2005年10月24日(月)
棲家 3
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大抵貧乏暮らしがほとんどだったが、気兼ねなく時間を過ごすことができた。
一種の“ちびっこ”“梁山泊”だった。。
そして大学を卒業し就職すると学生時代のような外泊はとんと無くなった。
しかし結婚する段になり最後まで苦労したのが住まいだった。
私も嫁もお金が無かったので、もちろん賃貸にするつもりだったが、その中でも公団(団地)を希望していた。とりたてた根拠はないが、家賃や環境を考え、なんとなくいいんではないかなぁーと漠然と考えていた。。
結婚が決まって以降、私は仕事中に数回公団の募集に応募しにいっていた。しかし一向に希望する物件に当選はしなかった。結構のんびりしている性格で“なんとかなるやぁー”みたいにお互い過ごしてきたが、いよいよ結婚式が近づいても住まいが決まらないのは深刻な問題となっていった。
ある日親父が見かねて、知り合いの会社社長に相談し、その社長が現在使っていない家屋を提供してくれるよう話しをつけてくれた。その社長は凄くいい人で「若いんだからお金を貯めるつもりで遠慮無く使ってくれ」との事でした。そして家賃は3万円しか取らなかった。しかしどんな物件かモロモロを確認せず、とにかく時間が無かったので、その好意にすがることにした。
それから数日後、お借りする家を休日に見にいかせてもらったのだが。。。。。
滋賀県瀬田の小高い山の上で、通勤を考えると、バス・JR・バスという結構ハードな通勤を余儀なくされる地域だった。そして肝心の家屋は敷地約70坪の我々が到底住めるような代物ではなく、なんと部屋数も7~8部屋存在した。
嫁と、「すこし贅沢すぎないか?分不相応を絵にかいたような。。。」
しかし時間的にどうのこうの言えるタイミングではなかったので、とにかく住むことになった。。。
新生活が始まったのだが、やはり会社までは遠かった。行きはまだしも、帰りは時間の連絡が上手く行かなかった。当然JRはそうでもないのだが、遅くなるとバスが無いのである。一本逃すと一時間後みたいな気の遠くなるようなダイヤで、結構駅前で茫漠と時間を過ごす事が多かった。。平均2時間くらい帰りの行程にかけていた。。。。
どうも私は自立心に欠けるのか、積極的に便利さを構築するという観念が欠如し、流れの中で物事を考えるクセがある。しかしそれも自分の問題だから、まぁいいっか!とすぐになってしまう。いいのか悪いのか良くわからないが、他人が見ると“どん臭い”としか思わないだろうなぁと他人事のようにぼーっと考えるだけである。
また、敷地70坪クラスの住宅街である、周辺に住んでいる人達とあきらかに我々とは次元が違うというか、平たく言うと仲良くはなれなかった。当然である、ある一定の年齢と社会的地位を有する方々の住宅地であるから、ぺーぺーの私たちがどう転んでも仲間には入れて頂けなかった。
そして7~8部屋あっても新婚二人にはまったく必要がなく、結局12畳大のリビングにフトンを持ちこみ、食事から寝るまで全てリビングで十分であり、家中の大半の部屋が“開かずの間”と化していった。。。。結局ワンルームマンション状態だったのである。。
正直、居心地が悪かったので、なんとか引越しをしようと決心したのだが、一向に公団には当選しなかったので、府営団地に申しこみを変更したところ、すぐに当選したのだった。そして早速段取りを組み引越しを計画した。この不便な瀬田生活は約8ヶ月くらい続いたのでした。。。。でも今から思うと凄く懐かしい、新婚の二人が大きな家でひざを抱えて過ごした時間。。。
馴れない場所と馴れない生活、帰りの京都駅の果物屋で、嫁になぐさめのお土産に
1個1,000円のりんごを買ったことがあった。。。
でも大して美味しくなかったみたいだ(涙。。。)
もうちょっとゆったりと愉しんでも良かったかなぁと今になって思う。今から思うと大した居心地の悪さではない、少し図図しくなったのかなぁ。。
つづく

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