2005年11月14日(月)
野つぼ 
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案外私にとっては珍しい休日だ。大概、土日どちらかが仕事になるか、どちらかで仕上げないといけない仕事があったりとフルで休めることが少ない。しかし、そのときの週末はまったくの休日であった。
せっかく時間があるので数日来サボっている“体のケア”に努めようとスケジュールを組んだ。体のケアと言っても大したことをする訳ではない、ウォーキングとヘルニアのための腰痛体操(ストレッチ)をするだけだ。
先ずはウォーキングと家を出た。玄関を出ると“U君”が遊んでいて、何気なく声をかけた。
「U君!一緒に歩きに行こうかぁ!」
しかし今まで何度誘っても、ただ歩くだけなので”ツマラナイ”と断られてきたが、この日に限って、
「うん!」
「えっ?行くの?一時間くらい歩くよ!」
「いいよ!」
と親子二人のウォーキングがスタートした。
ヘルニアになって以降、時間が許す限り家の近辺を歩いてきた。歩き始めたのは6月だった。そのとき田んぼは水田で稲が成長途上であった。その後の月日で段段と稲穂になり、そしてここ最近はきれいに刈り取られていた。そう収穫だ。今まで知識としては認識していたが、時間をかけて眺めると、実に感動深いものがある。親子ウォーキングをしたこの日の道の両脇には、綺麗に刈入れされた田んぼと、綺麗に積み上げられた藁が、実に美しい風景として流れて行った。
瞬間気づいた、大地の栄養で育った作物が我々の食卓に並び、そして食され、その後排泄され、それが又大地を肥やす。食物連鎖とは実に神秘深く、そして日本人が西洋人と違い“八百万の神”の存在を信仰する気持ちが僅かな実感として得られた。狩猟民族とは違う我々の祖先が、自然の恵み、そして肥沃な自然を優しく創造し、そして何よりもその自然に対して最大の畏敬の念を払う、実に美しい生命感覚ではないだろうか。歩きながら一人で関心していたが、フッと気になることがあった。
「あれっ?野つぼは?なんで無いの?」
そう野つぼ。。我々の小さい時分は存在したが、今無いのである。。
昔、野つぼは田んぼに必ず存在し、その秘境(?)に落ちる子供が存在した。
草で覆われるような存在に気づかず落ちる子供や、冬の氷が張る日、度胸試しに氷の張る野つぼの上にロシアンルーレットの如く順番にのって落ちる子供など、我々の小さい時分の思い出には欠かせない存在であった。
落ちた人は結構多いんじゃないだろうかぁ?かく言う私も落ちた、と言っても浅い野つぼで足だけだが。とにかく落ちた瞬間友達が“くものこを散らす様に”にげた!
しかし現在無いのである。少し調べたが、昭和46・7年から50年台の始めに各市町村で野つぼの改修補助みたいなのがあり、どんどん姿を消して行ったみたいだ。
U君に野つぼの存在を説明してやったが、想像できないのかキョトンとしていた。
「ふーん。。野つぼ?ふーん。。」
しかし昔は良く考えると“水洗便所”などは少なくとも私の町には存在しなかった。だから
所謂“ボットン便所”で、しいて言えば家の中に“野つぼ”と同じものが存在した。そして汲み取りといものがあり、汲み取りの日には朝から、どこからともなく“ぷぅーん”と町全体が匂っていた。。。それが当たり前であった。
その話しをU君にすると
「きゃははははははは!」と大笑いされた。
信じられないらしい、家の中に糞尿を溜めるという事が。。。
確実に自分たちが排泄したものの実像が家にあり、そして田畑には野つぼという大地を肥沃にする栄養、そう人間の排泄物と直結した物が存在し、そしてその大地から成長する作物を食し体に栄養が回る。そんなことがおおよそ自然の摂理として持ち得ていたように思う。そして米粒を残す事を親から怒られたし、日本人は食べる前に食膳に向かい手を合わせる。そしてホッぺについた米粒を“お弁当”とよぶ食物に対しての豊な感性があった。。
足をとめた、U君が不思議そうに私を見つめた。
「どうしたの?」
「うん。。いや。。なんでもないよ。。」
「?????」
“この田んぼは一体いつからあるんだろうか?”
ちょんまげした親子の“お百姓さん”が脳裏に浮かんだ。。。。。

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