契約を結ぶのが常識であるが、盛田さんはこの契約を破棄した。あくまでもソニーの名のもとにソニーが作ったソニーの製品に拘ったらしい。この時の判断は損であろうか得であろうか。結果的に世界的企業に成長した時点より考えても損か得か?なんかそんな下卑た判断では無いように思う。
自身の信念との問答の結果だと思う。
現在、世界といってもイスラム世界以外の価値観から見た場合であるが、テロとの戦いというスローガンを掲げている。しかしイスラム側から見ると“聖戦”なのだ。自爆テロという戦中の特攻と同じ行為を平然と敢行してくる。“国家”の定義として拉致問題以降、国民の生命と財産の保全と保障という概念が取り沙汰されているが、確かにそうだとは思う、しかし国民側からの国家に対する概念はどうなのだろう、国家の為に生命を投げ出し国家存亡を守るのだろうか?
このイスラム世界の価値観は最終防衛線がどこにあるのだろうか?自身の生命すら投げ出す行為は何故なんだろう。現在のイスラム世界は一国との敵対ではない。
ある論説者が言っていたが、明治維新の尊皇攘夷の志士と同じで各国に同志が散らばっていてアラーの神を中心に糾合されているらしい。アルカイダはさしずめ明治維新時の奇兵隊でヴィンラーディンは高杉晋作のようなものらしい。彼らは損得で動いているのだろうか国家という保護枠も無しに。参加せずにいれば自爆テロなんかせずに済むんじゃないのか?アメリカの標榜する民主主義を享受し、イスラム教を信奉すればいいんじゃないんだろうか、その方が生命と財産が保障され“得”なんじゃないだろうか?
敬愛して止まないイラストレータ-のMさん(女性)と初めてあった時に聞いた話が、私の人生観の琴線を弾いた。
絵描きの資格、それは比類無きオリジナルの創出ではないかとある人が定義した。確かにピカソの出来あがったものを模写する事は出来ても、無からピカソの世界を創出する事は出来ない。それが画家・絵描きであるという事なのだとその人は結論を導いた。
しかし敬愛するイラストレーターMさんは“違う”と言い放った。
そんなオリジナリティーは“門前の小僧習わぬ経を読む”がごとく場合によっては修練で生れる。絵描きの定義は、人生設計上・損の確率が驚くほど高いにもかかわらず、成功倍率が0%に限りなく近いにもかかわらず、平然とその世界に突入していく勇気があるか無いかだとおっしゃいました。
侠気。。。。
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しかし私がこの言葉の意味として理解しているのは、決して男だけの事ではない。性差は無いように思う。
作家の安倍譲二が愚連隊の神様“万年東一”に、この言葉の意味を教えてもらった時のエピソードを種々のエッセイで書いているが、その説明が一番的確であると思う。
“平然と損を承知で物事に向かえる”それが侠気だ。それが出来る人間は全て侠気があるんだ。侠客という言葉は決して“やくざ”を表す言葉ではない。他人が決める善悪ではなく、自身の信念に基づいて行動する人間の事だ。
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金が儲かる事を得とするのだろうか?こんなに損得が高い次元で捉えられ、行動の指針になるのは一体何時からなんだろうか?
ソニー創業者盛田昭夫さんがトランジスタラジオを持ってアメリカ全土を営業に廻っているとき、ある大手企業の目にとまり大口の契約(創業以来最大)を結ぶ直前まで行った。しかし契約内容を確認するとOEMであったらしい。あくまでも大手企業のブランドで販売するとの事、この時ソニーの前身会社は経営危機に陥っており資金難に喘いでいた。本来なら会社運営上契約を結ぶのが常識であるが、盛田さんはこの契約を破棄した。あくまでもソニーの名のもとにソニーが作ったソニーの製品に拘ったらしい。この時の判断は損であろうか得であろうか。結果的に世界的企業に成長した時点より考えても損か得か?なんかそんな下卑た判断では無いように思う。
自身の信念との問答の結果だと思う。
現在、世界といってもイスラム世界以外の価値観から見た場合であるが、テロとの戦いというスローガンを掲げている。しかしイスラム側から見ると“聖戦”なのだ。自爆テロという戦中の特攻と同じ行為を平然と敢行してくる。“国家”の定義として拉致問題以降、国民の生命と財産の保全と保障という概念が取り沙汰されているが、確かにそうだとは思う、しかし国民側からの国家に対する概念はどうなのだろう、国家の為に生命を投げ出し国家存亡を守るのだろうか?
このイスラム世界の価値観は最終防衛線がどこにあるのだろうか?自身の生命すら投げ出す行為は何故なんだろう。現在のイスラム世界は一国との敵対ではない。
ある論説者が言っていたが、明治維新の尊皇攘夷の志士と同じで各国に同志が散らばっていてアラーの神を中心に糾合されているらしい。アルカイダはさしずめ明治維新時の奇兵隊でヴィンラーディンは高杉晋作のようなものらしい。彼らは損得で動いているのだろうか国家という保護枠も無しに。参加せずにいれば自爆テロなんかせずに済むんじゃないのか?アメリカの標榜する民主主義を享受し、イスラム教を信奉すればいいんじゃないんだろうか、その方が生命と財産が保障され“得”なんじゃないだろうか?
敬愛して止まないイラストレータ-のMさん(女性)と初めてあった時に聞いた話が、私の人生観の琴線を弾いた。
絵描きの資格、それは比類無きオリジナルの創出ではないかとある人が定義した。確かにピカソの出来あがったものを模写する事は出来ても、無からピカソの世界を創出する事は出来ない。それが画家・絵描きであるという事なのだとその人は結論を導いた。
しかし敬愛するイラストレーターMさんは“違う”と言い放った。
そんなオリジナリティーは“門前の小僧習わぬ経を読む”がごとく場合によっては修練で生れる。絵描きの定義は、人生設計上・損の確率が驚くほど高いにもかかわらず、成功倍率が0%に限りなく近いにもかかわらず、平然とその世界に突入していく勇気があるか無いかだとおっしゃいました。
侠気。。。。
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