2005年11月16日(水)

jump 

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今日は11月15日、坂本龍馬が生まれた日で死んだ日だ。
といっても現在の月日との整合性となると旧暦という事と、どうも生誕に関しては出生記録など無い時代の誕生日であるため真偽は定かではないらしい。しかしまぁ通説として定着しているので、学者でも研究者でもない私としては、英雄らしさという点でずーっと肯定してきた。なによりも自身の誕生日11月30日に近しい日にちであることが少しお気に入りでもある。
多くの人がそうであるように、司馬遼太郎の“竜馬がゆく”から私も大変な影響をうけた。中学2年の夏休みに親戚の家に遊びに行き、何気なく見た書棚に綺麗に文庫本全8巻が並んでいた。特に意識してではないが、なんとなく手が伸び、1巻目を開くとスルスルと文章が頭に侵入してきた。気がつくと滞在している数時間で1巻目の三分の一位を読んでしまい、結局お願いして全巻を借りる事にした。全巻読むのに幾日もかからなかった。
明かに価値観の広がりが生れたのを記憶している。ある意味で小説の構成なのだろうが、愚童が最終的には日本を動かすという、今までの伝記ものとは違うダイナミックさに伸びやかな感性を感じた。
自由、自由な発想、人間の大きさというそれまで観念すらなかった価値観がムズムズ芽生えたのを昨日のことのように覚えている。
単純なわたしは至極感動し、伏見の寺田屋で大きなポスターを買い、長らく部屋に貼っていた。
その感動は大人になった今もそう変わることはない。。
四国に頻繁に出張に行き出したころ、どうしても桂浜に行きたくて、時間を調整して“龍馬像”だけをわざわざ見に行った。
龍馬像には感動した。
というよりも圧倒された。それまで幾度も写真やTVの映像で見ていたはずなのだが、同じ物とは到底思えなかった!!
物凄く“大きく”今まで見たなかでは一番大きな銅像であった。
人物の大きさを象徴するかのごとく、ある意味怖いくらいの迫力と、龍馬を慕い建立に関係した人達の情熱が伝わってくるものであった。そしてなによりも桂浜の銅像が一番肖像を正確に捉えていると思えた。
たぶん1日中、360度の様々な角度から、日が昇り日が沈むまで眺める自信があった。。
そんな龍馬好きだが、年とともに興味のポイントが変わってきた。別段嫌いになったという事ではない。今もって痛快な人物として憧れの対象であることは変わらない。
段段とドラマチックな小説的内容に心躍らせるのではなく、等身大の人物像を、搾り出す様に考察するのがなんとも言えない愉しみになってきたのである。
龍馬の功績は、近年の研究でかなりその時代の彼のポジショニングが正確になってきている。
実際の回天偉業における彼の拘わった実像とは?
おそらく明治期からの小説の構成によって誇張した部分が大き過ぎて、実像との乖離が生じているというのが現代の定説となっている。特に司馬遼太郎の小説が史実化しているのが大きいのと、明治期の薩長藩閥に対しての旧幕臣と、国の運営要路に対して後塵を拝した土佐藩閥の対抗プロパガンダが理由とされている。土佐藩閥からすると薩長閥に対抗する国民的英雄像を、自分たちの対抗イメージとして折に触れ創作していったのではと推察できる。
そして旧幕臣とくに勝海舟あたりの自慢と放言から飛び出したものが、妙に薩長閥に対抗する勢力にとって好都合のバックボーンとして繋がったと想像できる。
はっきり言って、それほど史実において怪しい人物なのだ。
だから司馬遼太郎は”2トン”もの資料が必要になったのであろう。。。
しかし断っておく否定的、嫌悪感からくる見解ではない。
重ね重ね言うが、龍馬が痛快な人物であるという私の軸にブレはない!
しかしここ最近の私は、私なりの龍馬ストーリーがある。
つづく。。。
といっても現在の月日との整合性となると旧暦という事と、どうも生誕に関しては出生記録など無い時代の誕生日であるため真偽は定かではないらしい。しかしまぁ通説として定着しているので、学者でも研究者でもない私としては、英雄らしさという点でずーっと肯定してきた。なによりも自身の誕生日11月30日に近しい日にちであることが少しお気に入りでもある。
多くの人がそうであるように、司馬遼太郎の“竜馬がゆく”から私も大変な影響をうけた。中学2年の夏休みに親戚の家に遊びに行き、何気なく見た書棚に綺麗に文庫本全8巻が並んでいた。特に意識してではないが、なんとなく手が伸び、1巻目を開くとスルスルと文章が頭に侵入してきた。気がつくと滞在している数時間で1巻目の三分の一位を読んでしまい、結局お願いして全巻を借りる事にした。全巻読むのに幾日もかからなかった。
明かに価値観の広がりが生れたのを記憶している。ある意味で小説の構成なのだろうが、愚童が最終的には日本を動かすという、今までの伝記ものとは違うダイナミックさに伸びやかな感性を感じた。
自由、自由な発想、人間の大きさというそれまで観念すらなかった価値観がムズムズ芽生えたのを昨日のことのように覚えている。
単純なわたしは至極感動し、伏見の寺田屋で大きなポスターを買い、長らく部屋に貼っていた。
その感動は大人になった今もそう変わることはない。。
四国に頻繁に出張に行き出したころ、どうしても桂浜に行きたくて、時間を調整して“龍馬像”だけをわざわざ見に行った。
龍馬像には感動した。
というよりも圧倒された。それまで幾度も写真やTVの映像で見ていたはずなのだが、同じ物とは到底思えなかった!!
物凄く“大きく”今まで見たなかでは一番大きな銅像であった。
人物の大きさを象徴するかのごとく、ある意味怖いくらいの迫力と、龍馬を慕い建立に関係した人達の情熱が伝わってくるものであった。そしてなによりも桂浜の銅像が一番肖像を正確に捉えていると思えた。
たぶん1日中、360度の様々な角度から、日が昇り日が沈むまで眺める自信があった。。
そんな龍馬好きだが、年とともに興味のポイントが変わってきた。別段嫌いになったという事ではない。今もって痛快な人物として憧れの対象であることは変わらない。
段段とドラマチックな小説的内容に心躍らせるのではなく、等身大の人物像を、搾り出す様に考察するのがなんとも言えない愉しみになってきたのである。
龍馬の功績は、近年の研究でかなりその時代の彼のポジショニングが正確になってきている。
実際の回天偉業における彼の拘わった実像とは?
おそらく明治期からの小説の構成によって誇張した部分が大き過ぎて、実像との乖離が生じているというのが現代の定説となっている。特に司馬遼太郎の小説が史実化しているのが大きいのと、明治期の薩長藩閥に対しての旧幕臣と、国の運営要路に対して後塵を拝した土佐藩閥の対抗プロパガンダが理由とされている。土佐藩閥からすると薩長閥に対抗する国民的英雄像を、自分たちの対抗イメージとして折に触れ創作していったのではと推察できる。
そして旧幕臣とくに勝海舟あたりの自慢と放言から飛び出したものが、妙に薩長閥に対抗する勢力にとって好都合のバックボーンとして繋がったと想像できる。
はっきり言って、それほど史実において怪しい人物なのだ。
だから司馬遼太郎は”2トン”もの資料が必要になったのであろう。。。
しかし断っておく否定的、嫌悪感からくる見解ではない。
重ね重ね言うが、龍馬が痛快な人物であるという私の軸にブレはない!
しかしここ最近の私は、私なりの龍馬ストーリーがある。
つづく。。。

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