2005年12月11日(日)

鬱鬱々 

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行って話す内容は、先日の労基局での話しだけだ。。
行く前になんとなくもう1度、履歴書を見ておこうと思った。
やはり2年ごと位に職を変わっている。とくにこの会社に入る前は綺麗に“2年”だ。。。
それともう一つ気になる事に気づく。
履歴書の住所は一人暮らしのアパートだが、どうも先日行った実家とはすぐ近くだった。
なぜなんだろう?気がつかなかったが・… 娘がこんな病気を持っているのに、なぜ一緒に住んで居ないんだろう??
気になったので実家へ行く前に寄る事にした。約束の時間は夕方の6時だったので少しだけ早目に会社を出て、彼女が住んでいたアパートによった。
冬の夕刻である、日の暮れは早い。アパートはなかなか見つからなかったが、ようやく辿り着いた。その時にはすでに薄暗く街灯が点き始めていたが、そのアパートは街灯からはずれ、道が奥まった角に建っていた。正直印象として“陰鬱な所だなぁ。。”と感じた。この場所も彼女の精神衛生上良くなかったんじゃないだろうか?と考えてしまうような環境だった。
なんでこんな所に一人で住んでいたんだろう?実家はすぐ傍なのに?彼氏が居たとは聞いていないが?
と少し悩んだが、約束の刻限が近づいたので離れた。。。
実家の前に車を停め家の中に入った。玄関では母親が憔悴した表情で精気が無い顔で
「すいません。。お忙しいのに。。」と感情のない言葉を発した。
「いえ。」と言って再度母親の顔を見ると焦点が定まっていなかった。
“疲れているなぁ・…、この母親も危ないなぁ…”と感じた。。
居間で父親がまっていた。彼女の年齢からすると少し年をとっているなぁという印象だった。
おそらく六十半ばか後半だろう。
「すいません。」
「いえ。」
と、その後、軽い会話で本題に入るのが普通だが、私は単刀直入に切り出すことにした。
それは正直少しこの父親に悪感情を抱いていたからだ。。
「おとうさん、今回の件、結論から申しますとお嬢さんには勤怠データーのキリのいい日付で退職していただきます。ご本人の辞表がなくとも当社の判断でそのようにさせて頂きます。つきましては弊社社長よりお見舞いとこれまでの功労を兼ねた形で、当月満額の給与支給と、あわせて翌月も同額支給させていただきますのでご了解いただけますか?」
と結論だけ伝えた。それ以外に話し合う必要はないからだ。それ以外の条件を私は持ち合わせていない。
しかし父親は
「わかりました。。ところで…」ときりだした。
“来たか・・”どんな条件でゴテクリカエスのか?
と構えたが、父親の口から出た言葉は、
「条件は大変ありがたいと思います、がもうひとつお願いがあるというか、お聞きしたいのですが?」
「なんでしょう?」
「傷病手当というのは?」
以前、私は部下で契約社員の者が癌になり、そのとき社会保険事務所で手続きを行うこの保証の事を知った。継続的な業務が出来ない傷病を負った場合に事業所から十分な報酬を受けられない環境に従事しているもの、例えば契約社員で日給や時給支給のものが対象で、診断書と勤続会社もしくは本人が手続きすれば、たしか1年6ヶ月程?給与の60%くらいが支給される。ただし毎月の手続きが必要だったはずだ。退職しても継続して本人が在職時と同様の保険を払う事が条件だったと思うが。。(間違っているかもしれないが。。)そして比較的審査が早く、入金も早かったと記憶する。癌で休職やむなしとなった者のサラリー確保の策として講じたはずだ。もちろんその時は、本人の強い復帰の意志と早期発見という状況があったからだが。
「はい、ありますね。しかし退職後ご本人の診断書をもって最寄の社会保険事務所で手続きされればいけると思いますよ。」
「い、いや。。。」
“なんやこの事を言いたかったんや!”もちろん冷たい条件だった場合どのような事を用意していたか分からないが。。。
グズグズしていても“ツマラナイ”ので
「分かりました、おとうさん、こちらで遡って休職された時点からの最初の手続きを行います。ただし後の手続きはご自身で行ってください。」
と言うと
「すいませんとうつむいた。。」
しばらく沈黙がつづいた。父親をみると少し肩が震えていた。。。泣いている・…
そして父親が口を開いた
「だいたい察しておられると思いますが。。。」
「。。。」
「私はこの年ですし、年金を頼りに生活しています。。働きにもいってますがこの年ですから、アルバイト程度のものしか、それもたまにしかありません。このさき娘がこんな状態が続くと一体どうなるのか。。。。いつか私達では面倒みきれない時がきます。。。。。」
「。。。。」
「大変ご迷惑をお掛けしたこと申し訳なく思っています。しかし裕福でない家からすると
先立つ物の心配が先に立ちまして。すいません。。。」
この時母親が茶菓子をもって近づいてきた、そして娘のことを涙ながらに話すのだが、父親が強く制止した。
「よけいなこというな!!あっ、すいません。。こいつも相当疲れてまして。。。」
「。。。。。」
なんか息苦しくなった。条件の話しも整ったので帰る事にした。
帰り際、見送ろうとしたので断った。一人、車を運転し帰路についた。車中で“ぼぉ~”と
社長が言っていた言葉を思い返していた。社長は察していたのか?。。。
“確かになぁ、彼女こんな状態が続くと、結婚も、勿論定職に就く事も出来ないやろなぁ。。”
それを考えると一番守らなくてはいけない状況は、そんな甘い感情ではないわなぁ。。
あんな病気を抱えて家を出ているのは、金銭の事もあるが、親が近所の目を気にしていたり本人が気を使っていたり、いろいろ事情があり、苦しんできた結果なんだろうな…・
生れた時は可愛い赤ちゃんで、大きくなるに従い就職、結婚といろいろ夢があったやろうなぁ。。それがこんな状態が続いて精神の破綻の振幅が年々大きくなっていくと、親としては堪らないだろうなぁ。。
自分も娘がいるが、出来れば生涯幸せでいてもらいたい。
できれば苦労もなく。。
彼女今どうしているんだろうか?
後味の悪い年の瀬だった。。。。

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鬱病の人は人一倍頑張り屋なんです。
あなたは、ご自分が健康だからそんなことがいえるんです。
鬱病も癌も同じ病気です。みんな治ろうと努力しています。
あなたみたいな人がいると、鬱病者は辛い。もっと勉強してください。差別です。偏見です。